2004年11月30日

傷つくこと、傷つけること

 傷つくことは辛い、でもわたしは、自分が傷つくよりも、人を傷つけることの方がもっと辛い。
 傷つけるつもりで傷つけることはしていないつもりだけど、傷つけるつもりでなくても、傷つけてしまうことがある。
 傷つけるつもりなく、傷つけてしまっているので、自分で気付かなくて、相手に「傷ついた」と言われて始めてわかるので、「傷つけてしまった」と言うショックだけでなく、その言われ方によっては、今度はこちらが傷ついてしまうことがある。
かと言って、そこで「わたしもあなたのことばで傷ついた」といっても意味はないし、最初に傷つけたのが自分である以上、わたしに言い分はないと思う。わたしは、謝る以外に、できることはない。
 いくら言いたいことがあっても、決して自己弁護はするまい、と思う。ただ、わたしにはイエス様という素晴らしい弁護士がついていてくださることを感謝していよう。わたしがどんな失敗をしても、どんな罪を犯しても、イエス様が、父なる神様にとりなしていてくださることを感謝していよう。
 それにしても、つくづくことばは難しいなあ、と思う。
書いた文字は、表情まで伝えることは難しいから、時と場合によっては大きな誤解も生まれてしまうし。
サイトを始めてから、何度も掲示板のコミュニケーションにその難しさを感じているけれど、未だに、失敗してしまう。
情けなくて涙が出てくる。

 今日、ある掲示板で、思いがうまく伝わらなくて、伝えられなくて、ある方を傷つけてしまった。
申し訳ないと思うと同時に、傷つけてしまったことが辛く、また、気持ちが通じなかったことが残念で、悲しくなって泣いてしまった。
 その横で詩音ちゃんが「おかあさんなかないで〜」と泣きそうになって、一生懸命涙を拭こうとしてくれていた。
 自分の失敗で、めそめそしていて、詩音ちゃんまで不安にさせてしまった。なおさら情けなくて、涙がこぼれる。
まだまだ未熟なわたしだ。
まだまだ愚かなわたしだ。

 今日は、ふとしたことから、自分が結婚できた、ということの恵みを再確認できた。
 誰かと人生を分かち合うことのできる幸い。誰かと時間を共有できる幸せ。互いに不満もあり、喧嘩をすることもあるけれど、それさえも幸せなのだと思う。
 自分が、どんな苦しみを持っているか、辛さを持っているか、それはきっと、自分と神様にしかわからないのだろうと思う。
だからこそ、幸せを分かち合える人が共にいることが幸いなのだと、改めて感じた。
 それからまた、今日は特に夫が優しくて(いつも優しいけどね)、珍しく、わたしのことを心配して電話して来てくれた。(今日はセミナーで神戸に行っていたので、夕方から留守だった)夫の愛情に感謝した。
 神様が、こんなわたしにも、言い表すことのできないほどの幸せを与えてくださったことを、ただただ感謝するほかはない。

罪に定めようとするのはだれですか。
死んでくださった方、
いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、
神の右の座に着き、
私たちのためにとりなしていてくださるのです。
ローマ 8:34
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月29日

ハウルの動く城

 今日は、夫と、今話題の「ハウルの動く城」を見に行った。
夫が、ジブリ好きなので…。
 結構面白かった。
 ただ、見終わった後、わたしは、「アニメの監督なら宮崎駿より、出崎統のほうが好きだ」と再確認した。そのことで色々夫とも話し合ったので、そこで得た結論(というほどでもないが)を交えて思いつくままに書いてみよう…。
わたしは、宮崎作品も全部見ているわけじゃないし、出崎作品も全部見ているわけじゃない。アニメ評論家でもないので、単なる好みの問題だとは思うけど。
 宮崎作品は、まあ、ファンタジーと言うか、現代の童話、って感じかなあ。
宮崎作品は、ヒューマニズムと自然崇拝主義に裏打ちされた、ファンタジーとしては、すごくよくできた作品だと思う。まさに、日本のディズニーという感じ…。
 声優の起用も巧みで、話題性に事欠かないし、魅力的なキャラクター、美しい風景など、質の良さを感じさせる。
反戦、文明批判、心や愛の大切さ…、そのようなテーマを否定する人々はいないだろう。
子供から大人まで、どんな層にも受け入れられ支持される嫌味のなさ、ほぼ完璧…。
 にもかかわらず、わたしは出崎作品の方が好きだ。
世界の宮崎駿、といったブランド感はないと思うし、最近目立った作品もないように思うけど…。
ま、言ってみれば、今はもう第一線ではないのかもしれない。
そういう意味で夫にいわせれば「世代の違い」なのだそう。
 ただ、わたしが出崎作品にこだわるのは、そこには「人間」が描かれているから。出崎作品のような、一般論としての人類観ではなく、1人の人間の生き様みたいなものが描かれているから…。
奇麗事でない世界、人の葛藤や、悩みや、苦しみ、そんなものがきっちりと描かれている気がするから。
そう、宮崎駿の世界はなんだか奇麗事過ぎる気がして…。
ま、それはそれで、そういう映画も大切なのだろうけど…。
ただ、ディズニーなら、もっと純粋にエンターテイメントとして楽しませてくれる気がするのだけど、宮崎作品にはなんとなく「人間にとって大切なものは、文明や、権力ではなくて、お互いを、そして自然を愛する心なんだよ」みたいな、説教臭さが漂う。そこがなんとなく鼻につくというか…。
 それなら、出崎作品のように、徹底して「哲学」を語ってくれるほうが、それもシンプルに「生きるとは」みたいな、「人生哲学」を語ってくれるほうが、好きなんだなぁ。それでいて、演出も凝っているし…。
 「家なき子」だって、原作では、後半は驚くほどご都合主義的なハッピーエンドなんだけど、そこにひとひねり加えられることで、ググッと、内容が深まる…、そんな気がする。
 ま、やっぱりこれは好みの問題なのでしょう…。
 「ハウル…」に話は戻るけど、今回は、イヤ、今までもそうなのかもしれないけど、今まで以上に、キャラのデザインが、声優をはじめから意識して書かれているような気がしてならなかった。
とくに、ハウル、ソフィー、荒地の魔女、サリマン先生。
 なかでも感心したのは、倍賞千恵子さん。ソフィーと言うのは、おばあさんになったり、少女に戻ったり、その中間だったり、すごく年齢表現が難しかったと思うけど、とてもうまくあっていたように感じた。それと歌。昔から歌っておられることは知っていたけど、声楽家のように上手いわけじゃない、でも今の若い子の歌とも違う、なんだかしっとりした魅力があって、わたしはとても好きだった。
 正直に言えば、わたしは木村拓也は、好きじゃないのだけど、やっぱり才能は認めざるを得ない、なかなか器用な青年だと思う。
 ま、これだけじゃ、感想になっているのかなっていないのか、わからないけど、見ておられない方もおられるだろうし…と言うことで、「ハウル…」を見て思ったことでした(夫と話し合って、色々考え方がまとまったので、初めからわたし一人の考えではないことを付記しておきます…)。

 詩音ちゃんは、相変わらず「しおんちゃんのおへや」に色んなものをせっせと運び込んでいる。
おかげで、リビングの一角が、なんだか山積み状態(^^;)
でも、わたしの小さい頃を思い出す…。
なんでも鞄やポケットに詰め込んで…。
 だんだん赤ちゃんらしさもなくなってきたけど、変わらずに可愛い。
 食事中など、わたしの機嫌が悪くなっているのを感じると、わたしの手をとって、手のひらをほっぺにおしつけて「おかあさんだいすき」と言う。すると夫が「お父さんは〜!」と子供のように騒ぎ出す。ま、お父さんも可愛いところ、あるよね(^^)

やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。
死の陰の地に住んでいた者たちの上に
光が照った。
イザヤ 9:2
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月28日

