2004年12月31日

今年の恵み

 数えればきりがない。
今年はわたしにとって忘れられない1年となった。
であったお一人お一人に、感謝のことばを伝えたい。
感謝の気持ちを伝えたい。

 皆さんの愛と祈りに支えられた1年でした。
本当に本当に、幸せな1年でした。
確かに、辛いこと、悔しいこと、悲しいこともあったけれど、それらは主の愛を学ぶ機会でした。
 そして何よりも、今年、兄弟姉妹の、主にある愛に包まれて、守られて、過ごすことができたことを心から感謝しています。

 わたしは、自分の弱さから、そして心の狭さから、何より愛のなさから、多くの人を傷つけてきました。
どうか、赦してください。
 そして、できることなら、そんなわたしの成長のために、是非是非、お祈りいただければ、と思います。

 また、多くの方が、書き込みはしなくとも、サイトを訪れ、読んでくださったことを、心から感謝しています。
わたしのことを心にかけ、祈りに覚えてくださっているお一人お一人に、心から感謝いたします。

 来年もまた、主に期待しています。
皆さんとも、さらによきお交わりができますように。
さらに、新しい方とのお交わりができますように。
さらに豊かに主に用いていただけますように。
さらに主に近づく歩みができますように。
さらに、声をあげて主を賛美していくことができますように。
さらに主、イエス・キリストの御名を高めていくことができますように。

 本当に、今年1年ありがとうございました。
 主にあって、来年もよろしくお願いいたします。

ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、
まるでひとりででもあるかのように一致して
歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。
そして、ラッパとシンバルと
さまざまの楽器をかなでて声をあげ、
「主はまことにいつくしみ深い。
その恵みはとこしえまで」
と主に向かって賛美した。
そのとき、その宮、すなわち主の宮は雲で満ちた。
U歴代誌 5:13
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2004年12月30日

映画デビュー

 今日はね、詩音ちゃん、映画デビューだった。
いや、ホントは映画館デビュー。
初めて映画館にいって映画を見た。
見たのは「とっとこハム太郎」。
 切符を買うときに、「何歳から子供料金ですか?」と聞いたら「3歳からです」と言われた。
ほんの20日ほど前に3歳になったばかりで、ごまかそうと思ったら、ごまかせたけど、そこはやっぱり嘘はいけない、と思って、「じゃあ、大人2枚と子供1枚」。でも、丁度昨日は、レディスでーだったので、大人2人分に少し足しただけで3人見られたから、よかった!
 詩音ちゃん、見終わった後「面白かったね!」と話しかけると「たこおばけでてきた!」「おにさんもいた」
映画が始まるまでは、結構ウロウロしていた詩音ちゃんだけど、映画一本は、しっかり見られたので、よかったよかった(^^)
 夫は、ハム太郎が鬼退治に出かけるところまでは記憶があったけど、気がついたら、鬼をやっつけたところだったそう…間の記憶がないらしい(爆)
 そのかわり、詩音ちゃんは、2本目の「犬夜叉」はしっかり寝ていたけどね。(^_^;)
 両方ちゃんとみたのはわたしだけじゃん。
「犬夜叉」は、妖怪とかの話だからね、まあどうかと思うけど、友達の辻ちゃんがメインキャラの声優さんだからね、友達のよしみ、ってコトで(^_^;)

 あー、今年も後1日。
大掃除もなーんにもしないうちに、今年も暮れてゆく…。

なまけていると天井が落ち、
手をこまねいていると雨漏りがする。
伝道者の書 10:18
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2004年12月29日

今年最後の

 今日は今年最後の祈祷会だった。
今年最後の礼拝には出席できなかったので、どうしても今日は行きたかった。
 詩音ちゃんも、随分元気になったし、少し遅刻したけど、詩音ちゃんも連れて出席した。
 家で祈るのもいいけれど、やっぱり教会で、愛する兄弟姉妹と共に祈るひと時も、何ものにも変えがたいよさがあると思う。
 その中で、出席者一同、1人一言ずつ、今年の恵みを語りましょう、という時間があった。
 わたしはやはり、ひとつは父のこと、そして父と一緒に多くの教会で御奉仕させていただけたこと…。
 そしてもうひとつはインターネットを通しての出会いだった。
 去年の11月にサイトを始めたけど、特に今年になってからたくさんの方と出会えた。
 その中で、春太郎さんとPRISMさんたちをお招きしてコンサートを開くこともできた。色んな形で、祈り励まし、支えていただいた。
多くの恵みを頂いた。
そうそう、教会では言いそびれてしまったけれど、見学切支丹さんが、受洗されて新米切支丹さんになられたことも嬉しかった。
放蕩娘さんも教会に行かれるようになったし、姉も、サイトを通してクリスチャンの方々とお交わりができた。
 これらのことは、わたしの力ではなく、むしろ来てくださっている方々の実であると思う。色んな意味で、このサイトが用いられたことを感謝している。

 それなりに失敗も多々あって、多くの方を傷つけたり、巻き込んだりもしてしまった。わたしの、至らなさの故だと反省している。文字だけのコミュニケーションの難しさも、痛感した。
自分の愛のなさも、ビシバシ示された。それで訓練されればよいのだけど、相変わらず、自分の心の狭さ、愛のなさを痛感しては凹むことの多い日々だ。
 ただ、色んなことを本音で語れる掲示板として、色んな方のご意見が聞けたのもよかったのではないかと思う。
 うまく言えないけど、最初の頃は、ただの八方美人だったかな、と思う面もあったが、意見の違うことは違う、と言うことも大切なのではないかと思うようになった。
人を傷つけないようにそれをいうのがなかなか難しく、その人自身を否定したかのようにとられてしまうこともあるので、注意しなければいけないと思いつつ、この掲示板にはこの掲示板なりの、言い方を変えれば、わたしの掲示板にはわたしなりのカラーがあっても良いのかな、と思うようにもなっている。
 このサイトに来られている皆さんは、年齢にかかわりなく、精神的に大人で、心のひろい方が多いので、わたしの様な至らぬ管理人を寛容に受け止めてくださっていることを感謝している。

 他にも今年の恵みは色々あって、住まいも、新しいところが与えられて、教会の皆さんの愛と祈りをひしひしと感じている。
経済的には色々と必要もたくさんあったけど、神様はいつも満たしてくださって、それも感謝だった。

 インターネットを通してだけでなく、現実にも色々な方とお会いすることができた。
 振り返ってみれば、小さなトラブルはいくつかあったけれど、今年、本当に恵みの多い1年だったと思う。
まだ、あと2日、今年が残っているので、また、31日にも今年を振り返ることになるかもしれないけど、まあ、31日には自宅に泊まることもあって、日記を書けるかどうかもわからないし、とりあえず、今年の恵みに感謝していること、そして、出会えたお一人お一人に、祈ってくださったお一人お一人に感謝していることを、記しておきたい。

神様、そして皆様、今年1年、ありがとうございました。
来年もまた、よろしくお願いします。

愛する者よ。
あなたが、たましいに幸いを得ているように
すべての点でも幸いを得、
また健康であるように祈ります。
第3ヨハネ 2
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2004年12月26日

no title

 昨日から、詩音ちゃんは、熱が出ている。随分しんどそう。
昨日は保育園で、昼寝起きまではとても元気に、おやつもたくさん食べたんだそう。
でも、夕方外で遊んでいる途中から旧に座り込んでしんどそうになり、それから熱が下がらない。保育園では38度6分くらいだったけど、夜になったら39度4分あった。坐薬を入れて寝たけれど、夜は何も食べられなかったし、水分も無理やりお茶を少し飲ませた程度。
 明け方から何度か目が覚めて、「ぎゅうにゅう、ぎゅうにゅう」と言うので、飲ませたら、飲んでいたし、スポーツドリンクも飲ませたら「しおんちゃんこれだーいすき!」といって飲んでいた。
 病院では、所見から「のどの炎症から来る熱」ということだったけれど、嘔吐があったことから腸炎の可能性も、とのことだった。しかし、今のところ下痢も嘔吐もない。
 朝は少しおにぎりを食べることができたし、昼は、甘栗を食べていた。今はまだ食欲がないので、食べたいものを食べてくれれば良いか…という感じ。
 今朝もまだ39度4分熱があったけど、坐薬を嫌がって、自分で頑張る、といっていた。でも、やはりずっとぐったりしているので、坐薬を入れたら今は少し熱が下がり元気になっている。
 びっくりしたのは、朝方のこと、詩音ちゃんがささやくような声で何か祈っていたこと。
今度は夢じゃない。何を祈っていたのかは聞き取れなかったけど、ささやくような声で話していることに気がついた。時々詩音ちゃんは、遊びながら1人でお話を語っていたりするので、それかな?と思ったのだけど、耳を傾けると「いえすさまのおなまえによっておいのりします」と締めくくっていた。
 何を祈っていたのかなあ?

 たくさんの方が父のための祈りに加わってくださっている。
心から、心から嬉しい。
父は、あれ以来順調でわりに元気にしているらしいけど、出エジプトした民がアマレクと戦ったときに、モーセが手を上げていたように、わたしも、父の証しのために、背後で手を上げて祈り続けていなければ、と思わされている。

 そういえば、23日のこと、今思い出したら、顔は化粧もせず、髪はぼさぼさ、考えたら自己紹介もせず名前も名乗らなかった。
ま、「露の五郎さんの娘さん」ということで皆さん納得しておられたので、それでいいのだけどね(^^;)

 今年最後の礼拝に出席できなかったのは残念。
祈祷会は出られるといいんだけどな。
そういえば、詩音ちゃん、いつの間にか「れいはい」という言葉もしっかり覚えていた。
 昨日の朝「昨日何したの?」と聞いた。24日の夜のことを聞いたのだけど、最初は「Mっちゃん(♂)とあそんだ。あと、Mちゃん(♀)とー、H(♂)とー」ちょっとガクッときたわたし。
気を取り直して、「教会で何したの?」「ケーキたべた!」
「それから?」「れいはいした!」
ヘー、ちゃんと、わかってるんだ。詩音ちゃんはウロウロしていたのにね。少しずつ、少しずつ、神様に導かれているね!

それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの
現われによって明らかにされたのです。
キリストは死を滅ぼし、福音によって、
いのちと不滅を明らかに示されました。
Uテモテ 1:10
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2004年12月24日

補足

 昨日の父の話、慌てて書いていたので、父の状態がどうして起こったのか、と言うことを書き忘れていた。
 父は、何と低血糖を起こしていたのだった。
わたしは、逆に、フルーツなど食べたものだから、血糖が上がったのではないかと心配したのだけど、そうではなかったらしい。
後で母に聞いた話では、ジュース2杯で、回復したらしい。
 また、神戸のS先生が、手を置いて祈ってくださったのだと後で聞いた。
 母の判断と、牧師先生の祈りで回復した父、感謝だった。
きっと、後になれば、「あんなこともあったね」と、感慨深く思い出すような、そんな1日だった。
 実は昨日PRISMのお二人も神戸でコンサートをしておられた。
時間がずれていたら寄りたいなあ、なんて思ったのだけど、結局それどころではなかった。
でも、PRISMのお二人は、10月に、わたしたち親子が神戸で御奉仕していた時にもやはり神戸でコンサートをしておられて、なんだか不思議に、同じ神戸でご奉仕していることが嬉しかった。
 そうそう、夫は、帰りにルミナリエを見に行こうか、なんて話していたけど(父たちを送り届けてから)、そんな気分でもなくなってしまった。わたしは、ルミナリエを、第1回から、4回目か5回目まで、ずっと見ていたので(友達と行ったり一人で行ったりしていたっけ)、懐かしくて行きたい気もしたのだけど、やっぱり今回は、導きじゃなかったのだろう。
 夫は、お詫びに、あるものを神戸の教会にお届けしたいと、徹夜で作業をしていた。 夫のフォローにも感謝したい。
 わたしはというと、とっとと寝てしまい、さらに、まだ、明け方なので、もう一度寝よう、と思っている。(^^;)
ちょっと昨日の日記に書き忘れていたところを思い出したので、目が覚めたついでに書いておいただけなので…。
今日の日記は今日の日記でまた後ほど…。
≪4:40am≫

 今日になって、昨日のことが、改めて色々と思い返される。
やっぱり心には辛さがある。
今年は、父の体の弱さ、加齢ということを、つくづく感じた1年だったように思う。
 今回のような場面に遭遇した時に、医学の心得がないわたしは、ついつい、また、脳出血などの問題が起こったのではないか、と心配してしまう。
 冷静になれば、今までの経験から、父が脳に問題が起こったときは、大体痺れなどの問題があり、今回のような状況とは少し違うと思うのだけど、狼狽すると、正しく判断することができなくなり、余計に気が動転してしまう。
 もっと、神様に信頼して、冷静にならなければ、と思う。
ただ、昨日も少し書いたけれど、「休演」「代演」ということは覚悟していたけれど、今回のように、講壇で話している途中に問題が起こるとは予想もしていなかったので、とっさにどう対処したらよいか、多分母も含めて、誰も判断できなかったのではないかと思う。
 一つ一つの経験が、益とされると思う。
しかし、事前にもっともっと、祈らなければならなかった、と今日、改めて思った。
神様に信頼していている、といいながら、真剣に神様に求める気持ちがそれでも薄かったのかもしれない、と思う。
日々、一つ一つの祈りの課題を、心を込めて祈るものとされたいと思った。

 今日は、家族で、教会でクリスマスイブの夜を過ごした。
教会では特別な集会は計画されていない。ただ、クリスマスに教会に行きたい、と思う人たちのために、教会を開けて、誰でも歓迎する態勢だ。
 去年までは、詩音ちゃんが小さかったので、わたしは参加していなかったけど、今年から、詩音ちゃんも少し、大きくなったので、参加することにした。
誰も来られなくても、そこでクリスマスの祝会をして、どなたでも来られたら一緒に賛美して、御言葉を分かち合えたら、と思って準備した。
 といっても、今日は少し離れたところにおられる教会員の方を訪問していて、帰りが遅くなったので結局ケーキは作れず、市販の物を大枚はたいて購入。夕食もお弁当と相成った。
ま、こういうクリスマスもあっていいか(^^;)
 結局今日はどなたも来られなかったのだけど、たくさんの蝋燭をつけて、キャンドルサービス。
夫が司会して、わたしがピアノを弾いて、夫と二人で賛美して、詩音ちゃんのために、クリスマスのビデオを上映。御言葉を分かち合ったり、クリスマスの話題について話したり、最後にケーキを食べておしまい。
簡単だけど、とっても満たされたクリスマスだった。
きっとこれが我が家のクリスマスのスタイルになるかな…。
 ま、食事はもう少し、クリスマスらしいものを準備してあげたいけど。
でも、保育園の給食でもクリスマスメニューが出ているし、家では詩音ちゃんの好きなものを食べさせてあげたら良いかな、とも思うけど。

 夫とも話したのだけど、わたしたちは、神学校で学んでいた3年ないし4年、わたしはその後も神学校で仕事をしていたので、さらに何年もの間、神学校でのクリスマスカンタータに出演したり、そばで聞いたりしていたので、そのなかで毎年のように朗読されたり、音楽に乗せて歌われた御言葉のいくつかは、耳にタコができるほど聞いてきた。
もちろんメッセージなどでも聞いているみ言葉だけれども、音楽とともに入ってくる分、体に、心に染み付いているような感じがする。
 そういう中で、わたしの中で、クリスマスのイメージは、福音書のクリスマスストーリーよりも、イザヤ書などの預言書の方が印象深い。あるいは、ヨハネの福音書の1章など。
 預言の成就として来られたイエス様、まことの光なるイエス様、主権者としてのイエス様、わたしたちの救い主なるイエス様、そのイエス様が、わたしたちのために来てくださった。
クリスマスこそ、そのことを覚える時なのだと思う。
 ま、クリスマスの起源は色々あれど、大切なことはそのようなことなのだと思わせられる。
 特にクリスマスは「光」のイメージが強い。
 この光が、すべての人を闇から救うまことの光であると、世界中の人々が知ることができますように…!
 クリスマスに感謝して…。
≪22:50am≫

すべての人を照らすそのまことの光が
世に来ようとしていた。
ヨハネ福音書 1:9
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2004年12月23日

劇的な証し!