石井のお父さんありがとう

 「石井のお父さんありがとう」の感想を、昨日書けなかったので、忘れないうちに…。
 良かった!、感動した!
良かったところは、孤児院の働きが「神の愛の実践」である、とはっきり語っていたところ。
あと、子供たちがよかった…何というか、奇麗事だけじゃなくて、だけど、子供らしい純粋さや一生懸命さがあって…。
 辰子、だったかな?石井十次の再婚相手の…、女優さんの顔、良く知ってるんだけど、誰だっけ、思い出せない。エンディングを見て「ああ…」と納得。元宝塚娘役トップスターの星奈優里。
チラシをちゃんと見ていれば、わかったはずなのにね。
それにしても、ついつい、「死線を超えて(賀川豊彦物語)」と比べてみてしまうが、牟田悌三さんや、小倉一郎さんは山田ファミリーなのだろうか?また、山田さんは、宝塚好き?賀川豊彦のときは黒木瞳がヒロインだったし…。
 まあ、そんなことはどうでもよかったけど、いかんせん、一番最初とラストに出てくる日系ブラジル人の女の子が、下手くそすぎるのが、残念。大和田伸也さんの渋さがカバーしていたけど。
 ところで、大和田伸也さんって、クリスチャンなのかなあ。
お父さんは聖公会の熱心なクリスチャンだったそうだけど。
永作博美さんは悪くないけど、どうせなら、例えば藤田朋子さんとか、クリスチャンの女優さんだったらよかったかも、なんて思ったり…。和泉ちぬさん、ってどの役だったのかなあ。
和泉ちぬさんは、わたしが救われたころ、クリスチャン新聞だったか何かに大きく取り上げられておられたのが印象に残っている。
たしか、ご主人が東宝のオーケストラの人で、クリスチャンで、その人の導きでクリスチャンになったと…確か名付け親は森繁久弥さんだったはず。
 中身のことだけど、お祈りが、「主の祈り」だけだったのがちょっと気になった…。まあ、一般の人のにわかりやすいので、敢えてそうしたのだろうけど…。TVドラマのお坊さんが、場違いに「般若心経」を唱えるような不自然さがちょっと感じられたのだけど…わたしだけかな。一般の人が見たら、クリスチャンは主の祈りしか祈っていないのか、と思わないだろうか…なんて、些細なことを心配してしまった。
 とにかく、前半から後半まで、泣いた〜。
何で泣くの?と言われても困るけど、結構泣けた。
やっぱり、あの時代に、あれだけのことができたのは、すごいことだと思うし、きっと、映画に描かれている以上のものすごい苦労があったことだろう…。
 キリストがかごを背負っておられる…という、夢の話は、なんだかとても教えられた。わたしたちは、ともすると、神様の力を制限し、「イエス様、これでもう十分です」と言ってしまうことがあるのではないだろうか。
そこに神様への信仰と信頼が、表れるのではないだろうか。
 そういえば、わたしは、神様に、祈る時、「神様、わたしが○○をささげることができるようにしてください」と自分で自分にできることも制限してしまうことがある。そんなときに何度も「いいえ、それだけではありません、もっとです。あなたはこれだけささげるのです」と能力や、時間など、様々なものを、イエス様のほうで押し広げて下さった…。
これも、イエス様へのわたしの信頼度の低さを物語っているのだろうなあ…。
すべてささげても、尚、与えてくださるイエス様をどこまで信じきれるか…、わたしたちは、イエス様の、神様の能力を制限してはいないか…映画を見ながら改めて考えさせられた…。
そしてまた、働きをしてくださっているのは、イエス様ご自身であること、わたしたち人間は、後ろからちょこっとかごを支えているに過ぎない、そのようなものであること、そんなメッセージも、見逃してはならないような気がした。
 それにしても、あれだけのことをしても、一切自分を誇らず、すべてのご栄光をイエス様に帰した石井十次ってすごいよなあ、と改めて感じた。
 「日本のジョージ・ミュラーに」そう簡単になれるものでもないだろうけれど、それができてしまうところが、信仰であり、神様の業なのだろうなあ。金銭も食べ物もないときに、祈りによって与えられると言うのも、ジョージ・ミュラーと同じではないか!
 そういえば、救われたころに聞いた話。「クリスチャンの証しの本を読んで御覧なさい。ほとんど、お金がないときにいかに与えられたか、ってことが書いてあるから」
確かに、神様は必ず、経済的なことも祝福してくださるんだなあ。
思い煩うより先に、信じてささげることだ、とこれもまた改めて心に刻んだ…。

 頭では知っていることが、映像を通して、物語を通して、色々と語られてきた。そういう意味でも、良い作品だったのだと思う。
 こういう作品が、もっともっと多くの人に見られて欲しいなあ、と思う。
 それにしても、クリスチャン新聞に「洗礼のシーンが迫真の演技だった」みたいなこと、書いてあったけど、洗礼のシーン、演技って程の演技もなかったと思うけどねえ…。

 今日は、詩音ちゃんは、全体的にはとてもいい子だったと思う。
 強く叱るようなこともなかったし…。
叱らなくていい一日は本当に幸せ…。
 明日は、ちゃんと保育園の先生の言うこと、聞いてくれるといいなあ。

父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、
孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、
この世から自分をきよく守ることです。
ヤコブ 1:27
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月27日

詩音ちゃんのかばん

 今朝、お弁当を詰めようと思って、詩音ちゃんのカバンを探した。
少し前はお弁当袋に入れたのだけど、一度、お弁当袋が見当たらなくて、ちょうど頂き物の小さなカバンがあったので、それに入れたら、詩音ちゃんお気に入り!ってことで、それ以来、そのカバンに詰めることになった。
でも、先日の旅行に、そこにみかんを詰めてもって行く!と言うので、しばらく詩音ちゃんの自由にさせていた。
 で、今朝、詩音ちゃんのお家(リビングの一角にある詩音ちゃんのお城)から、カバンを持ってきて開けたらなんか、笑えちゃって…。みかんはうちから持っていったものもまだ入っていた上に、新潟の聖書学院で出していただいたものもカバンに詰めていたし、あと、やっぱりその日、父の公演中に、他の子連れの方に頂いた折り紙に何か殴り書きして小さく折った物、わたしが上げたメモ、何かのキャップ、それからおやつ…(^^)
 子供のときって、なんでもないものが宝物だったよな〜、って、なんだか懐かしい気がした。

 ウ〜、左の顎関節が痛い。
夜中も、どうもよく眠れなかったような気がする。夢うつつに、左の顎、というか耳の前のあたりを押さえていた気がする。
 あと、夢実が悪い…。昨日は顔の半分くらいにいくらぐらいのぶつぶつがびっしりできる夢だった。
 今朝は、カウンセラーか医師のような女性に、「妊娠しているのですから、ひとつ仕事をしたら帰って休むように」って忠告を受けていた。
まあ、妊娠はありえないし、そんなに、ずっと教会につめて仕事をしている訳でもないんだけど、多分誰かに「休みなさい」って言って欲しい、願望なんだろうなあ。
 でもわたし、休んでばかりなんだけど(爆)

 詩音ちゃん、昨日寝るときにも「いちごちゃんの歌、歌って」とお願いすると「♪いーちごちゃんがわーらった〜」と歌ってくれた。
この歌は、「いちごちゃんが笑った」を何度かくり返して、最後に「いちどに笑った」というのがオチ(?)らしいのだけど、詩音ちゃんはどうもいつ終わったらいのかわからないらしい。ひたすら「いちごちゃんがわらった」を繰り返し、最後はいつも「ムニャムニャ…」って感じになる。それがまた可愛くて可笑しくて、「いちごちゃん歌って〜」とリクエストしてしまう。
 わたしは、詩音ちゃんが、歌詞をごまかして歌ったり、間違って歌うのが面白くてしょうがない。ってか、これくらいの子供って、みんなそうだよね。
 「♪ぼくらはみんないきている〜にゃにゃにゃだーって、にゃにゃにゃだーって、○○だーって〜」丸々のところはどうもミツバチのつもりらしいのだけど、それがなんだか変なことを言っているんだな。それにしても「にゃにゃにゃだって」はないんじゃない、と思いながら、可愛くてしょうがない。
以前よく読んでいた漫画で「ぽっかぽか」というのがあったけど、その主人公の女の子が、幼稚園で覚えてきた歌をいつもメチャクチャ歌うのが可笑しかったのだけど、詩音ちゃんも同じだな〜って思う。
 それにしても、家では大きな声で歌えるんだから、音楽会のときも、もうちょっと歌って欲しかったな。でもね、やっぱり、わたしの事を探していたらしい。
音楽会のあと、園の先生に「おかあさん、ビデオとってはったねん」と言っていたらしい…。多分、わたしのことは見つけられなかったと思うけど、「お母さん、ビデオ撮るからね〜」と言っていたので、絶対にビデオを撮っていた、と信じていたんだね。
 子供のように信じる、って、こんな風に信じることなんだな〜、って実感。

 昨日、サーバー不良で、日記、御足の跡に、アクセスできない時間帯があったようです。大変申し訳ありませんでした。
Webマスターさんのほうからお詫びのメールが来ていました。
なかなか親切なWebマスターさんで、有料オプション期限を1週間延長してくださいました(^^)

 今日は「石井のお父さんありがとう」を見に行くので、きっと夜にも日記を更新するでしょう…。(でももしかしたらできないかも)←どっちやねん!(毎度一人つっこみのさびしいわたし…(爆))
≪8:00am≫

私たち一同も、なくてならないもののために、
正しい仕事に励むように教えられなければなりません。
それは、実を結ばない者にならないためです。
テトス 3:14
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月26日

音楽会

 今日は詩音ちゃんの音楽会だった。
希望が通れば、来年から学区の保育園への転園となるので、今の保育園(幼児園)では最後の音楽会になる。
前日まで、練習に身が入らないと、連絡帳に、書いてあったので、ちゃんとできるのかなあ、と心配だった。
 昨日の夜は、「お母さんビデオ撮りに行くからね」と言うと「やった〜」と喜んで「♪いちごちゃんがわらった、いちごちゃんがわらった〜」と繰り返し繰り返し歌ってくれたので、本番もちょっとは期待していたのだけど…。
 朝からビデオの準備とかしていると、詩音ちゃんの気が散ってしまって、ココアをひっくり返し、つい、イライラしたわたしはカッとなって怒鳴ってしまった。わざとじゃないのだからそんなに叱らなくてもよかったのに…。ただ、グズグズグズグズしている詩音ちゃんにイライラしてしまって…。心の中で詩音ちゃんに「ごめんね」って言いながら片付けた。

 でも、とにかくまあ今朝はちゃんと時間に間に合って、ビデオ撮影のための場所取りもバッチリ。
 三脚も立てて…。確か去年の音楽会のときは、あまりにも父兄がうるさいのでカリカリ頭にきたけど、今年は去年よりはましだった。
ただ、我が子の出番になると、「ビデオ撮影は後ろの方に迷惑がかからないように」と注意されているにもかかわらず、中腰になったり立ち上がったりする人がいて、またイライラ。
詩音ちゃんの出番までの様子を見ていて、これは三脚を立てていても、もしかしたら、手で持って撮影しないと、前に人が立たれたりしたら、うまく撮れないかも…と思って、事前に三脚からビデオをはずし、三脚を片付けた。しかし…。
 詩音ちゃんの出番の時には、前に立つ人もなく、三脚で固定していても多分問題はなかった。手で持って撮っていると、詩音ちゃんばかりを見てしまって、他の子を余り見ることができなかった。これなら、三脚に立てたままにして置けばよかった…。
 詩音ちゃんはと言うと、なんだか、歌っているのかいないのか…。昨日あんなに元気に歌っていた「いちごちゃんが笑った」も、なんかボーっと鈴を振っていただけだったし、「まつぼっくりがあったとさ」っていうのは、1番はボケーっとして、2番から思い出したように身振りをしていたけど…。3番目の「きのこの歌(?)」の体操は、なんだか、遅れたり、「まつぼっくり」とごっちゃになったり、ま、ほぼ演技が終わるまでウロウロしなかったことが救いかなあ。
 でね、他の子の演技が余り見られなかったこと、残念だったのだけど、それでよかったのかなあ、とも思った。
わたしのことだから、他の子の演技を見てしまうと、「あの子はあんなに上手だったのに、詩音ちゃんは…」って絶対比べてしまったと思う。実際、隣の子が一緒にうつっているだけで、「ん?この子は上手だな」とか思っていたもの。
 そういう意味では、詩音ちゃんしか見えなくて、詩音ちゃんがオンリーワンでよかったかな、って思う。
家では上手にできるんだし、詩音ちゃんには詩音ちゃんのよさがいっぱいあるよね!
24日、インフルエンザの予防注射も1人ですわって、泣かずにできたし、薬を飲むのも上手だし。お母さんのこと、お父さんからいつも守ってくれるし(ってこれは単に、夫がわたしにくっついてくると「しおんちゃんのおかーさん!」と独占欲を発揮するだけだけど(~_~;))、とにかく詩音ちゃんは、優しいと思うよ、お母さんは!
 ま、詩音ちゃんなりに頑張ったんだよね。
ちょっと、お母さんのこと探していたかな?って気もしたよ。
ビデオを三脚で撮っていたら、顔を見せてあげることができたんだけどね。ま、詩音ちゃんは、一番可愛かったし!〔親バカ〕それで良いよね!
 何より、こんなお母さんのこと、「大好き!」って言ってくれるんだから、詩音ちゃんは素晴らしい子だよ!

このキリストのうちに、
知恵と知識との宝がすべて
隠されているのです。
コロサイ 2:3
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月25日

詩音ちゃんのこと

 詩音ちゃん、昨日は保育園のお昼寝の時に寝ぼけて「おかーさーん」といってないておきだしたのだそう。そして、ベランダに出るガラスの戸にゴチンとぶつかって、保育園の先生に「詩音ちゃんもうちょっと寝よっか」と言われると素直にもう一度寝たらしい。
 詩音ちゃんは時々、寝ぼける。家でも、夜寝ていて時々「むくっ!」と起き上がって「おかあさん」とか言ってるけど、たいていは「ここにいるよ。はい、ネンネして」と寝かせてトントンすればすぐに寝る。
 ところが昨夜は何かよほどハッキリした夢を見たらしい。「ウエーン」と泣きだして起き、「どうしたの」と聞くと、「お母さんがミニーちゃんの…ダメっていった〜」
うん?ミニーちゃんのなにがダメなんだ?なんだかよくわからないけど、夢の中で叱られたらしい。「お母さん、ダメって言わないからこっち来てネンネしよ」といっても「イヤだイヤだ」といって聞かない。結局足元の方にいじけて転がって寝てしまった。
 朝起きたらすっかり忘れていたけどね。
 旅行では、詩音ちゃんに随分我慢させてしまったかな、と思う。
遊び中心の旅行じゃないし、とにかく体の弱い父への気遣いが中心になってしまっていたから…。でも、それで可哀想と思って甘やかしてしまうことが、かえって詩音ちゃんのためにならないのだろうなあ…。とわかっていても、ついつい、他の事で我慢しているのだから、とおやつなど与えてしまう…。
 それでも、一時に比べれば、メリハリをつけて食べさせられるようになったかな。
寝る時間も、一時に比べれば、少し早くなったように思う。
 甘えも、わがままも、成長期の過程なのだと思って、受け止めていかないといけないんだろうね…。

私の祈りが、御前への香として、
私が手を上げることが、夕べのささげ物として
立ち上りますように。
詩篇 141:2
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月24日

新潟

 昨日、念願の新潟に行ってきた。
と言っても、わたしたちが行ったのは、震源地からかなり離れているところで、見たところ町も外見上の被害は余りないようだった。
 21日の夕方から実家に出かけ、車を実家のエスティマに乗り換えて、仕事で教会に来られなかった父も乗せて帰り、栗東泊。22日の朝に出発。
この日は1日がかりで新潟(柏崎)に着けばよかったので、のんびりペースで休憩もたっぷり取りながら、また景色も楽しみながらドライブ気分で出かけた。
父の怪談噺「真景累ヶ淵」に出てくる「親知らず子知らずの難所」と言うところも、高速道路の上からだけど見ることができた。
とにかくお天気がよく、北へ向かっていくので、寒さを心配していたのだけど、驚くほど暖かかった。
車の中で、どこのサービスエリアで食事の時間になるだろう、そこの名物は…なんて、楽しみにしながらみんなで出かけた。
 あるサービスエリアでは、もう、車に乗ろう、という時間になって、滑り台があるのを発見。詩音ちゃんに1回だけ、と言って滑らせてやる。タンポポもたくさん咲いていて、少しつませてもらったりまつぼっくりをひろったりもできた。
 泊まったのは柏崎の「かんぽの宿」
温泉があるというので楽しみにしていた。
わたしは見なかったのだけど、わたしたちが新潟に行く少し前、新潟の温泉地の女将さん等が、TVで「こちらは被害がほとんどなかったので、平常どおり営業しているので是非来てください」とアピールしておられたとの事だ。
「こんな時に温泉に泊まるなんて不謹慎だろうか…」と思ったけれど、これも支援のひとつなのかな、なんて思った。
 でも夕方は、少し疲れていたので、部屋でのんびり。詩音ちゃんはグランマとお風呂に入りに行った。
 夕食はこれまた驚くほど豪華だった。詩音ちゃんのお子さまランチのエビフライだってものすごく立派だったし…。
 夕食後、少し休んで、わたしがおふろに行く時、詩音ちゃんはまたまたお風呂へ。詩音ちゃんは大きいお風呂が大好きだね!
でも、詩音ちゃんのおかげで、わたしはゆっくりお風呂に入れなかったけどね〜。
 丁度、お風呂から上がってきた時、1Fの自販機を物色に来たグランマと出会った。詩音ちゃん「誰と寝るの?」と聞かれて「え〜と〜、グランマ!」という訳で、そのままグランマのお部屋へ。
 わたしは久しぶりに、本当に久しぶりに2時間サスペンスなるものを見た。犯人は初めからわかっていたけど、まあ、水戸黄門のようなもので、わかっていても見てしまうのがTVのサスペンスなんだな。
 伝道旅行に来たのにこんなにのんびりしていいのか、というくらいのんびりした。たまにはこういうこともあっていいよね。
実際体も疲れていたし…。
 疲れていたので、もう何をするのもイヤだったのだけど、気になってサイトの「祈りのリクエスト」だけ、携帯から覗いてみてびっくり、けんごさんのお母様が亡くなられたとの事…。
 少し前に回復傾向の様子をお知らせいただいていたので突然のことでびっくり。その場でご家族のために祈り、掲示板にも短く書き込ませていただいた。
 多くのことばは出てこなかった…。

 23日当日も、快晴。朝からバイキングの美味しい朝食を頂いて、お招きいただいた聖書学園に電話をかけた。実は、住所を書いたチラシを忘れてきたので、場所がわからなかったのだ。
電話をかけると、わたしたちがとまっているところからはすぐなので迎えに来てくださるとの事。でも時間があるので、「少しウロウロしてからまたご連絡します」と言うと、かんぽの宿から近い「茶道美術館」というところを教えてくださった。紅葉が綺麗だと…。
 行ってみると、少し階段や坂があったけれど、父もリハビリを兼ねて頑張って登っていった。
本当に紅葉が綺麗で、詩音ちゃんは真っ赤なもみじをひろったり、咲いていた花の花びらををひろったり、自然をたっぷり楽しんでいた。
わたしたちは、お庭でお抹茶を頂いた。
 それから、お招きいただいた聖書学院へ。迎えに来てくださるということだったけど、夫が地図で場所を確認できたので、直接行くことにした。
 聖書学院は、日本伝道福音教団の聖書学校であると共に、キャンプ場、チャペル、体育館などのある場所で、全部で5000坪ほどもあるのだそう。
 午前中、どうやら団体の総会をやっておられたらしい。午後からが、団体の教育部主催の信徒セミナーとの事で、ここで父が証しさせていただくことになっていた。
 父の証しの前に、わたしは「遠き国や」を賛美させていただいた。
 集会は、やはり震災の関係で、出席者は少なめだったようだ。本当に被害の大きかった方はまだ外へ出る気にはなられないようだ…。ただ、そのことをおっしゃっていた先生は、「出席できたわたしたちが元気をもらって、また励ますことができます」とも行ってくださって、嬉しかった。
 集会の後、個人的に話したある姉妹は、ご自分の作られた家庭新聞を見せてくださって、「的が絞れなかったんですけど、でも、怖かったんです」とおっしゃっていた。
わたしが自分の経験から、「報道は、家が倒壊した人、避難所にいる人などばかりを被災者扱いしますが、大きな揺れを経験しただけでも、ショックはありますし、その揺れを経験された全ての方、お一人お一人が、被災者ですよね」と声をかけさせていただいたら、涙ぐんでおられた。
 わたし自身がそうだったけれど、本当に、大きなダメージがないように見えても、震災は、そこここに大きな傷跡を残していると、改めて感じた。

 出席してくださった皆さん、本当に喜んでくださって、本当に良かった…。
 賛美も、練習不足だったけど、感情に溺れることなく、心から歌うことができた。目頭を押さえておられた方もおられたよう。ご聖霊様が触れてくださったのだろう…。感謝して主をほめたたえた…。

 夜は、最低限の休憩と食事を取り、一路滋賀へ。最初は、その夜は栗東に泊まって、翌朝帰る予定だった。しかし、父の足が痛むようなので、明日朝一に病院へ行けるよう、今日、電車で帰るとの事。
それなら、どうせわたしたちも車を返しに行かなければならないのだから、と運転手の夫には申し訳ないけれど、西宮の実家まで送って帰ることにする。3時半過ぎに聖書学院を出て、夜10時過ぎには西宮についていたから、夫はかなり頑張ってくれた。
 わたしたちも12時前には自宅に戻ることができた。

 今回の旅行で堪えたのは、父の老いというか、病によって随分弱いところが出てきたということ。
 一緒に北海道を旅行した時とは段違いだし、その後、何度か詩音ちゃんと一緒に両親と旅行をしたけど、今度は、今までに比べて父も随分きつそうだった。
 そりゃ何度も、生死の境をさまよったのだもの、体が弱るのも無理はないよね。
 老いや弱ってきたことに目をとめると、なんだか少し淋しくなるけど、そのことを通して、キリスト信仰を与えられ、文字通り死んでいた者が生きている者とされたこと、そして証しする者と変えられたことを感謝しなければ、と思った。

イエスは言われた。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
ヨハネ 11:25
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月21日

間違えた…(^^ゞ

 えー、日記の日付が一日ずれておりました。
さっきまで21日付だった日記は20日分でした。見てくださる方は気がついてくださるかしら…?