 今日は、神戸の教会の、クリスマス特別集会で父の証し。
わたしたちは、車の運転など、サポートを兼ねて、家族で同行した。
 父はまだ入院中で、病院からの外出となった。
朝、出会った父は、まあまあ、元気そうで、声が少し引っかかった感じではあったけれども、久しぶりに三宮のお気に入りの中華屋さんで昼食をとるのを楽しみにしていた。
 で、三宮で食事をとった後、板宿にある教会へ。
集会前に、牧師先生とお交わり。ここの先生はわたしたちと同じ姓なので、なんだか親しみがある。
 牧師室で先生とお話しする間に、素敵に盛られたフルーツを頂いた。父も、美味しそうに食べていた。血糖値があがらないかと、少しばかり心配だったけど、これくらいなら大丈夫、と喜んで食べていた。
 さて、いよいよプログラムの開始時間。牧師先生に祈っていただいて、父をそこに残してわたしたち家族は会場となる会堂へ。
会衆賛美や、関西CANの皆さんの素敵な演奏の後、いよいよ父の証し。
 しかし、ここからが波乱だった。
まず、最初から、証しの順序が、いつもと少し違っていて、話を省略したのかな?と思うと、後戻りしたりして、「?」と思うところがあった。
そして、証しの第一番目のポイントのクライマックスのところまで来たところで、いよいよ父の様子がおかしくなった。ことばがしどろもどろになり、動作もおかしい、そのうちに絶句して、あくびのようなものが出ている。
 わたしは胸がドキドキした。それが一瞬のことであってくれればいいと思いながら、会場にいるはずの母を捜した。が、見つからない。父に目を戻すと、気を取り直して話を続けようとしているけれども、やはりまた同じように絶句してしまい、生あくびをしている。夫に思わず「お母さんを探して!」と小声で叫んでいた。
小声で叫ぶというのはおかしいけれど、心では叫んでいたけれど、大声は出せないので、小さな声で叫んでいた。
わたしは、その時父のそばに駆けつけたかったけれど、詩音ちゃんが膝の上で寝てしまっていて、どうしていいかわからなかった。
後で考えたら、詩音ちゃんを夫に託して、初めから私がそばに行けばよかったのだけど、正直なところ、わたし自身もうろたえていた。
そして思わず「イエス様、助けてください。この集会が最後まで無事に終えられますように!父を回復させてください」と祈った。
 と、やっと母が前のほうに向かうのが見えたので、「お母さんいたからもう良いよ」と言って、一旦は夫を引き止めた。
しかし今度は母が夫を「S牧師ー」と呼んだ。
教会のS牧師先生が思わず立ち上がって行かれたけど母は、「あ、すいません、うちのS牧師お願いします」
呼ばれた夫は何のことやらわからずに、前へ出て行った。わたしも「?」と思ったけど、父を連れて行く手助けを呼んだのかな、と思っていた。
 すると母が、父の証しのレジュメを夫に渡して後を託しているではないか。「え?」夫もびっくりしただろうけど、わたしもびっくりした。
夫は話し始めたけれども、やはり、戸惑っている様子。それもそのはず、父のレジュメは、病歴や、プロフィールが書いてあるだけで、話の展開については何も書いていない。夫にそれだけ見て話せといっても、酷なことだと思った。いくら夫が、2,3回父の証しを聞いたことがあったとしても。その時丁度詩音ちゃんの目がさめたので、わたしは立ち上がって「変わろうか?」と目で訴えた。夫も、講壇の上からわたしを呼んでくれたので、とにかく前に出て行った。
 「とにかく、話さなければ」その思いだけだった。
息が苦しい。わたしは緊張すると、息継ぎがうまくできなくなって、息が苦しくなってしまう。でも、前に出た限りは、途中でやめる訳にはいかない。
ひたすら話した。わたしはコンサート(歌)の時はともかく、メッセージや証しで、いくら長くなっても今まで水を飲んだことはない。でもさすがに今日は、父の為に用意されていた水を思わず飲んだ。
 会衆の皆さんは、頷いたり笑ったりしながらとてもよく聞いてくださった。ふとわたしは、何分しゃべったらいいのか聞いていなかったことに気がついた。
「どうしよう」
それでも、とにかく話すしかない。「えーい、ままよ、とにかく普段父が話していることを話せるだけ話そう。」
 水を一口飲んでからは結構リラックスもしてきて、また会衆の皆さんの態度に励まされて、話のほうも調子に乗ってきた。
いくつかのポイントを話して、いよいよ最後のクライマックスに差し掛かったとき、着物から洋服に着替えた父が会堂に入ってきた。一番前まで来て、立っている。「?」と思うと、父が自分の顔を指差して「自分が話す」と合図を送ってくる。
 わたしは安心して、「ここまで話しました、後よろしく」と言って講壇を降りた。
 父は、先ほどの状態が嘘のように元気になっていて、しっかりと証しを締めくくってくれた。
 特に最後の部分でイエス様との出会いについて、語るところを自分の口で話してもらえたことは、何より嬉しかった。
 終わってから、献金を導くために出てこられた方が「今日は素晴らしいクリスマスセレブレーションになりました。露の五郎さんの貴重なお話を聞くことができましたし、娘さんのお話にはびっくりしました。落語家のDNAがしっかりと刻まれていますね。露の五郎さんが話しておられるようでした!今日は普段聞くことができない、親子お二人の素晴らしいお話を聞くことができました。素晴らしいクリスマスセレブレーションになりました」
と言ってくださった。
わたしはホッとした。とにかく、父の代役を無事に務めることができた。もちろん、いくら出来が悪かったとしても、その場で「残念でした」とも言えなかったと思うけど、最低限の代役は果たせたのかな、と思えた。
 終わってからも、皆さんが「よかった」「楽しかった」と励ましの声をかけてくださった。
父の話を楽しみにしてくださっていた皆さんには申し訳ないと心から思ったけれど、講壇の上では、そのことをお詫びする余裕もなかった。けれども、皆さんが本当に温かく、見守って、耳を傾けてくださったことに心から感謝した。
それなりに楽しんでいただけた事も嬉しかった(話している間も結構笑ってくださったし)。
 実はこの教会は、父の証しを初めて依頼してくださった教会でもあった。1年以上前に、打診してくださって、祈り続けてくださっていた教会だった。
その教会でなぜ…と言う思いもあるけれど、すべてのことを益としてくださる主のなされたことだ。これもまた、よかったのかもしれない、と思う。
 父にしか絶対に話せない部分は父が話すことができた。
わたしが話した部分も、父が話したほうがもっと面白かっただろう。抜けてしまった説明もあったと思う。
それでも、肝心なことは、大体伝えられたと思う。父とまったく同じには話せない代わりに、娘のわたしから見た証言も、一言二言、加えさせていただいた。
こんな証しは2度とできないだろうと思う。
 実は来年以降、頂いているお話には、お引き受けする前に父の現状を説明させていただこうと思っていた。
先日のゴスペル・イン・文楽のこともあるので、信仰によって、大丈夫だとは思うけれども、いつ、どうなるかわからない、直前になって、父が話せないこともあるかもしれない。もしわたしが代わりに話すことでよいならそうさせていただくけれども、場合によっては日にちを変更していただかなければならないこともあるかもしれない…。
信仰によって、そんなことはない、といいたいけれど、現実に、ゴスペル・イン・文楽で休演、代演、ということが起こってしまった以上、神様が何を計画されているかわからないわたしたちは、あらゆる場合に備えることは必要かもしれない、と思っていた。
それが、今日、突然にこんなことになるとは…。
 今日は無事に乗り切ることができた。
でも、多分今日は突然だったから乗り切れた。しかも、最初と最後は父が自分で話すことができたのも、幸いだった。
むしろ、ある意味で、最後に父が復活してきたことは劇的ですらあった。演出しようとしてもできない、神様の最高の演出だったのかもしれない。わたしも、事前に準備していたら、あのようには話せなかっただろうと思う。
逆に、もうちょっときちんと話せたかも知れない部分もあるけれど…。
 けれども、今日父の代わりに、話したことで、わたしはいつか、わたしの目から見た父の証しをまとめることができるような気がした。
多分それは父が天に召されてから…まだまだ先のことだとは思うけどね。
 結局、全てのことは益とされたのだと思う。
父は、思ったほど落ち込んではいなかった。
むしろ、最後に復活してもう一度舞台(講壇)に戻れたことが嬉しかったのかもしれない。
 夜、病院に戻ってからも、父は、血糖値も安定して、母にも「大丈夫」と電話してきていたようだ。
 とにもかくにもホッとした。ホッとしたら、なんだか疲れてしまった。
さすがに神経遣ったし、うろたえちゃったし、ま、今日はゆっくり寝ることにしよう。
 詩音ちゃんも、相変わらずお行儀は悪かったけど、詩音ちゃんなりに、いい子にしていたと思う。
夫もよく助けてくれた。というか、夫がいなくては、今日の事態に対処できなかっただろうな…。
 全てのことを、神様はご存知で、今日のことも備えていて下さっていたのかな、と思う。
 わたしは明日、何が起こるかわからない。けれども、イエス様は、今日も明日も、全てのことを、確かに知っておられ、その確かな御力でもって導いてくださる。
わたしたちは全てを主に委ねて生きていくしかないのだと、思い知らされる。
 一切のことを主に感謝して、今日の一日を閉じたい。

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
イザヤ 40:31
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2004年12月22日

no title

 最近、たくさんのことを考えるのだけど、忙しくて、きちんとまとめる暇がない。
 とりあえずプロジェリア(難病)の少女のことは、日記に書きかけていて、なんとなくまとまりそうだったので、コラムの方にアップした。
 今日、頭痛で祈祷会に出られなかったわたしのために、昼食の時に、今日のメッセージを、簡単に、ごく簡単に話してくれた。
 ヨハネの福音書の中で、イエスの言葉として紹介されている、最初のことばは何か。
 え〜と、ヨハネって、「初めに、ことばがあった」から始まって、光のことがあって、ヨハネのバプテスマが登場して…え、イエス様のことばって?そう聞かれてもとっさには思い出せない。
 結局、「あなたがたは何を求めているのですか。」だと教えてもらった。
で、今日のお話のポイントは、「“何を”求めているか」ではなく「“誰を”求めているか」だという。多くの世の人は、人生の中でたいてい「何か」を求めている。けれども大切なことは「誰」を求めるかだと。
 ああ、と思い当たることがあった。
最近直接、間接色々と人と関わっていて、それはクリスチャンの人なのだけど、結局のところ「自分をわかってくれる人」を求めている人が非常に多い。クリスチャンに限らず、わたしの周りでは、物質を求めている人は、ほとんどいない。けれども、「人」を求めている人は、圧倒的に多い。
もちろん、わたし自身も多分にその傾向がある。ともすると夫に「あなたはわたしのことをちっともわかってくれない」なんて不満を漏らすのは、まさしく、「わかってくれる人」を求めている証拠だろう。
 自分の大変さをわかって欲しい、自分の辛さをわかって欲しい、自分の苦しさをわかって欲しい。
人は、多かれ少なかれ、そのような気持ちを抱いているものなのだろう。
 けれども、人は、どこまでいっても「鼻で息するもの」だ。
イザヤ2:22には、
鼻で息をする人間をたよりにするな。
そんな者に、何の値うちがあろうか。

とはっきり書いてある。
わたしの好きな御言葉に、詩篇の37:4がある。
主をおのれの喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。

とある。
主の恵みや、主の憐れみ、主の愛を喜ぶのではなく、
ただ主ご自身を喜びとすること。
神様はそれを命じておられる。
大切なことは、わかってくれる誰か、を求めることではなく、主を慕い求めることなんだ。
誰もが、わたしのことをわかってくれなくても、イエス様はわかってくださるお方。最善に導いてくださるお方。そして心の願いをかなえて下さるお方なのだから。

 今朝、詩音ちゃんを保育園に連れて行ったとき、Mちゃんが、お母さんと分かれ難そうに、抱っこされていた。
 些細なことだけど、なんだか安心した。
 実は昨日の帰り、Mちゃんと、帰りがほぼ同じ時間になった。
 昨日は、クリスマスのお楽しみ会で、めいめいが靴下の形をした紙の手提げバッグ(?)にプレゼントを入れてもらっていた。
その靴下のバッグは、先生が作ってくださって、一人一人が、そこに紙を貼ったり、絵を書いたりして完成させたものだった。
 実は先に詩音ちゃんのバッグを見ていたわたしはMちゃんのバッグを見て、少なからずショックを受けた。
 Mちゃんのバッグは、表側には綺麗にまんべんなく飾りの紙が貼り付けてあったし、裏側も、なんとなく模様らしく、色が縫ってあったりした。
 それにくらべて詩音ちゃんのバッグは、表側も、下のほうにちょろちょろと、申し訳程度に飾りの紙がはってあったし、裏側はもう、ただただ書きなぐり。
その完成度の違いに愕然とした。
 実は、先日、お誕生会のあと、園丁で遊ぶ様子を少し参観したときも、詩音ちゃんの幼さが気になった。
 Mちゃんは、ブランコも上手にこぐことができたし、詩音ちゃんにはとても飛べないような高いところから飛び降りたり、遊具の上を飛んで渡っていたりした。
 詩音ちゃんにはできないことばかりだ…。
 でも、今朝、お母さんに甘えているMちゃんを見て、人それぞれだ、と改めて感じた。
 詩音ちゃんは、今日は、教室に入るのが遅くて(外にスコップが落ちているのに気を取られて遊びたくなってしまったみたい)わたしに叱られ、置き去りにされたので、しばらく泣いていたけど、抱きしめて、「大好きだよ」って言ってあげると、もうケロッとして遊びに行っていた。詩音ちゃんは今までに、保育園で別れ際に泣いたことは、わたしの記憶では一度もない。
 お誕生日が1日違いのKちゃんのお母さんは、Kちゃんの夜のオムツが取れないことで悩んでおられたけど、詩音ちゃんは2歳半くらいでオムツは完全に取れた。昼のオムツは、2歳を過ぎたころには、取れていたし。
 詩音ちゃんは、わたしが家であまりかまってやらないし、色んなことを教えてやらないので、工作や運動では遅れているところがあるかもしれない。でも、詩音ちゃんなりに、成長しているし、詩音ちゃんが人より良く出来ることだってある。
 一時、反抗期の山が来ていたようで、先生の声掛けも無視し、勝手に行動するところがみられたようだけど、最近は先生の話も少し聞くようになったようだし、家でも、聞き分けは悪くない。
 もう、何度も何度も日記に書いていることだけど、わたしは、いつもいつも人と比べてはがっかりしたり落ち込んだり。
それでも、そのたびに神様は詩音ちゃんのよいところを見せてくださって、詩音ちゃんには詩音ちゃんの個性があることを教えてくださる。
 先生も、詩音ちゃんが自分の世界をしっかり持っていることは認めてくださっていたし、きっときっと、詩音ちゃんらしく、いい子に育ってくれるよね!
それにね、詩音ちゃんには、とってもとっても人に愛される賜物があると思う。それは何より素晴らしい、神様が与えてくださった美点だよね。感謝しなくっちゃ!