 今日、フィリピン人の方が二人、礼拝にこられていた。
先週の午後に教会に見えたそうなのだけど、わたしも、夫も留守にしていたので、初めてお会いする方たちだった。
 日本語はまあまあできるけれど、英語のほうが良さそう…ということで、英語でご挨拶を…。
 と、いきなり英語で「べらべ〜ら〜」と話し出されたので、「ちょっとまった〜」状態(~_~;) 慌てて
「I'm sorry, my English is poor.」
と言うと、たどたどしい日本語で話してくださった。それからは日本語と英語交じりの不思議な会話…。
 それでもね、久しぶりに英語を使うことができたのは嬉しかった。
こんな風に書くと、わたしは英語を話せる、って自慢しているみたいに聞こえるけど、決してそうじゃない。あくまでもカタコトだ…。それも随分と怪しい…。それでも、10年近くも前、何十万もかけて英語を習った甲斐はあったかなぁ、と、自己満足の世界。たとえほんの少しでも、話すことはできるから…。
 まあ、宣教師の教会で長年過ごしたし、外国からのお客さんもたくさん来られたから、外国人慣れしている、ということもあるかもしれない。でも、多分、英語を習ったことがなかったら今でも、「こんにちは…」しか言えなかったことだろう。もう少し英語を知っていたとしても、話す度胸はなかったと思う。
 今、自分は英語をほとんど忘れているけど、とにかく何とかしてコミュニケーションをとろうとするのは、自分が英語を習った経験と、自分が海外に行った経験があるからだと思う。
 だって、誰も知っている人のいない教会で、母国語で話しかけられたら、嬉しいものね…。
 でも、不思議に、中学で覚えたフレーズや、高校の時に歌を聞いて覚えたフレーズなんかも案外役に立っていたりする。
 どんなことでも無駄にならない、と、改めて思った次第…。

 詩音ちゃんは、今日はまあまあ賢くできたかなあ。
なんだかんだと、甘えてはいたけど…。
明日は一日、TVも、PCもない世界。詩音ちゃんとの時間をしっかり大切にしよう…。
 新潟までの道のりが守られますように。

 ウウ…またしても、賛美の練習不足…。しかもあさっては、自分でピアノを弾きながら歌おうという無謀な試み…。
まあ、前に一度、所沢で、弾き歌いのコンサートという無謀な試みがあるからねぇ…。あのときに比べたら1曲だけなので、まだ気は楽だけど。
 しかも、所沢の時は、両親が相次いで倒れて、前日くらいまでいけるかどうかわからず、東京へ向かう新幹線の中で選曲をしたという、ほとんどぶっつけ本番に近いコンサートだった。
 あの時、神学校の先輩であるK先生に「あなたはもっとしゃべりを生かしたほうがいいんじゃないか」とアドバイスされた…。当のご本人はすっかり忘れておられるようだけど、いま、自分の教会どころか、他教会でも、証しや賛美や、メッセージまでも取り次がせていただけるようになったことに、驚くと共に、今の自分があるのは、初めて招いてくださった(ほとんど押しかけだったけど(^^;))、K先生の教会でのご奉仕があったからかなあ、なんて思う。

 わたしってば、とにかく脳みそが足りないと言うか、容量不足というか、色んなことを一度に考えられない頭をしているらしいのに、次から次へと色んなコトを考えなくちゃいけないので、脳みそが疲れているんだろうな…、体よりも。
 この伝道旅行で、少しリフレッシュできるといいな…。

私は悩む者、貧しい者です。主よ。
私を顧みてください。
あなたは私の助け、私を助け出す方。
わが神よ。遅れないでください。
詩篇 40:17
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月20日

no title

 カウンターが23000を超えた。1周年の時、カウンターがどれくらいだったか、見ておくのを忘れたけど、22000は超えていたような気がする。
 いずれにしても1年でこんなに伸びるとは思いもしなかった。それほどたくさんの人が見てくださっているということだよね。
 昨日はまた、土曜日のわりに、たくさんの人が見てくださったようで…。
興味本位の人もおられるだろうし、わたしのことを気にかけてくださっている方もおられるだろう。通りすがりの人が、思わず足を止めたくなるような、足跡を残してくださるような、そんなサイトになったら嬉しいなぁ、と他人事のように思う。
 それって、自分が努力しなくちゃダメってことだよね。
いつも書いているけど、自分の力だけでがんばるんじゃなくて、主にあって、ベストを尽くすこと、それが必要なのだろう。
 掲示板の管理など、神様の知恵を頂かないとやっていけない、とつくづく感じることもある。不特定多数の人への配慮のために、誰かに辛い思いをさせていることもあるだろうと思う。
わたし自身が傷つくこともある。時には掲示板をおくのをやめようかと思うこともある。
 それでも、通りすがりの誰かが、足跡を残してくださるのを主に期待しつつ、掲示板は続けていこうと思う。
ここが、人々の暖かな交わりの場となることを、ただ主に期待して…。

 最近、毎日詩音ちゃんのことを叱りつけてばかり。
何でこんなにわがままな子になっちゃったんだろう。イヤイヤ、きっと何か理由があるんだよね。
わたしが忙しくしているからかな。
わたしが今まで、甘やかしすぎたのもあるかもしれない。
急に変えようと思っても、詩音ちゃん自身が戸惑うだけだろう。
まずわたしが成長しなくては。
 最近詩音ちゃんは、リビングの部屋の隅っこに自分の部屋を作っている。
 小さな箱に新聞紙などを詰めて、「引越し、引越し」と一生懸命運んでいた。最近はおやつを食べるのも、そこまでもって行って食べている。
 小さいながらに自分のお城を築いているのが可愛いね。
早く、詩音ちゃんのお部屋を片付けて、ちゃんとした詩音ちゃんのお部屋を作ってあげたいけど、今はその、空想のお部屋が詩音ちゃんのお城なんだろうね。
 いつか、自分の部屋に閉じこもって、わたしを締め出してしまう時が来るのかな…。

 最近、自分の人間としての小ささ、足りなさを思う。
詩音ちゃんのことを「なんでこんなにわがままなの」と思うより、自分のことを「なんでこんなに欠けの多い人間なのだろう」と思う方が、ずっと思いは深い。
 愛がない、知恵がない、意思が弱い、怠け者、中途半端でいい加減…。
 毎日が情けなくて仕方がない。
それでも、神様が作ってくださった自分をないがしろにしてはいけないね。神様が、以前は役に立たないものだったわたしを、役に立つものへと作り変えてくださったのだから(オネシモのように…)もう少しシャキッとしなくては…。

悲しむ者は幸いです。
その人たちは慰められるから。
マタイ 5:4
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月19日

詩音ちゃん

 今日は、とりあえず家庭集会でした。
今日はピーナツバターのクッキーを焼きました、って言っても作ったのは昨日ね。
菅野先生とこのチャットが終わってから、姉の「大奥」を見ながら…。
 持って行ってみたら、ケーキとアップルパイがすでにあったので、クッキーで丁度よかったかも。この家庭集会はいつもお菓子が美味しくて、「お昼ご飯いらない!」ってくらいで嬉しいのです。お話と、交わりと、食べ物と、全部恵まれるので、最高の家庭集会です!

 さて、問題の詩音ちゃん。4日連続で、マイペースの度が過ぎる、簡単にいうと言うことを聞いてくれないと、保育園の先生からの連絡。
 さすがに、これだけ毎日書かれると凹むなぁ。
以前は、連絡帳を読むのが、毎日楽しみだった。
「詩音ちゃんは、今日は保育園で何をしたのかな?」また時には「こんなことがで来た」と成長ぶりを書いてくださっていたりしたので、楽しかった。
でも、ここのところ、「あれができなかった」「これができなかった」の連続で、ちょっと憂鬱。
 確かに、詩音ちゃんのこと、甘やかしすぎだよね、って夫と話すこともある。でも、いいところも一杯あるし、保育園で他の子供を見ていても、マイペースだったり、いうことを聞かないのは詩音ちゃんだけじゃないと思う。
 先生からの連絡で、気分が落ち込んでしまうので、余計に詩音ちゃんにもきつくあたってしまって、ガミガミかあさんになってしまい、悪循環だろうなぁ、と思う。
 ここのところ、詩音ちゃんがDVDを見たり、結構1人遊びしてくれるのをいい事に、余り遊んであげていたなかったし、夜も、詩音ちゃんが「寝る」と言うまでほったらかしで、寝付くのも遅くなっていたから、ちょっとメリハリのある生活を、親であるわたしが心がけてやらないといけないね。
 詩音ちゃん、昨日はねわたしのことを「おじょうさん」って呼んでくれたの。「なんでそんな言い方するの?」と聞いたら「だって〜、お母さん、可愛いんだもん」だって(^◇^)
 あとね、「ねつれつチューするの〜」と言って、ブチュッとチューしてくれたりね、すごく可愛い。最近は投げキッスも覚えたみたい。
 わたしが連絡帳を見ながら、ちょっぴり情けなくなって泣いていたら「なかないで〜」って泣きそうになってるし、いつもいつも、愛情を体一杯で表してくれる詩音ちゃん。親がしっかりしないとね。
 そうそう、それとね、詩音ちゃんは、ますますおねだりが上手くなってきて、困ってしまう。
以前は、「しおんちゃん、これたべたかったの〜」ばっかりだったけど、最近「たべたくってしかたがないの〜」と言う。なんだか、大人っぽい口調で、どこでそんな言葉を覚えるのか、と思うけど、じたばたしながらそういうのが妙に可愛い。
 今は、我慢することもおぼえさせなくては、と思い、ねだられても、何でも思う通りにはさせないようにはしているけど(許せることは何でも許してあげるけど…)、本当は、心の中では何でも「いいよいいよ」って言ってしまいたい。でも、それじゃ詩音ちゃんのためにならないんだよね。
 神様も、わたしたちに、同じような愛情を注いでくださっているんだろうな。愛しているからこそ、訓練されるんだよね。
 わたしもまだまだ人間も信仰も未熟なので、訓練がたくさんたくさん必要だ。
 子育てを通しても自分を律することを教えられている。
 で、今日は、いつもより少し早めに詩音ちゃんを寝かせることができた。ひとつずつ、ひとつずつ、クリアしていくしかしょうがないね。