 そういえば、今日、保育園に行くときの車のなかで、詩音ちゃんは突然「手のひらを太陽に」を歌いだした。
 ♪たたらだーって、はちくるだーってー、みんなみんないきているんだともだちなんだ〜♪
「たたら」って?「はちくる」って?
「おけら」「ミツバチ」のことかなあ?
♪○○だって、△△だーって、□□だーって♪
って3つ続くとこも、2つしかないし、なんか、ちょっと違うんじゃない?
でもね、よくわかんないけど、一生懸命歌っている詩音ちゃん、あんまり可愛くて、思い出しても心和んで笑ってしまうよ。
 そうそう、もうひとつ嬉しかったことを、書きとめておこう。2日くらい前の夜、詩音ちゃんがなかなか寝ないので、先に寝たフリをしていたら、「おかーさん?」といって、詩音ちゃんいきなり鼻先に「ブチュ」っとチュウ。それから、もう少し下の唇に熱烈チュウ!普通、親が子供の寝顔を見て、あまりの可愛さにキスする、って言うのだと思うけど、うちは子供が親の寝顔にキスしてくれちゃった。それも、同じことを2回もくり返してくれた。
 やっぱり、やっぱり、わたしは誰よりも幸せな母親だと再確認したよ。

主を求めよ。お会いできる間に。
近くにおられるうちに、呼び求めよ。
イザヤ 55:6
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2004年12月19日

クリスマス祝会

 今日はクリスマス祝会だった。
クリスマス礼拝から、たくさんの人が来られて感謝だった。
久しぶりの方、初めての方もおられたし。
 午後の祝会はそれは楽しかった。
初めての方も最後まで残ってくださったし。
昼食はポトラックじゃなかったけど、ケーキの持ち寄りだけでもすごく豪華!食べる前からワクワクだった。
 もう一つのドキドキ、それは、祝会の出し物。
司会のH兄に、「指怪我したから、クラリネットできませーん」
これですむと思っていたらあっさりと「じゃ歌で賛美してください」「え、でも奏楽が…」「アカペラで」
 ちょっとまって〜、わたしオンチだから、アカペラなんて無理だよ〜。
 祝会の始まるまでにあれやこれやと選曲。やっぱり、伴奏がないと音が取れないから、聖歌からのクリスマスソング2曲にして、急きょ礼拝の奏楽者の1人I姉妹に、「コードだけでもいいですから弾いてください!」と頼み込む。
 皆さんとの食事のあと、いよいよ祝会開始。
H兄は、事前に色々と計画してくださっていて、プログラムも隙がない。
 でも、事前に何も発表がなかったので、最初、ずーーーーっと皆での賛美が続いた時は、ちょっと心配…賛美は好きだし、恵まれるし、いいんだけど、いつケーキを食べさせてくれるの?
実は他にも、ひそかに心配していた人たちがいたようで、「次で第1部最後の賛美になります」の声で、「ホッ」とした雰囲気が一部にあったことも確か。わたしを含む約数名の女性…(^_^;)
くり返していうけど、決して賛美がイヤだった訳じゃないし、心から歌っていなかった訳でもない。
ただ、ちょっとだけ、ケーキのことが心配だっただけ(爆)
 「ではしばらく、ケーキを頂く時間に…」と司会者が語っている間に、わたしはすでにお皿を持って構え、「ではしばらく自由にしてください」の声でケーキのところに一目散。
でもね、お皿にケーキが乗り切らなくて…。やっぱり自分の作ったのは責任上食べないと…と思うし、詩音ちゃんはいちごの載ったのを絶対食べると頑張っているし。
 で、一旦席に座って食べ始めるとこれが案外食べられない。って言うか、お昼ご飯も美味しかったものだから、食べすぎたんだよね。T姉は、後で聞いたら、ケーキに備えてお昼ご飯を残したんだって…!その手があったか…!来年は絶対にそうしよう、と心に決めた。
 だって、どのケーキも美味しいんだもん。
ケーキね、実は、各種類お皿に持ってテーブルごとに出そう、と言う案があったのだけど、わたしがバイキング形式にしよう、と言い張ったの。なぜなら、テーブルごとに盛ると、数が均等にならないし、テーブルの顔ぶれによっては、好みが片寄ってしまう可能性もあり、もし、自分の食べたいのがなくなってしまっても、隣のテーブルに取りに行く、なんて恥ずかしくてできないじゃない。あくまでも、色んなケーキを食べたいわたしは、全部のケーキの中から自由に選べる方が良かったのだ。何という自己中…。
 でもねえ、ホント、思ったより全然食べられなくて、すっごく残念。詩音ちゃんは、結局いちごの上のケーキとクリームを食べただけだったし。ま、初めからそんなところだと思っていたけどね。
 来年はもうちょっと計画的に食べなくちゃ。
ケーキは3つとも、成功で、自分で言うのもなんだけど、結構おいしかったよ!
もちろん、皆さんの焼かれたケーキも最高!栗東教会は、腕自慢のパティシエが揃っているのだ!
 プログラムもバラエティに富んでいて、とても楽しかった。
 自分の賛美も、ま、突然だったけど、何とかこなせた。
そうそう、ハンドベル(といっても本物じゃないけど)のグループがね、練習の間、なかなかうまく行かなかったのに、本番とてもうまく出来て、見ているほうも感動だった。
 今まで、「わたしは〜」と遠慮していた方の参加もあったりして、本当に良いプログラムだったと思う。
 わたしたちの教会の祝会は、伝道目的と言うよりも、教会員一同が、心から楽しんで、クリスマスをお祝いするという感じ。でも、もちろん教会員以外も大歓迎。もちろん求道中の方も。今日出席してくださった皆さんは、教会員以外の方も楽しんでくださったようで、とても嬉しかった。

 ハプニングは、集会が終わってからのこと。
 母が、自分のコートがないと言う。
どうやら、リサイクルコーナーのハンガーに、それと気付かずに自分のコートをかけていて、それを今日たまたま、初めてリサイクルコーナーを覗いた姉妹が持って帰られたらしい。
 その姉妹と連絡が取れなくて、さあ大変。色んな方の手をわずらわせたけど、なかなかわからなくて、結局、その姉妹が下宿(?)しておられる先の方に連絡して事情を説明。とりあえず連絡を待った。
 結局、電話するより早いということで、直接届けてくださった。
 はあ〜、母のドジのおかげで、胃が痛くなっちゃったよ〜。
コートを届けてくださったJ姉にも、ホント申し訳ないことしちゃった。ま、母も悪気があったわけじゃないのでね、仕方のないアクシデントで、J姉妹もよく理解してくださったので助かったけど。わたしのドジは、まったく母譲りだわね(~_~;)

 この前も書いたけど、詩音ちゃんは、最近とにかく謝る。何でもいいから「ごめんなさい」と言う。今日も、「ごめんなさーい」と言うので、「どうしてあやまってるの?」と聞くと、「だって〜、おかあさんがおこらないように〜」だって。
 後「わかった?」と聞くと必ず「わかった」と返事をする。
今日、夕食のあと、立ち寄ったジャ○ンで、おもちゃを買って欲しいとねだる。
依然グランマに買ってもらったおもちゃのもう少し大きいヤツで、詩音ちゃんにもできるかな?という気はした。でも、ねだられるたびに買いたくはない。でも、誕生日にも、クリスマスにも、何も買ってあげていない。一つくらい買ってあげても良いか、という気もした。それで、詩音ちゃんに言い聞かせることにした。「いつもは買わないよ。今度は買わないよ、今日だけだよ、これだけだよ。わかった?」「わかった!(^◇^)」
「何がわかったの?」「えーと、これかうって」「だから、そうじゃなくて、今度は買わないよ。今日だけだよ。わかった?」「わかった!(^◇^)」「何がわかったの?」「これするって!」はあ〜、しばらくこの繰り返し。
仕方がないから、「今度は、はい詩音ちゃん言ってみて」「こんどは」「買わない、ハイ言って」「かわない」と口移しで確認する。2、3回くり返したら、「今度は買わない、今日だけ」とやっと言えた。それから次に「自分でちゃんとお片づけするんだよ。わかった?」も同じようにくり返す。
 本当に伝わったかどうかわからないけど、努力だけはした。
持って帰ってから、電池が必要なことがわかり、最初はできない、といったのだけど、前のとは少しやり方が違うことがわかり(魚釣りのゲーム)わたしがゆっくりと手で動かしながら練習してみた。これだけでも詩音ちゃんは大喜びだった。
 というか、実際、電池を入れて、本格的に動いたらきっと詩音ちゃん、スピードについていけないだろうな。しばらくは手動で遊ばないと仕方がないだろうね。
 ま、詩音ちゃんが気に入ってくれたから、よかったけどね。

 クリスマス祝会が終わったので、なんだかほっとして、クリスマスが終わったような気分。
 23日には神戸の教会のクリスマス集会での父の証しのご奉仕があるし、24日にも、教会開放するということで、ケーキを作って、クリスマスをお祝いしようと思っているけど…。
 詩音ちゃんは、今週保育園のクリスマス会(サンタさんがくるのだ!)もあるから、クリスマスって、何回もあるんだ、と思っているかもね(^◇^)
 結局今年はツリーを買えなかったなあ。
買ったら、それこそ詩音ちゃん、大喜びだろうなあ。
安くていいのがあったら、今からでも買いたいけどね…。

光はやみの中に輝いている。
やみはこれに打ち勝たなかった。
ヨハネ 1:5
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2004年12月18日

no title

 毎日バタバタのうちに過ぎていく。
今週に入ってからは、年賀状とクリスマスカードの準備で、なんとなくあわただしい。
 月曜日は、鍋パーティーに気を取られて「ラストクリスマス」を録画し忘れるほどだもんね。
 大体わたしは、ひとつ予定が入るともう一杯一杯になってしまう。
月曜鍋パーティー、火曜病院、水曜祈祷会、木曜詩音ちゃんの保育園のお誕生会、金曜日は余裕を持って…と思っていたけど、年賀状とクリスマスカードのぎりぎり発送で、結局今日になだれ込み。
 前にも書いたけど、最近疲れて詩音ちゃんと一緒に寝てしまうので、日記が書けないし。昼間も一杯一杯なので、なかなか書けない。
 今日は、朝からケーキを3つ焼いた。3つ目が今、オーブンの中。
 最初に焼いたひとつは、ガナッシュクリームを作ってコーティング(?)するつもりだけど。
電動ミキサーを使ってはいるけど、それでも手がつかれたよ。
でもって、「今、手が離せなーい!」という時に限って電話が鳴る。「ごめんなさい、居留守を使うわけじゃないけど、手が離せないんです!」って電話に向かって叫んでも、相手には聞こえないんだよね…(~_~;)
 とりあえず一段落、だけど、母が作ったジャムの容器詰めがまだ残ってる。50個ぐらいね。あ〜、今日は詩音ちゃんと一緒に寝てしまわないようにしないと。
まだ教会のほうの用事も残っているし。ま、今日がピークかと思うけど。

 昨日、家の外に会ったPCを回収業者の人が持って行ってくれた。
 データの流出とか、気になるけど、とりあえず返送しようにも、箱もないし、費用も結構かかる。
もう半年も雨ざらしにしていたので、普通の状態では使い物にならない。ハードオフに売るにも売れない。
で、あー、メーカーに送らなきゃ、送らなきゃ、と思って半年。
ついに回収業者の人がやってきて、「無料で引き取っている」という誘惑に負けて、持って帰ってもらった。
こういうのってやっぱりヤバイのだろうか…。

 詩音ちゃんは今朝、わたしの手が病気のせいでどす黒くなっているのをみて「これどうしたの?まっくろくろすけ?あとであらおうね」といってた。「お母さん病気だからね、洗っても取れないんだよ。暖かくしたら直るから、詩音ちゃん暖めて」と言うと、てをぎゅっと握って暖めてくれたよ。詩音ちゃんは、わがままだけど、優しさだけは本といっぱい持ってる。可愛いなあ、と思う。
 最近は詩音ちゃん、知恵がついてきて、とにかく何でもかんでも謝る。謝ればいいと思っている。謝らないよりはいいけど、謝れば赦してもらえると思っているところは困りもの(~_~;)
 くねくねごそごそしてご飯をなかなか食べないときも、注意すると「ごめんなさーい!」と明るく答える。「わかったからもういいから、食べなさい」と言うと「ごめんなさいっていった〜!」「だからね、お母さん怒ってないけど、お約束だからちゃんとご飯も食べてね」と説得。まあ、最近は、親の顔を見て、これは自分のわがままは通らない、とか、もうちょっと頑張ったら許してもらえる、とか分かるようになったと見えて、まあまあ、少し頑張ったら、いうことを聞いてくれるようになったけどね。

 指の傷は、少しずつよくなってきている。掲示板にメリーズさんが書いてくださったように、夜、ガーゼにして、風通しを浴したら、周りのふやけていたのがすっきり乾いて、傷を見ても、痛々しさが随分違ってきた。
 この時期、指先の血液の循環が悪くなるので、傷は治りにくいとは思うけど、それでも、かなりよくなってきている。唇もかなりよくなったし、本当は、少し無理をすれば、明日、クラリネットを吹けなくはなさそう。でも、途中で練習できなくなってしまったので、今の状態では絶対に吹けない。
 今年は、女性のコーラスだけかな、参加できるのは。
来年は、もう少し早くピアノの奏楽者に楽譜を渡して、やっぱりソロも賛美したいな。
≪4:00pm≫

「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、
私たちの心を照らし、キリストの御顔にある
神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。
Uコリント 4:6
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2004年12月14日

出てきた!

 実は、日記に書いたかどうか忘れたけど、少し前から保険の証券類が見つからなかった。
保険といってもたいした物をかけているわけじゃないのだけど、ささやかな、老後の対策のための貯蓄代わりの物をかけていて、その住所変更がまだだったことに気付き、証書を探したら、見つからない。
 引越し前には確かにあったものだし、引っ越してきてから、どこかの引き出しに入れた記憶がある。
でも、心当たりを全部見ても、見つからない。
気にかかったまま、何日か過ぎた。
 と、今朝のこと、台所仕事をするのに、ゴム手袋がどこかにあったはず…と思って、探したのだけど、これがまた、なかなか見つからない。で、台所の引き出しを片っ端から開けていると、あった!
 あったのは、ゴム手袋じゃなくて、保険証書!
ああ、そうだ、大切なものなので、意外なところに隠そうと、台所の引き出しに入れたんだった。
これぞまさしく「怪我の功名」怪我をしてゴム手袋を探さなければ見つからなかったものね。
 でも結局ゴム手袋は、なかったけど(~_~;)

 もうひとつは夜。
 一昨日の夜から鍵が見当たらなかった。車の鍵、家の鍵、教会の鍵、実家の鍵までついている。
 今日は朝から、病院に行って実家に寄る用があったから、どうしても夫とは別に車の鍵と、家の鍵がいる。
 でも、昨日の夜から、朝まで、ずっと探したけど見つからない。日曜の夜、疲れていたので、外食に出て、その時、わたしの鍵で夫が車を運転した後から鍵が見えなくなった。
だからきっと夫がどこかにおいたのだと思っていた。
 でも夜、詩音ちゃんに「お母さんのスティッチのついた鍵が見つからないの」と言うと、しばらくして、詩音ちゃんが最近色々なものをしまいこんでいる戸棚から、「ハイ」と、その鍵を出してきた。にっこり笑顔付で。
 まったく〜、この鍵のおかげでお父さんとお母さんは、喧嘩しそうだったんだよ〜!ま、喧嘩はしなかったけどね。
夫は「自分のせいじゃなかった」とホッとしていた。
 これから、ものがなくなったら、とにかく詩音ちゃんのエリアを探さなくちゃね(^◇^;)
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2004年12月13日

no title

 最近、忙しいので、昼間、日記をつける時間がない。夜も疲れて寝てしまい、日記の更新がなかなかできない。
読んでくださっている方にはとても申し訳がない…。
なるべくこまめに更新するようにしたいのだけど…。

 昨日は、午後から教会の子供クリスマス会。
昨年は、詩音ちゃんと、もう1人だけ、と言う淋しいクリスマスだったけど、今年は、有志の方が500枚くらい、チラシを配布してくださって、普段教会に来ていない子どもたちも10名くらいきてくれた。
 ほとんどの子供は、プレゼント欲しさなのかなあ、と思ったけど、ちゃんと話を聞いてくれた子もいたし、少なくとも「子供の頃、クリスマスに教会に行った」と言う記憶だけでもインプットされることと思う。
 主が、子供たち一人一人に、蒔かれた種をしっかりと育んでくださいますように。

 今日は、夕方から、団体の中ブロック(京都の東端から、栗東、守山までの間)の教会の教師たちが集まって、親睦鍋パーティー。ま、早い話が忘年会みたいなものかな?
鍋なので、クリスマスパーティーって感じじゃないね(^_^;)
 オーストラリア、イギリス、ドイツ、シンガポール、日本、いろんな国の伝道者たちが集まっての鍋パーティー。
楽しかったよ〜。
 ただ、ひとつのことを除いては。
それは、食事の準備中のこと。買い物はいつも大津のT先生のところが、担当してきてくださるのだけど、今年は鶏肉が、業務用スーパーで安かったからと、大きな冷凍パックの物を買ってきてくださった。ただ、大きいので、教会につくまでに解けていなかった。
間に合わないから、ということで、わたしが家の電子レンジで解凍してくる…と、家に持ってきたまではよかった。
 まず、パックが大きすぎて、ターンテーブルが回らず、レンジが途中で止まってしまった。仕方がないので、何とか半分に切って、お皿に乗せて解凍…。その間にもうひとつの袋は水につけて…。ごちゃごちゃしていると、ちょっといいにおいが…。
まずい!お肉が解凍を通り越して火が通り始めているところがある。急いで取り出し、もう半分をレンジに。
肉は、ほんの少し、火が通りかけている部分があったけど、まだ大半は半解凍状態。切るのにはちょうどいいくらいだし、どうせレンジ解凍を待っている間、と思って肉を切り始めた…。
残りの半分は、今度は早めにレンジを切って…、それでもちょっと火が通ってしまった。
 と、ここまではよかったんだけど…。その頃、教会のほうから電話があり、教会のほうはもう準備ができたとのこと。わたしはもうひとつのパックはレンジ解凍を諦めて、食べている間に切ってもいいんだし、と割り切り、切りかけている方を大急ぎで切っていった。
 包丁の切れ味がいまいちで皮の部分が切れにくいので、奥の手の、刺身包丁を取り出して切った。うん、スムーズに切れる、切れる…でついでに切れた…わたしの指が…。
 そんなに深い傷じゃない。肉が見えるというほどじゃないけど、表皮の次の部分が少し切れて、血が噴出した。急いで絆創膏を貼って、紙バンでぐるぐる巻にしたけど、血が溢れてくる…。とにかく、切りかけの肉だけ切って、絆創膏を張り替えて、近いけど車で教会に走った。
 食事は始まったところだったようで、もうひとつのパックもT先生の奥様のR先生にお願いした。
 絆創膏は真っ赤だけど、防水用の絆創膏だし、それ以上に溢れてはきていないみたい。でも、血がちゃんと止まっていなかったら…と思うと、怖くて絆創膏を張り替えられない…。
 これさえなければ、楽しい楽しい鍋パーティーになったのになあ。
 ま、傷は、食べている間はそれほど痛まなかったし、楽しかったけどね。
 あ〜、ドジなわたし。なんか、ほとんど役に立たなかったような…(T_T)
 ま、こんなこともあるよね。
 詩音ちゃんは、わたしが「お母さん、てってブスって切っちゃったの。イタイイタイなの」と言うと、「どこいたいの?ここ?かわいそうねー」って、同情してくれるのは嬉しいけど、さわるのはやめて〜!痛いんだからぁ!!(*_*;
 その詩音ちゃん、今日はご飯を自分でパクパク食べて、お鍋もまあまあ食べて、みかんは三つも食べていた。おなか大丈夫かな?(^^;)
 わたしはといえば、これまた、最後の最後まで食べていて、具材を残さずに食べたのは、我がテーブルだけだったよう…。
大人の人数が多かったとはいえ、女性が4人に男性は1人だけ。みんな、責任感から、全部食べないといけない、って感じで、最後の最後までさらえていたものね〜。恐るべし、女性パワー!