私のうちで、思い煩いが増すときに、
あなたの慰めが、
私のたましいを喜ばしてくださいますように。
詩篇 94:19
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月18日

ゆっくり…

 あんまり一気には回復できないみたいです。
体も、心も。
何があったのかと心配してくださっている方もおられると思うのですが、特に何か、大きなことがあった訳ではないのです。
多分、少し疲れているのかもしれません。
今は、余り頑張らないことにしよう、と思っています。
でも、そんなときに限ってやらないといけないことが…。
 少しずつ、少しずつ、優先順位を決めて、やっていこうと思います。

 と、ここまではちょっとしおらしく、ですます調…。
えーと、今日、通販で申し込んだステッパーが来た。
ほんのちょっとやっただけで、息切れがして、足が疲れちゃった。
これで、痩せようなんて、大それたことは思っていない(全然、といえば嘘になるけど)
ただ、少しでも運動不足が解消できたらいいなあ、と思っているのだけど…。
 問題は、結構嵩(かさ)が高いこと。
出しっぱなしにしておいたら詩音ちゃんが、よじ登ったりして危ないだろうし、出しやすいところにおいておかなくては、なかなかやらないだろうし…。これは結構問題だ。
 夫も張り切ってるけどね、例によっていつまで続くことやら。
まあ、でも、きっとないよりはまし…と思うことにしよう。
ネットで、TVの通販の半額くらいの値段で買えたしね。

 中島みゆきの新しいアルバムを聞いた。
今度のは、全部知っている曲で、なんせファーストアルバムの1曲目から始まる、セルフカバー集。
タイトルも「いまのきもち」
ま、実は知っていてBBSのタイトルをつけたのだけど。
 でもね、そのブックレットの中に、興味深い言葉があった。
自分の歌を子供になぞらえて
「古い写真を眺めては、あの頃のおまえは可愛かったのにと
 嘆くことを、私は好かない。」
わたしは、このことばを、自分の子供じゃなくて、自分自身のことに重ねてみた。
ああ、そうだね、いつまでも、昔の自分を懐かしんでいてはいけないね、と…。
 確かに、昔(といっても五歳くらいまでね)の自分はとても可愛かったのだけど(爆)、今のわたしも、精一杯愛してあげなくちゃね。
顔形はもう可愛らしい女の子ではなくなってしまったかもしれないけど、わたしはわたし、「いまのわたし」を、「いまのきもち」で受け止めていこう。
特に昔を懐かしんでいたわけではないけれど、なんだか、そんなことを思いながら、アルバムを聞いた。古い曲から、中期くらいまでの曲だろうか、ほとんどが、わたしが最も中島みゆきを聞いていた頃の曲…。一番最後の曲が、一番なじみは薄いけど、それでもアルバムは持っていたな。その後しばらく、みゆき離れした時期もあったのだけど。
 うん、とにかく懐かしい。
でも懐かしさに留まっていてはいけないんだよね。
最後の曲は「土用波」
♪昔の歌を聴きたくはない♪
という歌詞から始まる。
とすればこれはやはり「今の歌」なんだ、となんと納得させられた。
そして
♪流れゆけ流れてしまえ立ち停まる者たちよ♪
と…。そう、立ち止まっていてはいけないのだね。

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと
考えてはいません。
ただ、この一事に励んでいます。すなわち、
うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる
神の栄冠を得るために、
目標を目ざして一心に走っているのです。
ピリピ 3:13,14


 詩音ちゃんは、最近言うことをなかなか聞いてくれない。
特に保育園でひどいようで、3日連続で先生が“連絡帳”で同じようなことを書いておられる。マイペースの度が過ぎるらしい。
座ってお話を聞くときにフラフラしたり…。
 家で、「保育園の先生のいうことをちゃんと聞いてね。先生に“べー”ってしちゃだめだよ」と言い聞かせるも、「ごめんなさーい」と明るく答えるだけ。
 この前も、両親と外食に行っていてお店を走り回っていて、お店の人に注意された。それは叱らなかったわたしたちが悪いのだけど。
 とにかく自分の気に入らないことは知らんふりで逃げてしまう。
 今朝は、わたしががみがみ叱っていると、「(保育園に)おとうさんといく〜」と。「お母さん叱るから?」と聞くと「うん」だって…。普段「イヤイヤ」言われている夫は、喜んで詩音ちゃんと一緒に出かけていったけどね。
 小さな時から、我慢することを教える必要があるとは思うけど、どの程度、というのが自分でもよくわからない。
 前にも書いたけど、その基準がねぇ…。できるだけのびのびと育って欲しいと思うけれど、自由と放縦は違うこと、どうやって教えたらいいのだろうか…。

 落ち込んでいる時に限って、詩音ちゃんも余り喜ばしくない状態になる。
もしかして、わたしが落ち込んでいることとも関係があるのかな…。
 少し、元気を出さないとね…。

御名を知る者はあなたに拠り頼みます。
主よ。あなたはあなたを尋ね求める者を
お見捨てになりませんでした。
詩篇 9:10
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月16日

ゆったりゆったり

 昨日は、詩音ちゃんと一緒に2時間ほど寝たあと、目が覚めてしまい、結局6時前まで眠れなかったので、今日は一日、ゆっくり過ごした。
ネットも最小限にし、ベッドで横になり、本を読んだり聖書を読んだり、大半は寝ていたけれど(^_^;)
 朝、出掛けに夫に「落ち込んでる」と話したら、朝のミーティングから、直接神戸のセミナーに出かけるといっていた夫が、神戸に行く前に、家によって一生懸命励ましてくれた。
 ここのところ、互いに忙しすぎて、また色々な出来事もあって、夫婦もすれ違いが多くなっていたような気がする。
 わたしは、理性的な人間だと思っていたけど、最近つくづく思うのは、女性特有の感情的な部分もたーくさん持っているということ。
 だから、夫とのすれ違いが続いて、きちんと向き合う時間が足りないと、そういう感情の部分がなんとなくギクシャクしてくるようだ。
 それと、夫自身も、わたしに対して、色々と要求が出てきているのだろう、と思う。
 それに対しても、わたしは神様と向き合って、答えを出していかなければならないと思う。

 日記を読んで、メールで励ましてくださったお友達がいた。
そのメールを見て、励まされ、そして、今は、神様ときちんと向き合っていくこと、神様の御心を求めること、それが何より第一と、もう一度確認できた。
 「ありがとう」と心から感謝した。

 夫婦がギクシャクすると一番可哀想なのは子供。
できるだけ子供の前で言い争ったりはしないようにしよう、と思うけれど、忙しくなってくると、子供と一緒の時しか夫と顔をあわせている時間がなかったりする。
 そんな時、詩音ちゃんは、とても気を遣っているのがわかる。
できるだけ、知らん顔をして、わざと関係ない話しを、笑顔で話しかけてきたり…。
 先日も、父と母の喧嘩をみて泣いてしまったし…。
子供は敏感だ、とつくづく思う。小さな心を傷付けないよう、日々気をつけなくては…。

 詩音ちゃんは、最近自分の成長に関して自覚があるらしい。
「しおんちゃん、(ごはんを)ぜーんぶたべたからおおきくなったのよ〜」
「で?でもおかず残したでしょ?」
「だからちーちゃくなったのよ〜」
オイオイ、大きくなったり小さくなったり、なんと都合が良い事。まるで「不思議の国のアリス」だね。
 でも、そんな無邪気な詩音ちゃんが、わたしの心にいつも大きな慰めと励ましをくれる。
 少なくとも、ここに一人、わたしのことを必要とし、そして認めてくれている人がいる。わたしはいつまでも凹んでいてはいけないね。≪4:00pm≫

 食欲がない。朝から食パン半分くらいしか食べていないのに…。今日は夫も留守なので、ついつい億劫になってしまう。
詩音ちゃん共々耳鼻科に行っていて夕食の支度が遅くなってしまった。とにもかくにも、詩音ちゃんのためにも、夕食を一緒に食べなくてはね。
≪7:00pm≫

高ぶって、多くを語ってはなりません。
横柄なことばを口から出してはなりません。
まことに主は、すべてを知る神。
そのみわざは確かです。
Tサムエル 2:3
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月15日

no title

 今日は、なんとなく心の浮かない1日だった。
例によって、御奉仕のあとの倦怠か…。
でもそれだけではない、何かが心にかかる…。
眠れない。

 わたしは一体毎日何をしているのだろう…。
自分では精一杯のことをしているつもりなのだけれど、結局、何もかもが中途半端で、周りに迷惑ばかりかけているような気がする。
わたしには何かが欠けている。
イエス様に埋めていただくことを、ただ祈っていこう…。

それは私の切なる祈りと願いにかなっています。
すなわち、どんな場合にも恥じることなく、
いつものように今も大胆に語って、
生きるにも死ぬにも私の身によって、
キリストがあがめられることです。
ピリピ 1:20
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月14日

no title

 今日は、またまた、父と一緒に大阪の教会での御奉仕。
 わたしは、礼拝で、証しと賛美のご奉仕に与る。
ぎりぎりまで、証しの内容が定まらず、祈る。
結局、朝の、牧師先生との打ち合わせの中で、「救いの証し」に心が定まるも、ぎりぎりすぎて、内容がまとまらないまま、礼拝に臨む。祈って導きのままに語らせていただいた。
 結果的には、自分では散漫な証しになってしまったとの反省が残ったけれど、あとは用いてくださる主に委ねるしかない。
 のどの方はずいぶん楽になって、まだ、少し痰が絡んだりはしたけれど、6日に比べるとずっとよくなったと思う。奏楽者の方とは朝合わせただけだったけど、よくあわせてくださったと思う。
歌ったのは、「われはおさなご」と「わざをなしおえて」。
「われはおさなご」は、当日が幼児祝福式だったこともあって、自分自身も「幼子の信仰」に立ち返ろうとの思いを込めて。ただ、実は、曲を選んだ根拠は、曲の内容よりも、初めての奏楽者と合わせるということで、アレンジの決まっている曲、伴奏譜のある曲がよいだろうということがひとつの理由だった。
それでいて、あまり大曲をやるのも、礼拝に相応しくないように感じたし、奏楽者の方の負担にもなるかと思い、選ぶのに苦慮した。その中で「われはおさなご」はピッタリのが見つかったと思うけれど、もう1曲の「わざをなしおえて」は、自分でも、証しとどうつなげるか…というのがぎりぎりまで見えてこなかった。
 でも、最終的には、自分の中でちゃんとつながって、心を込めて賛美できた。
全部神様の導きだったのだと思う。
 賛美は、午後の父の集会でも、最後の会衆賛美のリードと言うことで、「驚くばかりの」1,2番をソロで賛美させていただいた。
 こうして、賛美のご奉仕に与れることは、本当に何よりの喜びだ。
 父がメインゲストの集会は、たくさんの方がこられていた。
始めてその教会に来られた方もかなりおられたようだけれど、他教会から来られた方も結構おられたようだ。
 考えたら、大阪市内の教会で父の証しが語られるのは初めてのことだった。伝道者の方も来られていて、「自分の教会でも…」とおっしゃってくださる方もおられた。
 また、今回の集会では特に、担当者のN兄が、本当に熱心に取り組んでくださったことが印象に残っている。
 事前に図書館で、父や母の著書を借りて読んでくださったり、HPも色々とチェックしてくださっていたようだった。父のことをよく調べ、細かい点にまで配慮いただいて、そのことが集会全体にもいきわたっていたように感じられた。
 牧師先生を始め、教会員の皆様にも、本当によくしていただいて、本当に感謝に溢れた1日だった。
 詩音ちゃんも、いつもの事ながらたくさんの方に可愛がって頂いて、幼児祝福式にも与ることができて感謝だった。

イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。
「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。
止めてはいけません。
神の国は、このような者たちのものです。
マルコ 10:14
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月12日

参観日

 今日、保育園に、またもや遅刻しながら詩音ちゃんを連れて行ったら駐車場に車が一杯…。
 うむむ?…あ、今日参観日だった!
まあ、小1時間のことなので、駐車場の外に車を止めて、ちょこっと見学して来た。
 10時くらいになって「仕事もあるし帰ろう」と思って詩音ちゃんに「お母さん仕事行くしね」と一生懸命「バイバイ」しているところへ園内放送。
 「駐車場の前においてある緑の車、ご近所から苦情が来ているので至急移動してください」
「エライこっちゃ、わたしのやん」と思って慌てて行ったら、他にも路駐の車は一杯。
 ただ、わたしのだけが位置が悪くて、お隣の会社の長ーいトラックの邪魔になっていたらしい。
ま、路駐は路駐、迷惑駐車であることに変わりはないので、丁度帰るところだったし、大急ぎで発進したけど。

 今日はコープの共同購入の日だったのに受け取りにもいけなくて、グループの方に迷惑をかけてしまった。
 グループのリーダーの方は、教会のメンバーで、わたしが忙しいのをわかっていて、以前から、わたしがいけないときは教会の冷蔵庫に入れておいて下さったりしているので、あとでメールで謝っても、「大丈夫です〜」って受け流してくださったけど…。
 全く、子供の遠足のリュックは忘れるわ、参観日は忘れるわ、本当になんて母親なんでしょうねぇ…。

 でも、詩音ちゃんの参観ができたのは嬉しかった。
すごく可愛かった。
 保育園についたらもう「リズム活動」が始まっていて、詩音ちゃんは「いってくる〜」と走って行った。
お母さんたちがたくさん見守る中で、いつもと雰囲気が違うからか、お母さんに抱っこされてなかなか真ん中へ出て行けない子供たちも結構多かった。
 いつも腕白なH君とH君、二人はお母さんがこられていなかったからかな?元気に動き回っていて、女の子は真ん中に出て頑張っていたのは詩音ちゃんだけだった。
 先生も連絡帳に「どんな環境でもいつも同じ姿の詩音ちゃん。ホントにすごいなぁ〜と感心しています」と書いてくださっていた。
 詩音ちゃんは、わたしがいても特別にはしゃいだ様子もなく、他のお母さんがいても恥ずかしがる様子もなく、ホントに、いつもどおりなんだろうな〜って感じがした。
 それにしても、リズム感悪いし、バランス感覚悪いし、大丈夫かね?って感じだったけど、上手下手より、喜んで体を動かしていたことで満足しよう!(^^)
 詩音ちゃんねぇ、実は歌もすごく好きな割に音程がねぇ…。
まあ、これくらいの子供は話す能力でも、まだ不完全で、自分の思っている音を思っているとおりに発音できないということもあるので、音感もね、ちゃんとあってもうまく歌えないだけかもしれないんだけど…。
 わたしも夫も、音楽的能力は飛びぬけてはいないまでも、まあまあ、好きこそものの…という程度のレベルはあると思うので、詩音ちゃんも、そんなにひどい音痴になったりはしないと思うけどね…。

 今日は朝からボケていたけど、もうひとつおおボケをかましてしまった。
 あんなに楽しみにしていた「Dr.コトー」見るのもビデオに撮るのも忘れちゃったよ〜。メチャクチャショック!!!
 最近のドラマの中でも稀に見る良質のドラマだったから、本当にお気に入りだったんだけどなぁ〜。
明日は絶対に見るぞ!

 わたしたち夫婦のよく知っている青年が、事故を起こされたとの事。
 食事の時に、連絡を受けて、食後、夫は相手の方の病院へ駆けつけていった。相手の方はかなりのダメージを受けておられるとの事…。
 わたしたちの教会のメンバーではないけれど、夫との関わりは深い…。彼は今、他にもいろいろと問題をかかえていたところ。
わたしたちも事故の報告を聞いて絶句した。
 どうか相手の方が守られますように。どうか回復が与えられますように。また、心ならずも加害者になってしまった兄弟の上に神様の最善のお取り扱いがありますように。
 今、午前3時半。夫はまだ帰ってこない…。わたしも眠れずにいるけど、日曜の奉仕もあるし、もう寝なくてはね…。

起き上がって、自分の足で立ちなさい。
わたしがあなたに現われたのは、
あなたが見たこと、また、これから後
わたしがあなたに現われて示そうとすることについて、
あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。
使徒の働き 26:16
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月11日

結婚記念日

 今日は結婚記念日。
なのに朝から夫と喧嘩。
それも子供みたいな…。
だって夫が、わたしの大事な花梨エキスを勝手に飲もうとするんだもん。
 でもね、そんな些細な日常のひとコマも、結婚していればこそ、家族がそばにいてこそ、なんだと思えば感謝。

 昨日、詩音ちゃんのことを書き忘れたので、忘れないうちに書いておこうと思う。
 一昨日クリアできたリングジム、昨日もう一度やろうとしたら、丸1日たったらやり方を忘れたみたいで、途中で引き返してくる。
昇るところまでは前(下)というか、足を置くところと同じ列の棒を持てばいいのだけど、上まで登って横にわたる所になると、頭の上の方に手を移動しなくてはならない。そのタイミングというか、切り替えがうまく行かないみたいで、もたもたしている。
途中で気移りしそうだったので、ここは頑張っておかなくちゃ、またできなくなる、と思い、一度は「もうやらないの!?」と少しきつい口調で言ったら、もう一度、とチャレンジし始めた詩音ちゃん。とまって引き返しそうになったときに「上上、上持ってごらん」とことばを添えると思い出したのか、ちょっと震える手で上を持って、横移動を始めた。
そうしたらちゃんとクリアできた!
 嬉しくなってもう1回、と頑張った詩音ちゃん。途中で足を踏み外して、手だけでぶら下がってしまったけど、下には落ちなかったよ。ちょっと支えてあげたらリングに足を戻して、ちゃんと最後まで降りることができた。よく頑張ったね!