 皆さんが帰った後、夫に、「わたし、この手で詩音ちゃん、お風呂に入れられないから、よろしくね」と頼むと、夫は何気に「お父さんと大きいお風呂行こうか」と口走ってしまった。
「え?こんな時間から?」と思ったけど、言ってしまったものは取り返しがつかない。詩音ちゃんはすっかり行く気満々になってしまった。「やっぱり家のお風呂にしよう」なんて夫が言ってももう遅い。寝るのが遅くなるけど、子供に期待を持たせた親が悪い。夫に責任を持ってお風呂に連れて行ってもらった。
 詩音ちゃんは意気揚々と、嬉しそうに帰ってきたよ!
ホント、お風呂屋さん好きな子だねぇ〜(^◇^)
そうそう、帰ってきてまたみかんを食べていた。
今日4つ目だよ〜、大丈夫かいな!

 今日、朝、J君から電話があって、今年一年のこと、最近のこと、報告したいとのことだった。
でも、朝は、もう詩音ちゃんを保育園に連れて行かなくてはいけない時間だったし、今日は午前中から午後にかけて予定が入っていたし、帰ってきたら、連絡するから、ということで、一旦電話を切った。
 でもね…、昼間の用が長引いてしまい、帰ってきたのが遅くて、話を聞いてあげる時間がなくなってしまった…。
メールで謝ったけど、大丈夫だったかな。
J君は、精神的に不安定な時期もあって、夜中に電話がかかってきたことなんかもあったけど、最近とても頑張っていて、声も安定して明るくなってきていた。
 色んなこと聞いてあげたかったんだけど…。
また、電話してきてくれるかな?

 あー、今日手の怪我をしてしまったので、今度の聖日の祝会でクラリネットを吹くつもりだったのに、ちょっと無理そうだ…。
絆創膏を張った手では、キーがちゃんと押さえられないものねえ。第一痛くて練習できないし。
 仕方がない、ピアノでコードだけでも押さえて、賛美するかな?と思ったけど、指先を切ったので、そのピアノも弾けるかどうか…。
 せっかくのクリスマスなのに…。

 そうだ、昨日書けなかったけど、この前ネットで傷つけてしまった人から、メッセージBOXにメールが入っていた…。
 本当に本当に嬉しかった。
 わたしも、メールをしようか、サイトに勝手に入っていったら迷惑がかかるかも、イヤイヤ、今は、自分から弁解するのはやめて神様に委ねよう…と悩んでいたんだけど、先方からメールを下さって、本当に和解できて、とても嬉しい…。
 主にあって、お互いに自分の弱さ、足りなさを示していただいて、少しずつ成長できたのかな、と思う。
 この出会いと和解を与えてくださった主に、改めて感謝したい。
 そして、陰でとりなし、祈ってくださった多くの友に、心からの、感謝を伝えたい。ありがとう!

すなわち、神は、キリストにあって、
この世をご自分と和解させ、
違反行為の責めを人々に負わせないで、
和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
Uコリント 5:19
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2004年12月10日

no title

 今日は、午前中家庭集会。
年末で皆さん忙しいせいか、クリスチャンばかりの集まりになったけど、それはそれでとても和やかな、集会となった。
 問題のケーキだけど、結果オーライで、大好評。皆さんから「売ってるのみたい!」って言われちったv(^◇^)v
結局、たまごが大きかったので、焼き時間がいつもより余計にかかったみたい。その分焼き上がりはフワフワになったみたい。
 クリスマスには、どんなケーキにしようかなあ…。

 午後からは日本語のレッスン。
生徒である宣教師のK先生が、4ヶ月の赤ちゃんを連れてこられた。可愛い!赤ちゃんって、こんなに小さかったんだなあ、と実感。
 それに比べたら、詩音ちゃんは随分大きくなったねえ…、って感じ。当たり前だけど(^^)
 まあ、のびのびしすぎのところはあるけど、今日会った保育園の先生(去年の担任)は、「詩音ちゃんなりに楽しんでるからいいんじゃないですか〜」って言ってくださっていた。
 まあ、先生によっても、反応とか、考え方は色々だよね、って思う。
優等生タイプの先生と、そうじゃない先生、それに実際に子供を育てたことのある先生とそうじゃない先生…。それぞれの経験もキャリアも違うしね。
 やっぱりできるだけ押さえつけたくはないし、しつけはきちんとしたいけど、恐怖で縛るようにはなりたくないし。
 詩音ちゃんのいいところが一杯伸ばせると言いな、と思う。
それにしても、今日会った先生も、「詩音ちゃんは将来大物になるかも」なんていっておられた(^_^;)
そんなに期待されてもね〜、って、これもただの親バカ?!

私が植えて、アポロが水を注ぎました。
しかし、成長させたのは神です。
それで、たいせつなのは、
植える者でも水を注ぐ者でもありません。
成長させてくださる神なのです。
Tコリント 3:6,7
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2004年12月09日

no title

 今年は、なぜか年賀状の準備が早い。
実家の分が、ありがたいことに実家でプリントしてくれると言うので、デザインだけですんだので、今日から、我が家の分を印刷している。
 写真を撮る前にあらましのデザインを決め、詩音ちゃんの誕生日に写真を撮ってから、それをはめ込んだ。
自分の写真うつりを別にすれば、まあ、こんなもんでしょ、と満足している。
 でも、でも、年賀状より先にクリスマスカードやろ〜(^_^;)
と自分でつっこんでみる。
以前は、クリスマスカードもマメに送っていたのだけど、このごろはほとんど年賀状に合流…。
クリスチャンだから、クリスマスカード主体にしたいのだけど、クリスマスカードを送っても、年賀状を頂くと、やっぱり年賀状の返事もださいないといけない気がして…。
そんな訳で、結局、逆にクリスマスカードのお礼も年賀状で済ますようになってしまった…。
ま、経費節減もあるのだけど…。
 ま、クリスマスカードの必要も少しはあるので、準備はしているのだけど…。クリスマスカードのほうも急がなくちゃね。

 今日は、詩音ちゃんは、朝からちょっとわがままモード。
朝、保育園で先生に「詩音ちゃん昨日はケーキ食べたの?」とか声をかけていただいても、無視。まったく〜。と思いながら、「先生が聞いてるよ、お返事してよ」と言うけど、一向に取り合ってくれない。
 お迎えに行くと、詩音ちゃんの顔に引っかき傷が…。
先生の説明を聞くと、お片付けができないので少しきつく叱ると、廊下に出てしまい、ちょっとかんしゃくを起こしていたらしく、どうやら自分で引っかいたらしい、とのこと。詩音ちゃんは結構かんしゃくを起こすタイプだけど、自分で自分の顔を引っかいたのは初めて。ちょっとびっくりした。
 帰りも、ウロウロして一向に帰ろうとしないので、「お母さん帰るからね、ジャンバー置いとくからね。さようなら」と言うとさすがに顔色を変えて「まってよ〜」と追いかけてきた。
詩音ちゃんのところまで戻らないで、立ち止まって、自分で靴を履くのを待つ。
 今まで、とろとろしていたり「おかあさんして〜」と言われると、手を出していたけど、昨日から、それをやめる決心をした。
何とか、自分で自分でできることは自分でやるようにさせないと。
 夕食の時も、とろとろしていて、途中でおトイレに行ったり、挙句の果てに「ねむたい」と言う。
「じゃあもう寝てきなさい」と言うと「うん」と言って椅子からおりながら「(ご飯の続きを)おきてからたべる」と言う。
どうやらお昼寝みたいに、ちょっとだけ寝るつもりらしい。
「何言ってんの、もう食べなくていいよ。朝まで寝なさい」
と言うと「たべる〜」と言う。夫が「それだったら今食べなさい」と言うとしぶしぶ椅子に戻って食べはじめた。
 結局遅いので、詩音ちゃん1人を残して、片付け物をしたり、お風呂の準備をしに、わたしと夫は席をたった。
 わたしは時々様子を見ていたけど、なかなか進まない。
ここで食べさせたら食べるのだけど、今日は食べさせない決心。
「自分で食べなさい」と言って励ますと、何とかご飯を食べた。
「おかずもね」と言うと、それもしぶしぶ食べ始めた。
なかなか進まなかったけど、しばらく台所に立っていると、「たべた!」の声。
今日は野菜たくさんのポトフだったけど、見ると、ちゃんと綺麗に食べていた。
時間はかかったけど、1人で食べきったので、「偉かったね〜」としっかりほめてやった。
 子供を育てるには、色々と、意を決しなくてはならない時があるなあ、と思う。
 でも、子供の可愛さにごまかされたり、自分の都合で、ついつい妥協してしまう自分がいる。
 まずは、親の訓練からだね。

 うーん、今日は、明日の家庭集会のためにケーキを焼いているのだけど、なぜか、焼けない。
こんなに生焼けだったことはいまだかつてないと言うくらい、生焼けだ。何度も時間を延長して焼いているけど、最初、りんごを入れているせいで、しっとりしているのかな?と思って、しっかりチェックをしなかったので、少し時間がたってしまってからオーブンに入れなおしたので、ちょっと不安。
まあ、食べられない物にはならないと思うけど…。
焼けていないわりには、上面が焦げているのも珍しい。
何でかなあ…。
 ま、自分でアレンジして作った初めてのやり方だったからね、次回から、温度と時間の調節が必要だと言うことだね。

 そういえば今日、なぜか、夫と付き合っていた頃、夫からもらった手紙が、出てきた。
それも、なぜか机の上にあった。詩音ちゃんがどこかから持ってきたのかなあ。
 懐かしく読み返してみると、普段夫からは言って欲しくても言って貰えない言葉が…(^_^;)
付き合っていた時だから書けたんだろうね。それも、わたしが書け、書け、って催促したからかいてくれたんだけどさ。(爆)
それでも、とっておいてよかったな、って思った。
でもって、これは夫の今の気持ちでもある、って改めて都合よく受け止めたよ。
 クリスチャンってさ、「なんでわたしと結婚したの?」とか聞いても「神様の導きだったから」とかって、答えられてしまうと、なかなか聞きたい答えが聞けないけど、やっぱりそれが真実なんだな、って思う。つまり「神様の導き」だってこと。
 クリスチャンじゃない人って、その確信がないから、自分が相手を愛している理由を色々と探したり、確認したりしなきゃいけないのかもしれない、と思う…。
 神様の導きで結婚して、今、愛し合っているのだから、それが今ある真実だよね。
 いつも、神様と夫に感謝しています。

その十字架の血によって平和をつくり、
御子によって万物を、御子のために
和解させてくださったからです。
地にあるものも天にあるものも、
ただ御子によって和解させてくださったのです。
コロサイ 1:20
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2004年12月08日

Happy Birthday!!

 今日は詩音ちゃんの誕生日!
朝から、というか、12時を過ぎたころから、掲示板にはどんどんとお祝いのメッセージを頂いた。
幸せな子だと思う。
 当の詩音ちゃんは、「お誕生日」と言っても、ピンと来ないのか、相変わらず飄々としている。でも、「今日から3歳だよ」と言い聞かせ、いうことを聞かないと「今日から3歳でしょ!」と言うと一応聞いてはくれていたけど…。
 ま、3歳になったからといって、突然賢くなる訳はないよね。
相変わらずマイペースだけど、少しずつ成長して行ってくれれば…。

 と、誕生日の今日、奇しくも(そんな大げさなことでもないけど)詩音ちゃんの個人懇談…。
 取り立てて問題児、と言うことはないようだけれど、並外れてマイペースらしい…。先生の手を焼かせていることだけは間違いなさそう。
ただ、今日の担当の先生が、詩音ちゃんが保育園に入った時から見てくださっている先生で、詩音ちゃんのことをよくわかってくださっているし、割にプラス思考で考えてくださる先生なので、わたしとしても話しやすかった。10分の予定が、時間的にも余裕があったようで、30分も話し込んでしまった。
 とにかく独特の「詩音ちゃんワールド」を持っていること、マイペースなこと、言葉遣いも、とっても大人びていて面白いこと、その先生は、詩音ちゃんはいつか名を成すような大物になるかも、って言って下さっている…。その先生は「わたしが今まで働いてきてであった中でも1,2を争うユニークさ」と言っておられた。「お世話をかけています」と言うと、「イヤ〜、結構笑わせてもらっています」だって…。ま、いっか。先生も言っておられたけど、時間はかかっても、着替え、排泄、食べることちゃんとできることはできるし、寄り道、脱線も、わざとしている訳じゃないってことだったし。
 ま、わたしももうちょっとけじめをつけさせること、集団行動ができるようになること、教えることは教えていかないといけないと反省。結構ほったらかしだからな…。

 で、今日は毎年恒例の写真撮影。
今年は、家も新しくなったし、家でもいいかな、と思ったんだけど、やっぱり教会で…。
 丁度この時期、教会はクリスマスの飾り付けをしているので、いい感じなんだよね。だから、詩音ちゃんのお誕生日の写真は、大体毎年、同じ背景、かな(^^)
 今年(2004年)の年賀状は、詩音ちゃんの写真だけしか載せなかった、というか、去年の誕生日は詩音ちゃんの写真だけしか撮っていなかったけど、やっぱり1年に1度位は、家族の写真を撮ろう、と、今年は頑張った。
 以前から頂き物のドレスがあって、写真を撮って、下さった方にも見ていただきたかったので、今年は、部屋を暖かくして、ドレスでの写真撮影。
 でもね〜、詩音ちゃんが動くので、ベストショットを撮るのが大変(~_~;)
それに今年は夫がちょっと協力的でなくて、ちょこちょこっと撮って、「はいおしまい!」って言うので、三脚を片付けてから写真を見たら(デジカメって便利!)、うえーん、わたしのあごが上がってて、すごいブスに映ってる〜。これ、年賀状に使うの〜?
 ま、仕方がないね。どうせみんな詩音ちゃんしか見ないって…と自分に言い聞かせる(^^;)

 昨日、夫が、牧師会で長浜の時のビデオを焼いたDVDをもらってきた。今朝、自分のコンサートのところだけ見たけど、うー、やっぱり鼻声だ(*_*;
ほぼ1曲ごとに水を飲みながらの歌で、聞いていてもやっぱりちょっとしんどい部分が…。
でも夫は横で見ていて「風邪ひいてた割にはよく歌えてるじゃん」と言ってくれたので、まあ、ちょっとホッとしたけど。
 最後の「福音を配る人」はよく知っているメロディー(幸せを売る人)と言うこともあってか、一緒にハミングしてくださっている方の声が、ビデオに入っていた。なんとなくちょっと嬉しかった。
 歌は、技術的には、自分の理想には程遠いけど、あの時のわたしのベストだったと思う。主を、心から賛美できたこと、福音を語れたこと、少なくとも歌詞を伝えられたことは、感謝だった…。
 賛美できることの幸いを改めて感謝した。

 そういえば今日、詩音ちゃんのお迎えに行った時に、一昨年お世話になった先生が当番をしておられた。
で「詩音ちゃんの名前ってやはり聖書と関係があるんですか?」と聞かれた。
「エルサレムのことなんですよ」と説明したが、今、趣味のコーラスで「メサイア」を歌っておられるそうで、そのなかに出てくるので、と言っておられた。歌の内容は難しくてよくわからない、と言っておられたけれど、音楽を通して少しでも福音に触れて下さったらいいなあ、と願う。それをヘンデルも願っていることだろう…と思うけど。

天地を造られた主が
シオンからあなたを祝福されるように。
詩篇 134:3
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2004年12月05日

飾りつけ

 今日は教会のクリスマスの飾りつけ。
ついでに、クリスマス祝会用のランチボックスの試食。
 ランチボックスの方はと言うと、コンサートの時に取ったお弁当と同じお店の物だったのだけど、ちょっと期待はずれ。
コンサートの時は、なかなか良い!と思ったんだけど、もう少しクリスマスっぽいメニューを期待していたわりに、ちっともクリスマスっぽくないし、メニューもイマイチ…。
 と言うことで、急きょ、婦人会のメンバーが他のお店に走り、メニュー変更。
 本当はポットラックにできたら良いんだけど、ウチの教会は年配の方も多いし、なかなか全部を持ち寄りにするのは難しいみたい…。わたしは持ち寄り大好きなんだけど。
 で、お菓子類だけは持ち寄りということなので、張り切ってケーキなど、作ってしまうつもり!今年は何を作ろうかなあ。
独身時代は、お料理もお菓子も作りたくて、両方作って持っていったっけ…。ケーキも、そんなに凝ったものは作らないけど、クリスマスだから、ちょっと豪華にもしたいしね…。
色々計画中なのだ。

 詩音ちゃんは、毎日和ませてくれて楽しい。どんどん成長していて、言葉遣いも日々変わっていく。
 今日、飾りつけの間も、終始教会の青年たちに遊んでもらって、自分は一生懸命手伝っているつもりになっていたりしたよう。
 遅いお昼寝をした後、少し「リロ&スティッチ」見て、夕食を食べに行くことに。
わたしはというと相変わらず、ウロウロしていただけで、ほとんど飾り付けらしいことはしていなかったのだけど、昨日から頭痛がしていて、午後頭痛薬を飲んだら少しよくなったけど、どうにも疲れて気力が出ないので、外食に行くことにしたのだ。
 車のなかで「詩音ちゃん何たべたい?」「カレー!カレーがたべたいとおもいました〜」
夫と二人で爆笑「おもいました〜」なんて、どこで覚えたんだろう?ま、詩音ちゃんが食べてくれるのが一番だから、カレー屋さんに行くことにした。
でも、詩音ちゃん、いつもはパクパク食べるのに、なんか集中力がない。
途中でおトイレに行くというので連れて行って、そこで「詩音ちゃんがカレー食べたいっていったから、カレー屋さんに来たんだからね、ちゃんとしっかり食べてよ」と言い聞かせると「そういうわけだったのか〜」とやけに明るい調子でお返事。「そういうわけだったのか〜」は以前から時々使うのだけど、ほんまにわかってんのんかいな?と思うほど、軽〜いノリ。ってか、ほとんどわかってないと思うけどね。

 そういえば、今日詩音ちゃんはどなたかにお誕生日のプレゼントを頂いた。千代紙やメモ帳、ハンカチなど、可愛い小物がいくつか…。手作りのカードも入っていた。詩音ちゃんは大喜びで、鶴をたくさん折らされた。
 どなたが下さったかわからなくて、詩音ちゃんに「誰がくれたの?」と聞いても、「わからない…」
 お礼の言いようがなくて申し訳がない。
でもしっかりと詩音ちゃんのお誕生日を覚えて、祝ってくださる方があること、感謝…。
 みんなに愛されている詩音ちゃん…。親の責任も重大だね!

 時々、自分の心の醜さを思い知らされるので、
 自分の偽善者ぶりを思い知らされるので、
 どうしようもなく、自分で自分がイヤになることがある。
 それでも、
 こんなわたしを愛して、
 十字架にかかってくださったイエス様を見上げる時、
 わたしは変わらなければならない、
 いや、
 きっと変えられるはず、と
 ほんの少しの希望を持つ。
 そう、十字架は見上げなくてはならない。
 うつむいていては、
 十字架の主を見ることはできない…。

主よ。人とは何者なのでしょう。
あなたがこれを知っておられるとは。
人の子とは何者なのでしょう。
あなたがこれを顧みられるとは。
詩篇 144:3
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2004年12月04日

ゴスペル・イン・文楽、他…

 昨日はゴスペル文楽の日だった。
残念ながら父が休演の為、姉が代役に立った。
1日の夜、急きょ、「もしもの時は…」という事で、英大夫さんとご相談したら、姉の事を覚えていてくださって、お声を掛けて下さった。
 わたしは昼の部を見てきたが、姉は無事、代役を勤めていた。
クリスチャン新聞の方が写真をとってくださったりしていたので、もしかしたら、クリ新に掲載されるかも。姉の家族(ご主人とか)なんていうかな。

 姉は、教会にも行けず、バプテスマも受けていないけれど、イエス様を信じているから、今回の代役には丁度良かったと思う。
英大夫さんも、神様のご計画があるだろう、とおっしゃってくださっていたし。
 父ほどの存在感はなかったけれど、案外うまく、舞台にはまっていたように思う。義太夫も、全体的に若々しいイメージがあったので、父よりもうんと若い姉でもよかったのかもしれない。
一緒に行った教会員の方も「良かった」といってくださっていたので、ホッとした。

 舞台は、素晴らしく、イエス様の御降誕から十字架、復活まで、人形、三味線、そして義太夫が三位一体となって迫ってきた。
 以前から思っていたのだけど、文楽はまさしく三位一体の芸術。人形、三味線、義太夫の三位一体。そして、人形も、3人の遣い手が文字通り一体となって一人の人物を表現する。
イエス・キリストのご生涯を表すにはピッタリの芸術という気がする。
 今回、解説の中で、なんと、戦国の時代に、既にゴスペル義太夫が存在した、というお話も聞けて、興味深かった。
(キリシタン大名同士の戦いの中で、敵味方の兵士が、クリスマスを共に祝った、というお話で、日本版「戦場のメリークリスマス」との事)

 結果オーライ、という訳ではないけど、神様の守りの内に素晴らしい舞台となったことを感謝、感謝。
お客さんも、昼は立ち見が出る盛況ぶり。夜も満席だったと聞いている。神様の祝福に感謝。

 そうそう、最近詩音ちゃんも駆け引きを覚えた!
「おかあさんなんかもう…」
と、「だいきらい」と言うかのように見せかけてにこっと笑って「だいすき!」って。
本当に可愛い!
 このごろますます「おかーさん大好き!」って抱きしめたり、熱烈チュウをしてくれる。チュッチュの嵐もある。
 確かに甘やかしすぎかもしれない。
でも、これだけ目一杯の愛情表現をできる子は、絶対いい子に違いない!って確信持てる。
 ちょっとくらい変わったところがあっても、ちょっとぐらいおもろい子でも、何でもいいじゃないか、って思っちゃう。
 そう…、姉に、「詩音の動きってなんかおもろい、踊ってるみたい」とか言われた。それは確かにそう。
なんかがに股でぴょこぴょこしていたりして、なんか面白い。
でも、なんだっていいよ、可愛いんだから!

 今回、色んなことが重なって、日記でも色々つぶやいてしまった。
本当は、誰にも言わず、どこにも出さず、一人で祈るのが理想だと思う。でも、わたしはまだまだ未熟者だと思う。
1人で黙っているだけの、忍耐がなかった。
 それでも、そのことで、何人もの方がメールなどで励ましてくださった。ネットでの傷が、ネットで癒されていった。
背後でのとりなしの祈りに感謝した。
そして、何人もの方が、わたしを理解してくださっていたことに、改めて感謝した。
誤解もあるけど、また、理解してくださる方もある、ということ…。
 そしてこの祈りのネットワークに、いつも支えられているのだなあ、と改めて感じた。
何ものにもかえられない宝だと思う。
 人を傷つけたことは、わたしの至らなさだ。
起こったことは決して喜ばしいことではない。
でも、そのことを通して、また、素晴らしい恵みも示されたように思う。
 この罪人のわたしのために、イエス様が人となってきてくださったことを感謝したい。

 それにしても、一連の出来事がこの季節でよかった。
慰め主、癒し主、助け主である主の御降誕を待ち望む喜びを、再び味わうことで、はじめの愛に帰れる。
 なんだかうまく言えないけど、主は2000年以上も前に降誕されたのだけど、今改めて、主の御降誕を思い、その記念日を迎えることは意義深いことだと、改めて知らされた気がする。
 2000年以上の、救い主を渇望する人々の気持ちを、ほんの少しでも、思うことができたような気がする。

 すべての人々の心に癒しがありますように…。
そしてまた、わたし自身が、イエス様の愛に、もっともっと触れられますように…。
もっともっとイエス様に近づくことができますように…。

 詩音ちゃんネタ、パートU
 さっき、ゴミ箱に詩音ちゃんの髪の毛発見!
この前、自分できりたがっていたので「ダメだよ!」と止めていたのだけど、どうやら自分で切ってしまったらしい。
 ところが、わたしが見ても、どこを切ったのかよくわからない。
たいてい小さな子供が、はさみの使い方を覚えて、自分で髪の毛を切ってしまうと切って、前髪を短く切りすぎて、笑える…とかいうパターンが多いのだけど、詩音ちゃんの場合、どこを切ったかわからない。ゴミ箱に合った髪は結構な長さがあったし、量もそんなに「ちょびっと」という感じもなかったんだけど。
うーん、どこを切ったんだろうか?
 夫いわく、「ウチの母に似たんだ!」
夫が1歳半の時になくなった夫の母は、美容師だったから…(^_^;)。

 詩音ちゃん、今日、おふろのなかで「キャメレルどうぞ!」「え?」「キャメラルは辛くないんだよ」「それってキャラメル?」「うん、キャメラル、たべ〜」と勧めてくれた。
もちろん、空想のキャラメル。
うーん、こうして書いているうちに、どっちが正しいのか、分からなくなってきちゃう…(~_~;)
 相変わらず、その可愛さで、和ませてくれる詩音ちゃんでした!

律法が入って来たのは、
違反が増し加わるためです。
しかし、罪の増し加わるところには、
恵みも満ちあふれました。
ローマ 5:20
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2004年12月02日

カルバリの愛を知っていますか

なぜわたしにこの試練が与えられるのかと

いぶかしみ

それが取り去られることだけを

もし祈り求めるならば、

そしていかなる失望をも

落ち着いた心で受け止めつつ、

どんな暗闇の中にあっても

平安を持ち続けることが

もしできないならば、

その時わたしは

カルバリの愛を全く知らない。


いのちのことば社
エミー・カーマイケル著
棚瀬多喜雄訳
「カルバリの愛を知っていますか」より

今日のわたしに、とても必要な言葉だと思います。
この本のそこここにある言葉が、わたしの心に鋭く突き刺さります。
どのページを開いても、反省させられます。
イエス様、どうか私にカルバリの愛を教えて下さい。

そしてイエス様、どうか一切の誤解を、あなたが解いてくださいますように…。

ところが、取税人は遠く離れて立ち、
目を天に向けようともせず、
自分の胸をたたいて言った。
『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
ルカ 18:13
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2004年12月01日

父の入院

 今日は朝から、励ましのメールを頂いた。
その方はいつも、わたしの日記の行間を読み取って、時に叶った励ましを与えてくださる。なぜか、わたしが書いた以上のことを汲み取ってくださって、きっと神様が、その方を通して励ましてくださっているのだと感じられる。
 どんなことがあっても、理解していてくれる友人が与えられていることは、何より大きな励ましだ。
わたしの足りないところも知ってくださった上で、励ましを与えてくださる。それを何より感謝している。
 前にも書いたと思うけど、素晴らしい友達がたくさん与えられているということは、わたしを「わたしもまんざらすてたものではない」という気分にしてくれる。類は友を呼ぶ、って言うものね。
 それもまた、神様の励ましかな。
全ては、神様からの賜物(一方的に与えられたものという意味で)で、わたしが素晴らしいからじゃないんだけどね。
神様からの愛に、感謝しないとね。

 今日は朝から嬉しい気持ちで、体はちょっと疲れていたけど、祈祷会に出席した。
 今日は、久しぶりに夫とペアになったので、自由に祈らせてもらった。
特に父のことが心にあって、「砕かれるところがさらに砕かれて、もっともっと良い神様の器になれるように、そして神様に豊かに用いていただけるように。父自身にその思いが与えられるように」と祈った。
 疲れていたので、昼食は夫とともに外で食べて、家に帰ると母からの電話。「お父さんが大変」との事。
 昨日、夕方に「血糖値も下がってとても調子がいいので、今日は少しご馳走を食べに来た」と電話をもらったところだったのに?!
どうやら、血糖値が下がりすぎてしまったらしい。
それでも、念の為に、一番に脳の関係でかかっている病院に行くよう、母にアドバイスする。
もし、脳の問題(出血や梗塞など)だったら一刻を争うからだ。
 電話を切って、教会にいた夫にすぐに伝えると、「行ってあげた方がよいのではないか、詩音ちゃんの面倒は自分が見るから」と言ってくれた。
 母に電話すると「助かる」との事。とるものもとりあえず、千里の病院に駆けつけた。
 その病院はさすがに専門病院だけあって、速やかに、あらゆる種類の検査をしてくださった。結果、脳には変化は認められない、との事。母と、わたしと、来てくれていたお弟子さんと3人で胸をなでおろした。
 けれども、その後も原因の特定のために、さまざまな検査や診察が続き、なかなか父には会わせてもらえない。
まあ、脳には問題がないことがわかって、随分気楽になったので、母やお弟子さんと雑談をして過ごす。
 夕方遅くになって、看護士さんが「あと20分ほどで処置が終わって会っていただけるのですが、ご本人がお腹がすいたといっておられるので、何か食べるものを買ってきてあげていただけませんか」との事。入院手続きの時間が遅かったために、病院の食事が間に合わなかったらしい。
 母が、食べ物を買って戻ってくると、中に入っていいということで、母が一番に入っていった。少し遅れてわたしとお弟子さんが病室に入っていくと、父はもう食べたくてウズウズしている様子。母は「食べさせてあげないといけない」と思っていたのに、体を起こして「自分で食べる」との事。
母が買ってきたものを、ぺろりと平らげていた。
その姿を見ていて、わたしは、笑いがこみ上げるのをおさえ切れなかった。
 実際、車を走らせながら、祈りながら「また元気になるんだろうな…」という気持ちでいた。
正直に言えば、それは半ば複雑な気持ちで、「本当に本当の元気だったらいいけど、良くなったり悪くなったりをくり返す中途半端な元気はもういらないから、本当の本当に元気にしてください」という祈りだった。もちろん、5年も前の元気に戻るように、なんて願っている訳じゃないけど、それでも、行きたいところに行って、食べたいものが食べられるようになったらいいなあ、と思う。
 そんなことを思いながら、とにもかくにも、「少なくとも、長期入院したり寝たきりにならない程度には元気になるんだろうな…」と考えながら病院に行った。
 だから、食欲旺盛でぺろりと食事を平らげる父を見て、「ああやっぱり」と思うとなんだか可笑しくなって笑ってしまったのだ。
 ま、いっか。これがいつものお父さんだよね(^^)
 ゴスペル・イン文楽も、本には出る気満々。お医者様が外出を許してくれればいいけどね。まあ、血糖値が下がりすぎているので、ちょっと安静が必要かもしれない。
ま、ぎりぎりまで希望を持って祈ろう。
 とりあえずは、今のところ、今後に影響のありそうな問題も余り見当たらない状況に感謝し、当面の問題を神様に委ねつつ、帰路についた。

 詩音ちゃんは、わりに、賢くしていたそう。
夫と詩音ちゃんにも感謝しなくちゃね。

顔が、水に映る顔と同じように、
人の心は、その人に映る。
箴言 27:19
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