 それとね、詩音ちゃんはお迎えに行った時いつも
「おかーしゃーん!(^◇^)」と駆け寄ってくれる。
 昨日もそうだったのだけど、それを見た先生が、「こんな風に来てくれると嬉しいですよね〜」と言ってくださったので、見せ付けるみたいに、わたしがしゃがんで両手を広げるとヒシと抱きついてくれる詩音ちゃんを「ガシッ」と言いながら抱き合って、「うちはお母さんと詩音ちゃん、ラブラブなんですぅ〜」と言うと詩音ちゃんは「おとーさんと、おかーさんと、しおんちゃんと、みんなダブダブ(ラブラブ)〜」と言ってた。
先生も微笑みながら見てくれていたけど、ホント、うちはみんなダブダブ、いやラブラブなんだな〜(お腹のお肉はダブダブだけど(爆))。

 今日のお昼は、夫と一緒に京都の半兵衛という生麩のお店に「むしやしない」というお料理を食べに行った。
「むしやしない」というのは、関西のことばでちょっとした空腹しのぎ、という程度のこと。満腹するほどじゃないけど、腹の虫を養う程度の量はあるという感じかな。
でも、半兵衛の「むしやしない」は女性なら十分お腹が膨れるだけの量があり満足できる。
生麩と湯葉を使ったお料理で、京都ならではのお料理。お昼だけ、しかも完全予約制という、これもまた京都らしいかな、と思う。前日に電話したらもう2時半(最終)しかお席が空いていなかったので、午後から出かけた。夫は特に休暇をとった訳ではないので、午前中は仕事をしていたし、ゆっくりとデートを楽しむことはできなかったけど、キリスト教書店に寄って、ちょっと贅沢なお昼をゆったりと頂いて帰ってきた。夫はキリスト教書店に行く必要もあったので(今日でなければならなかったという訳ではないけど)、うまく時間を使うことができたと思う。
 それにしても、わたしはホントに、幸せだなぁ、と思う。
わたしが大好きなものを、夫が一緒に味わってくれるんだもの。
 ある人は、自分の伴侶が「自分と感動を共感してくれない」と悩んでおられた。わたしは、基本的には、「夫婦だからと言って、そんな同じ物を見て同じように感動するなんてことはないよ」と答えた。それは実感だ。
 TVや本などを見て、または夫が外で聞いてきた新しい意見に、すぐにわたしが夫と全く同じようにに共感することは稀だ。
 それでも、まあ、亭主の好きな赤烏帽子で、一緒に生活しているうちに、夫の好きなものがわかってきたり、夫が見ている歴史ドキュメントを一緒に見たりする様にはなってきた。必ずしも感動しなくても、相手を理解する一助になると思うこともあるし。
だから夫は、夫婦にとって大切なことは「同じ時間を共有すること」という。喧嘩したり笑ったり、そういう時間を積み重ねることで、互いを理解できるようになるし、それが思い出にもなる、と…。
 夫は北国の人だから、基本的には味付けの濃いのが好みだ。でも、だんだんと関西風の味付けにもなじんできたようで、味の薄いのも余り文句を言わずに食べてくれる。
 それだけでなく、今まで食べたことのないような「生麩」などのようなものも、積極的に食べてくれる。
 もちろん、無理やり嫌いな物を「好き」と言うことはない。
でも、結構わたしの好きなものは認めてくれて付き合ってくれるようになってきた。
 こういう小さなことの積み重ね、一つ一つが幸せだなぁ、と思う。
 まあ、しょっちゅう喧嘩もするわたしたちだけど、夫と二人で食事をしながら、今までのことを振り返りながら、幸せをかみ締めた。
 わたしにはこの人しかいないんだなぁ、って。
神様が導いてくださった人なんだなぁ、って。
何よりも、一緒に神様を仰いで、一緒に神様のために働くことができる…。これより幸いなことはないと思う。
 わたしたちの職業を、「大変なお仕事でしょう」と言ってくださる方もあるけれど、わたしにとって、これ以上に素晴らしい仕事はないと思う。というより、これ以外の道は考えられなかった。どんな仕事であっても、困難なことや、問題は起こる。そういう意味で、同じようにわたしたちの仕事も困難なことや問題は起こる。何よりも人の魂に関わる仕事であるということは、責任の重いことでもある。しかし、会社において、何か問題が起こったら最終的な責任はその会社のボス、社長が取ってくれるのと同様に、わたしたちの仕事において、その最終的な責任は、わたしたちのボスである神様が取って下さる。わたし達は、ベストを尽くして、自分の前に置かれた務めを果たしていくのみだ。
 その、働きを、愛する人と共に歩める幸い。これほどの幸せは、他にない、とわたしは思う。
 これからも、ずっと、ずっと、この人と一緒に歩んでいきたい。イエス様を真ん中に…ね!

いまだかつて、だれも神を見た者はありません。
もし私たちが互いに愛し合うなら、
神は私たちのうちにおられ、
神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
Tヨハネ 4:12
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月10日

4年前

 4年前の今日、独身最後の日をすごしていたんだなぁ…。
そして、去年の今日、「空の鳥、野の花」を開設。
 この4年、色々なことがあった。
伝道師として過ごしたY教会。牧師夫妻として迎えられた今の教会。そして、出産…。両親のバプテスマ。そしてそして、サイトの開設。
 自分が以前いた教会や群れから、全然違う環境に来て、正直に言えば戸惑うこともあった。失った交わりもあった。けれども、それ以上にたくさんの、数え上げればきりのないほどの出会い。それも、素晴らしい、素晴らしい出会い。ただただ、感謝。本当にそれ以外に言葉が出てこないほど、感謝の気持ちで一杯。
 もちろん、嬉しいことばかりがあったという訳ではないけれど、主・イエス様は、全てを益として下さり、沢山のことを教えていただいた。たくさんの恵みを頂いた。
 この4年間に出会えたお一人お一人に、そしてまた、今まで関わり続けてくださったお一人お一人に心からの感謝を申し上げたい。

 そして、このサイトを始めて、やっと1年、ついに1年、もう1年。そして、まだまだ1年。
 サイトを通しても、素晴らしい出会いがたくさんあった。
かけがえのない友人もできた。
出会った方を教会の特別コンサートに招くことも出来た。
交わりを通して、たくさんのことを教えていただいた。たくさんのことを考えさせていただいた。
 このサイトは、わたしにとっても、大切な恵みなのだと思う。
最近、記事の更新がほとんど出来ていないのだけど、これからも、息長く、細く長く、続けていきたい。
誰か一人でも、このサイトからイエス様の素晴らしさを感じ取っていただければ、嬉しい。それがわたしの願い…。
わたしには何も出来ないけど、こんなわたしだけど、何か、ひとつでも伝えることができたら…。
 また、次の1年も、よき出会いと交わりを神様に期待しつつ…。

 それにしても、この拙いサイトをずっと見てくださっているお一人お一人に、心から感謝致します。。
これからもどうか皆様よろしくお願いいたします。

私はあらゆる時に主をほめたたえる。
私の口には、いつも、主への賛美がある。
詩篇 34:1
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月09日

体調不良

 昨日の夜から、とてもしんどい。
土曜の奉仕が終わって、日曜が終わって、ちょっとほっとしたのか、昨日から“ホヘ〜”としていた。
それが、夕方になってもう、頭痛と疲れで限界。
 昨日のお昼は、少し体力を付けようと夫と焼肉を食べに行ったのだけど、夕方には、ますますダウンしてしまった。
 結局、夕食も、夫がシチューを作ってくれた。
今日の朝は何とか起きて、詩音ちゃんを保育園に送り込んだけど、帰ってきてベッドに直行。
 頭痛と疲れがピーク。お昼も、帰ってきた夫がチャーハン(焼き飯)を作ってくれ、昨日のシチューと共に食べたけど、やっぱり食欲がない。
 夕方、夫が神戸のセミナーに行く支度に戻ってきたけど、一人で詩音ちゃんの食事をしたり世話をしたりする自信がない。思いついて実家に電話したら今日は家にいるとの事。「詩音ちゃんがグランマのお家に行きたがっている」と話すと二つ返事で「おいで」との事。神戸に行く夫に車に乗せて行ってもらい、実家でおろしてもらう。
 実家で夕食をご馳走になる。なんと今日は蟹チリ。ちょっとラッキー。詩音ちゃんの面倒も母に見てもらって、ちょっとゆっくりさせてもらう。
詩音ちゃんは、「グランマとおふろにはいる」と言ってグランマを喜ばせ、お風呂にも入れてもらった。
 夫が帰りに実家に寄ってくれ、父とコーヒーを飲んで、今日セミナーで学んだことを分かち合ってくれ、少しほっこりして、帰ってきた。
 少しは楽になったけど、本当に、こんなにしんどいのは久しぶり。
明日も、家で寝るか、寝屋川の病院まで行くか、うーん、悩むところ。

 詩音ちゃんは、今日ループジムと言うのかな、ジャングルジムじゃないけど、鉄のワッカがつないであるジムみたいなのをクリやできた。
 前から、お迎えに行った時に時々途中まで昇っていた詩音ちゃん。今日、園の野外保育の時に、先生が指導してくださったらしく、連絡帳にもそのことが書いてあった。
 実家に行くので、今日は園庭で遊ばずにまっすぐ帰りたかったけど、詩音ちゃんは、是非それが見せたかったのだろう。一直線にループジムのところへ走っていった。
わたしも、詩音ちゃんが、ループジムをクリヤするのが見たかった。待っていた夫には申し訳ないと思ったけど、「1回だけ」と約束して見守った。
 びっくりした。ついこの前まで、どうしても前に進めなかったのに、上手にできた。先生の指導も上手かったのだと思う。さすがプロ!と思った。でも、詩音ちゃんは、小さい時からよじ登ったりするのは上手かったものね。ブランコは未だに漕げないけど、ね。
 そうそう、それから、最近、怪我をしたりするとわたしが絆創膏を張ったところに手を当てて、「早く治りますように」とお祈りするのを見て覚えたようで、この前も、夜寝ようとしていたときに、暗がりで突然「しおんちゃんのここのところがはやくよくなりますように。いえすさまのおなまえによっておいのりします、あーめん」と一気に言い出したのでどうしたのかと思ったら、貼ってあった絆創膏がはがれていた。
ちゃーんと、親のしていることを見ているんだね。気が向かないと、お祈りもなかなかしない詩音ちゃんだけどね。

 詩音ちゃんの日々の言葉を書きとめておきたい、と思いつつ、最近は日記も疎かになっているので、なかなか出来ない。
今しかない日常を少しでも刻んでおきたいのだけど…。
 今は日々、詩音ちゃんの成長を感謝し、育んでいきたい…。

知恵ある者はだれか。
その人はこれらのことを悟るがよい。
悟りある者はだれか。
その人はそれらを知るがよい。
主の道は平らだ。
正しい者はこれを歩み、
そむく者はこれにつまずく。
ホセア 14:9
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月07日

日記のスタイル

 昨日、思い立って日記のスタイルを二本立てにしてみた。
カレンダータイプと、従来の物と。
自分でもまだ迷いがある。
 同じカレンダータイプでも、旧Diaryのときは、日記を呼び出したら、後は前後の日記も連続して読むことができたけど、今度の物は、全く1日分ずつしか出てこないので、ちょっと面倒くさいかなぁ。
 ただ、このカレンダーはきちんと日曜始まりになっているところは気に入っている。
 サイトを開いて間もない頃、まだ日記には曜日がついていなかった。ある方が「クリスチャンにとって曜日は大切なはず」と、ご指摘くださった。
それから、カレンダーのスタイルをカレンダー連動型の物に変えた。ただ、ソフトに入っていたテンプレートだったので、月曜始まりになっているのが不満だった。
クリスチャンのカレンダーは、やはり日曜始まりだよね。
 まあ、日記の方は両方、このままずっと貼り付けておいても、特に不都合はないので、見たい人の自由で見ていただいてもいいのだけど。

 父の足は、血栓ではなかったらしい。むしろ、ワーファリン〔血液の凝固を抑制する薬〕が効き過ぎていて、出血の心配の方があるとのこと。母は、この事実がわかってよかった、と言っていた。
 父の足は、やはり菌から来る腫れと痛みらしい。
見ていて痛々しい。
いつ召されてもよいと、覚悟は出来ているつもりでも、出来るなら、生かされている間は機嫌よく仕事に行けるように…と願う自分勝手なものだなぁ、とつくづく思う。
 主の御心を、どんな時も受け止められるようになりたい。

 詩音ちゃんのお祈り〔親バカネタ〕
 最近は詩音ちゃんは、随分上手にお祈りできるようになった。
「あいするてんのかみさま、きょうもいちにちありがとうございます。
このごはんをありがとうございます。
いえすさまのおなまえによっておいのりします」
これだけのお祈りは、食事前、気が向くと一人で出来る。
でもちょっと恥ずかしいのか、少し舌を巻いたような、変な発音で話す。
 いつか見た、夢のお祈り。それにはまだまだ遠いけど、少しずつお祈りすることを覚えていることは感謝。
 今日は、聖餐式のパンとぶどうジュースが欲しくてワンワン泣いていた。
最近、色んなことができるようになって、「詩音ちゃん大きくなったねー、お姉ちゃんになったね!」って誉めることが多い。
それを逆手にとって(?)「しおんちゃんもうおおきくなったからー(ちょうだい)」と言ったけど、さすがに聖餐式のパンやぶどうジュースはね。
 詩音ちゃんはかなり長い間泣いていた。クリスチャンホームの子供は、一度は通るようだけど、こんなに激しく泣いたのは初めてだね。詩音ちゃんが早くバプテスマを受けて聖餐に一緒に与れますように!
 それとね、最近「詩音ちゃんなんでそんなに可愛いの?」と夫が聞くと「だっておとうさんだいすきだから」と言うようになったよ。夫婦が揃っている時には「おとうさんとおかあさんがだいすきだから」と言うようになった。
詩音ちゃんは、人を喜ばせるのが上手いね。
そこがまた可愛いんだよね!

あなたがたは、
彼らの行ないとわざとを見て慰められる。
このとき、あなたがたは、
わたしがそこでしたすべての事は
ゆえもなくしたのではないことを知ろう。
――神である主の御告げ――」
エゼキエル 14:23
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月06日

ありゃりゃ

 毎日日記をつける、というのをやめた途端、2日も飛ばしてしまったわ。

 4日(木)は婦人会だった。
 このところ忙しくて疲れていたのもあって、お菓子作りは断念。
日曜日に皆で頂いた「もみじ饅頭」も残っていたし、Sさんに頂いたクッキーもあったので、それを持参。
 でもね、集会後、有志の方とお食事に。前からK村さんが誘ってくださっていたので、いそいそと…。
 すごくおしゃれな和食のお見せで、手ごろなお値段で、手ごろな昼食。その日いける方数名と同行し、丁度先日婚約したばかりのK兄も来られたので、一緒に。
 普段、教会だけではなかなか話せない方と少し話せたりして、こういうのもたまには良いな〜、と思った。
もっと色んな方とお話しする機会をもてればいいと、切に感じた。

 5日(金)は、実家へ。
北海道のおじさんから美味しいお魚がどっさり届いた。聞けば、おじさんは実家へ送りたかったらしいのだけど、留守が多いだろうと、こちらに送ってこられたとのこと。もちろん、うちにも下さったのだけど。
 これがいつもながら美味しいお魚なので、西宮に転送しようと思ったのだけど(もちろん、自分とこの分はちゃっかり取り分けて)6日(つまり今日)は、両親は朝早くから家を出て長浜に向かうため、受け取ることが出来ない。
かと言って日曜まで、ウチにおいておくことも出来ない、という訳で、実家まで届けに。
 夜、母からあった報告によると、高速代で、この魚を買おうと思っても、このあたりでは買うことができないほど美味しかった、との事。わたしはまだ食べていないけど、楽しみ〜!

 今日、6日は、長浜教会での「コンサート&講演会」
わたしも、風邪で喉&鼻の調子が悪く、父も、先日から、足に菌が入り、痛みを訴えていたので、少し心配だったけど、何とか、無事、終えることができた。
 父の足は、今朝も、朝イチで点滴にいって、少しましになったとのことだった。
 とはいえ、父は、待ち合わせ場所に痛そうな足を引きずり引きずりやってきた。元々、若いときに足を複雑骨折しているのが、年をとって何度も入院したりして、弱っているところへ、菌が入って腫れ上がり、痛みもあるというので、見ていても、痛々しい。
 でもそこはプロ、舞台(講壇)に立ったら、足が痛いことなど微塵も感じさせずに1時間ほど、立って証しを語っていた。
 自分の父親のことなので書きにくいけれど、わたしのすぐ後ろに座っておられた方は、終わるなり「素晴らしい!さすが落語家や」と唸るようにつぶやいておられた。クリスチャンの方だったようで、途中で「アーメン」とおっしゃっている声も聞こえ、単に話し振りだけでなく、ないようにも満足してくださっていたのだな、と感じた。

 わたしのコンサートは父の前座で、30分くらい。6曲歌わせていただいた。
 喉は、痰は切れたものの、やはり本調子でなく、音楽的な点数をつけたら風邪をひいてしまった自己管理の悪さも含めて30点くらいのものか。
 でも、言い訳になるかもしれないけど、賛美は、そういう音楽的な点数だけでなく、御聖霊様の働きもあり、技術だけではない面も多々あるので、点数はつけられないな、と思っている。
 今の自分に出来るベストを尽くした。
神様を見上げて賛美させていただいた。
自分自身が通りよき管になれたかどうか、自信はないけれど、用いてくださる神様に期待し、感謝している。
 必要なメッセージを、必要な方に神様が伝えてくださるように、と願いつつ…。
 終わってから、長浜教会の役員の方が、「念願が叶った…」と異口同音におっしゃって下さった。
 実は、2000年の春頃だったか、わたしがまだ夫と婚約中に、団体のある聖会で賛美させていただいたのを聞いてくださった、長浜教会の役員の方が、当時からずっと「いつか教会で歌ってください」と声をかけてくださっていたのだ。
 風邪をひいてしまって準備不足だったことは、本当に申し訳なかったけれど、そのような祈りに支えられて今日の日を迎えられたことは、何よりも嬉しいことだった。

 今日の出席は、全体で、8,90名との事。その中で、普段教会に来ておられない方(新来会、また再来会者)が、20名以上はおられたとのこと、本当に感謝し、主の御名を崇めます。
 長浜には、実は本吉本興業のマネージャーをしておられたと言う市会議員の方がおられ、その方が、案内を見て、父を訪ねてきてくださり、また集会も最初から最後まで出席してくださった。
両親にとっても嬉しい再会だったのではないかと思う。
 また、大切な賛美のパートナーである奏楽のT姉のご両親が、揃って出席下さったことも、とても嬉しかった。

 教会の方々のご準備、いのり、またわたしたちへのもてなしにも、心から感謝した。父が糖尿であることを事前に話していたので、それに合わせた食事をご用意くださったり、ゆっくり休憩できるようにと、落ち着ける控え室を用意してくださったり、何から何まで、至れり尽くせりだった。

 また、詩音ちゃんは子守の部屋に、子どもたちがたくさんいたこともあって、集会のはじめに夫が連れて行ったら、すぐになじんだようで、夫にも、客席でゆっくり聞いてもらうことができた。
 集会後も、わたしがほったらかしでも全く平気で遊んでいた。
どこへいっても可愛がっていただける、幸せな子だと、つくづく思う。

 今日も、朝からメールや掲示板で、多くの励ましを頂いた。
本当に嬉しく励まされた。
祈りの援護射撃のあることがどれほど大きなことか。
それなくしては、わたしは立っていることもできないのではないかと思う。
 夫も、よく協力してくれた。
イヤ、まだこれからも、父のことで、わたしが家を留守にしたりすることが多々あるだろうけれど、快く応援してくれていることに、心から感謝しなくては、といつも思う。
 夫とは、色々と食い違うこともあるけれど、最終的にいつも思うのは、「夫はわたしにとって最高のパートナー」だということ。
神様に感謝しなくてはね!

私は、
主の恵みと、主の奇しいみわざをほめ歌おう。
主が私たちに報いてくださった
すべての事について、
そのあわれみと、豊かな恵みによって
報いてくださったイスラエルの家への
豊かないつくしみについて。
イザヤ 63:7
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする