2005年01月31日

ちょっとお疲れ…

 いつものことながら、大したこともしていないのに、ちょっとお疲れモード。土曜の夜からちょっとネットに向かう元気がなくて、レスなど、大幅に遅れてしまった。
もう、病院に行って薬をもらってこないといけない時期なのだけど、この時期、なんだかんだと、雑用が多くて、なかなか思う日に行けない。今月は検査もするって行ってたから、なるべく早めに行こうとは思うのだけど。

 土曜日、教会のSさんのご主人の召天1周年記念会だった。
Sさんのお宅は、この界隈でも、本当に歴史のある地域で、ご近所とのお付き合いも難しい地域。
この記念会も、地域の慣例に従って、通常なら法事を行うところ、キリスト教式で、と相成ったという訳。
 そういうことだから、夫は結構緊張していたらしい。
出席者は、ほとんどクリスチャンではない方々ばかり。その中で、反感をかわないように、それでいて、福音をきちんと語るには…とあれこれ、考えてメッセージを組み立てていたみたい。
 それが、ご家族にはとても好評で、昨日、教会で、夫人や、娘さんから、「本当に良いメッセージだった」と言ってくださって感謝だった。
 夫は、「歎異抄」などからも引用して、語っていたので、皆さんも親しみを持たれたのか、全体に話しもよく聞いてくださっていたらしい。また、娘さんのY姉妹の話では、会食後にも、メッセージのないように触れた会話をしておられた方もあったとか。一言二言でも、心に止めてくださった方があったことは、幸いなことだと思う。
 娘さんたちは、この記念会を、「伝道会」だととらえれおられるようで、その意味でも、地域への、とても大きな証しとなっていると思う。

 日曜日は、ピアノ奏楽当番だった。
にもかかわらず、土曜日の午前中に記念会があったりして、練習しそびれてしまった。
週の半ばに一応の練習はしていたものの…。
もうちょっと、普段から練習しておこうとは思うんだけどねぇ…。まあまあ、何とか、弾くことはできたものの…。それも、なんだか、わたしには苦手なKeyの曲ばっかりだったんだもの…。
 イヤイヤ、言い訳はできない。今年は、歌も含めて、賛美練習を日頃からちょっと頑張ろう、と思って早ひと月…。あーあ。

 詩音ちゃんは、リュックサックがマイブームらしく、この2,3日、どこへ行くのにも背負っている。というか、家の中でも背負っている。
勝手に片付けると怒るし。
 一つだけ残念なのは、このリュックを下さったPさんの、詩音ちゃんへのお手紙を、また、もう少し大きくなってから読んで上げようと、リュックのポケットに入れておいたのだけど、詩音ちゃんがあちこちあけて、色々出し入れしているうちに、その手紙がどこかへいってしまったこと…。でも、気持ちはきっと伝わるよね。
 最近詩音ちゃんは、教会ではわたし以外の人になつく。
家では、わたしべったりなのだけど、教会では、わたしは用事も多いし、礼拝中は特にわたしはほとんどかまってやらないので、どうも、甘やかしてくれる人のそばに行きたがる。
そのかわり、と言うのもなんだけど、最近は、母子室ではなく、会堂の方に座ることもでてきた。そこで、お気に入りの人の横に座って、本を開いていたり、お絵描きをしていたり…。静かにしているのでまあ良いか、と見守っているのだけど、昨日は、お誕生日の時に頂いた音のなるバースデーカードを礼拝中に開き、一瞬みんな「誰???」って感じで、きょとんとされていた。わたしは思わず走って行って、さっとカードを取り上げて後ろの席に戻ったのだけど、しばらくして、泣きながらこちらに走ってきた。
 随分成長したとは思うけど、こういうところはまだまだ小さな子供なんだな、と思う。でも、「日曜日は礼拝」ってちゃんとわかっているんだよね。
まだまだわがままなところもいっぱいあるし、甘ったれているけど、やっぱり親には嬉しい成長だよね。
 これからも、人と神とに愛される子として成長しますように…。

 今、気がついたけど、3月5日、姉と父と、姪たちの出るお芝居を見に行こうと思っていたんだけど、Good Newsさんの結婚式だ〜。
夜の部なら見にいけるかなあ。

万軍の主はこう仰せられる。
「正しいさばきを行ない、互いに誠実を尽くし、あわれみ合え。
やもめ、みなしご、在留異国人、貧しい者をしいたげるな。
互いに心の中で悪をたくらむな。」
ゼカリヤ書 7:9,10
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月28日

詩音ちゃんと結婚

 昨日の夜のこと、お風呂で詩音ちゃんと遊んでいた。
うまく表現できない、発泡性の素材で、お風呂の壁にペタペタくっつくパズルのようなものがある。
100均で買ってきたものと、以前保育園の多分保護者会からもらったものとある中で、一つ、花の模様のがある。
 それを、詩音ちゃんは、わたしの方につけて「けっこんするの」と言う。
わたし「え?」
詩「けっこんするの」
わたし「詩音ちゃんが結婚するの?」
詩「うん」
わたし「誰と結婚するの?」
詩「(小さな声でハズカシそうに)お母さんと」
わたし「え〜?おかあさんとー?でもなー、お母さん、お父さんと結婚しているから、詩音ちゃんと結婚できないと思うけどなー」
詩「でもねー、でもねー、おとうさん、テレビみてるからできないとおもう」
わたし「お父さん、テレビ見てるから、お母さんと結婚できないの?」
詩「うん」
わたし「ふーん、それで、結婚って何するの?」
詩「おうたうたうの」
わたし「そうかーお歌歌うんだー。じゃあなに歌うの?」
詩「えっとねー、(小さな声で)きよしこの…」
わたし「きよしこの夜?」
詩「うん」
わたし「わかった、じゃあ歌おうか」
詩「…おかあさんたって」
わたし「えー、寒いからお母さん座ってる」
詩「ダメ!たって、たたないとできないから」
わたし「じゃあこうする(と膝で立った)」
詩「うたって」
 ということで、向かい合って両手を取り合って、きよしこの夜を歌いながら、お風呂の中をぐるぐる回った。
これが結婚式なのかなぁ?
1回終わると「こんどはしおんちゃんが」と言ってお花のピースを自分の方につけて、同じようにしていた。
うーん、詩音ちゃんの言ってる「結婚」って何なんだろう?

 今年も、父の証しをあちこちからご依頼いただいている。
昨年の12月、ゴスペル・イン・文楽を休演したり、証し中に話せなくなったりしたことがあったので、最近、そのことを説明させていただくようにしている。
 勿論、普通の仕事に関してはそんなことは言わない。万が一の時には代演がありうるからだ。落語でも口演でも、まあ、お客様には申し訳ないけれども、ナマの舞台は、そういう可能性もあるというのが、ある程度はまかり通る。
 しかし、「証し」の場合はちょっとわけが違う。クリスチャンの落語家はそういるわけではないし、特にプロテスタントのクリスチャンで、証し活動をしているのは今のところ父くらいのもの…ということは代演がきかない、ということだ。
 99.9%同じことはないと信じている。けれども、神様のされることはわたしたちにはわからないので、一応、説明だけは…と思っている。
 また、関西近辺以外の場所となると、最低でも母が同行する必要があり、旅費交通費も倍になる。…と言っても父は障害者の認定を受けているので、交通費は一般よりは安くなるのだけれど。でも宿泊費はそういうわけには行かないし。
 わたしたちは、勿論、同じようなこと(父が証しできない状況になること)は2度とないと思いたい。けれども、事実、昨年はあったし、迎えていただいた教会の先生も、「それはそれで益とされた」と言って下さった。わたしが無事に中継をできたことで、父も、落ち込むことなく、父もわたしたちも「あれは神様のされたことだった」と信じている。
 けれども、やはり、迎えてくださる方々、また聞きに来てくださる方々は「露の五郎」を期待してきてくださるのだし、特に、クリスチャンはまだしも、教会外から来られる方々にとっては、少しでもがっかりさせることのないようにと願う。
 だからこそ、説明させていただいているのだけれど、 それでも、今のところ、今年の予定についてお問合せいただいている何軒かの内、遠方の教会以外は、「それでもお願いしたい」と言って下さっていて、本当に感謝している。
 それは、それほどまでに父の救いを喜んで、そしてそれが用いられると信じてくださる皆さんへの感謝であり、神様への感謝である。
 まだまだ、父は用いられると信じている。だから神様は、必ず父を回復させてくださるし、この世においても祝福してくださるはずだと信じている。
多くの方が父のために祈ってくださっていることを、感謝し、わたしたちも信じ続けて祈っていきたい。
 ついでという訳ではないけれど、わたしもすでに、12月にはコンサートのご依頼を頂いているし、他にも特別賛美の機会を与えていただけそう…。
 今年はもっともっと、賛美のためにも時間をささげて練習していかなくては、と改めて思う次第だ…。レパートリーも増やしたいしね。

私の主、神は、私の力。
私の足を雌鹿のようにし、
私に高い所を歩ませる。
ハバクク書 3:19
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月26日

わ〜!

 こんなに日記をサボってしまったのは、初めてだ。
最近、掲示板の書込みがちょっと多くて、レスに忙しかったり…。
ま、お仕事も色々ありまして…。
それにしても、あれこれ書こうと思っていたのに、どんどん忘れてしまって…f(^_^;)

 一昨日は、母が、お米(去年新潟に行った時頂いた魚沼産こしひかり)を持ってきて、と言うので、夕方から家族で出かけた。
母が少し前に祈りの掲示板にも書いていたけれど、父が、栄養失調らしくて、少しご馳走をたべても良い、と言うことらしく、行きつけの日本料理屋さんに連れて行ってもらった。
 創作懐石料理のお見せで、とても美味しい店。わたしたちの懐ではとてもいけないので、両親が行く時に、タイミングが合えば連れて行ってもらえる。一昨日は、そのタイミングが合ったという訳。
 父は今まで松花堂しか食べさせてもらえなかったのに、小さなコースを食べられるようになり、とても喜んでいた。わたしたちも同じものを頂いたけれど、結構ボリュームもあり、最後はお腹一杯になった。ちょっと多いなあ、と思いながら、デザートまでしっかり食べたら後でお腹が痛くなってしまった。
最近わたしは、ちょっと食べ過ぎると、すぐお腹に来る。胃腸が弱くなったのかな?

 詩音ちゃんは、以前から、時々、大人びた言葉を使うけれど、最近笑ったのは、わたしが叱った時に
「おかあさん、そんなにおこらなくてもいいじゃありませんか〜」
だって。どこでそんな言葉を覚えてくるんだろうね(^◇^)

 そうそう、詩音ちゃんがやっぱりホンの時々「みみがいたい」と言うし、少しにおいも気になったので、耳鼻科に連れて行った。やっぱり軽い中耳炎だったみたい。今まで外耳炎には、2、3回なったし、外耳炎は耳の外の方なのですぐにわかるのだけど、中耳炎は初めてだったので、ちょっとわからなかったわ〜。姉に聞いていたほど、耳ダレとかも出ていなかったしね。
 まあ、しばらくほっておいたわりにはひどくなっていなくてよかった。詩音ちゃんの耳痛い事件は、真っ赤な嘘でもなかったんだよね。一応詩音ちゃんの名誉のために…(^^)
夜中に痛かった時は本当だったのだと思う。で、朝起きたらたいしたことなかったんだけど、遊びたかったから、きっとそのまま「いたい」って言っちゃったんだろうね。本当は、やっぱりその時に無理やりにでも病院に引っ張っていけばよかったのかも。でも、あの時以来詩音ちゃんは、「嘘」を言ってはいけないこと、それから悪いことをした時は、神様に「ごめんなさい」と言うことを覚えたみたい。
 ある時、食事のお祈りのときに、「きょうも、このごはんをありがとうございます」の後、「それから、いちごのヤツをこぼしてごめんなさい」と言ったのでびっくりしたことがある。
食事のちょっと前に「いちご豆乳」を飲んでいたのだけど、それをこぼしたらしい。わたしに叱られると思って、黙って自分で布巾で拭いていたみたい。でも、それを自分から神様にお祈りして告白していたので、びっくりしたという訳。他にも、なんか、思わぬことで「〜してごめんなさい」と、ま、食事のついでとかだけど、お祈りしていることがあってびっくり。あの「耳痛い事件」もかみさま、詩音ちゃんの成長のために用いてくださったんだね〜。

苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
私はそれであなたのおきてを学びました。
詩篇 119:71
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月22日

詩音ちゃんのワルサ(>_<)

 詩音ちゃんは、悪気なくワルサをする。ま、小さい子供なんてみんなそんなもんだろう。
昨日書き忘れたことを思いだしたのでちょっと書いておこう。
 昨日、わたしたち夫婦は、大幅に家庭集会に遅刻した。
それはみんな詩音ちゃんのせいなのだ。
 夫は、前日に家庭集会で話すことを準備した。夫の家庭集会はちょっと変わっていて、聖書のお話し、と言うよりも、ちょっとカルチャーセンターみたいなことをやっている。以前はキリスト教史(日本編)とかやっていたし、最近はリクエストもあって、キリスト教から発生した新宗教について学んだりしている。
今回はエホバの証人についてだったので、夫もリキが入っていた。で、前日、遅くまで準備していたので、資料のプリントだけ、当日の朝やろう、ということで、昨日、朝からわたしのPCにプリンターをつなぎ、フロッピーを入れるが、一向に読み取れない。というか、PCがフロッピーを認識しない。わたしが詩音ちゃんを保育園に連れて行こうとするとき(それも遅刻(^_^;))、夫が家から出てきて車に近づいてきてひとこと言った。「チラシが入ってた」
 やられた…。犯人はもちろん詩音ちゃんだ。
話せば長いことながら、詩音ちゃんは、チラシを切り抜くことが好きだ。厳密に言えば、自分でできないので、わたしに切ってもらうのが好きだ。チラシを商品ごとに、小さく切って、集めている。と言ってもほとんどがゴミになるのだけど。
で、少し前、コープのチラシを持ってきて、「たまごのとこきって」と言うので、切ってあげたことがあった。その後、詩音ちゃんが、PCのフロッピーのところにそのチラシをいれようとしていたことがあった。「ダメだよ!」ときつく叱ったのだけど「だって〜たまごのおうた、ききたかったの」と言っていた。
 はっきりわからないけど、車についてるCDって、薄い隙間のようなところに直接CDを入れるので、詩音ちゃんも、「この隙間に入れたらお歌が聞ける」と思ったのかもしれない。その時はやめさせたけど、次の日にもまた同じことをしようとしていた。夫がチラシを取り上げたのだけど、6枚あったきれっぱしが4枚しかなかった。その時にもっとよく調べればよかったのだけど、まさか、本当に入れたと思わなかったので、どこかにまた散らかしているのだろうと思っていた。一応、フロッピーの挿入口も見たけど、よく見えなかった。
 が、その2枚はやっぱり、フロッピーのディスケットに入っていたのだ。
はあ〜〜〜、ため息。
そう、実は、先日壊れたと思って買い換えたビデオも詩音ちゃんのワルサのせいだった。後日、夫が、そのビデオを処分しようとして持ち上げたら、カラカラと音がしたそう。中を見ると、櫛だとか何だとか、色んなものが入っていたらしい。結局壊れていなかった。
まあ、使える訳だし、丸々損をした訳ではないけど…。
これからは、詩音ちゃんの行動、要注意だわ(ーー;)

 最近、詩音ちゃんがよく甘える。
保育園でも結構先生に甘えているらしい。
 そういう時期もあっていいよね。甘えても良い時、甘えても良い事柄なら、思いっきり甘えさせてあげたいし、甘える相手があることは幸いなことなのかもしれない、と思う。
夫みたいに、ずっとどこにも甘えられずに育ってきた人もいるんだ者ね。
 わたしはどちらかと言うと親にも人にも甘えるのが下手だった。
 悩み事も、いつも友達から相談される方で、自分から相談することはあまりなかった。そのことで、親友に「わたしはいつもSunnyを頼りにしているのにSunnyはわたしを頼りにしてくれない」と言われた。
でもそうではなくて、その友人がそこにいてくれたことだけでわたしは十分励まされていた。何をしても、何をいっても判ってくれる友人がいると言うことで、安心感があった。
 でも、自分が人に相談事をあまりしなかったからか、自分も人を励ますのが下手ッピーな気がする。
ネットでも、悩んだり困難に会っている友達をはげましたいと思うけど、うまく言葉が出てこない。すごくときに叶った言葉で、時に叶った励ましを与えておられる人を見かけると、本当に感心してしまう。こんな風に言ってもらえたら、誰でももっと心を開いて話したくなるだろうな…と。
 わたしは、そういうのができないので、ついつい自分のことを話してしまう。自分のことを話したら、相手も話してくれるかな、と思ってしまうところがある。で、結局自分ばかりがしゃべって終わったりする。カウンセリングも少し学んだけれど、どうも人の話を聞いたり、励ましたりするのが下手みたい。
 それでも、わたし自身、今でも、普段音信不通でも、そこにいて祈ってくれる友達がいることは、本当にありがたく、心励まされている。実は、わたしこそが誰よりも甘ったれなんだ。だから、いつも100%の味方がいてくれることに安心感を覚えるんだろうね。
 今は、イエス様も、わたしの100%の味方だけどね。(いつでも甘やかしてくれる訳じゃないけど)
 わたしは、人のことを励ますのが下手だけど、わたしも、せめてそんな風に、友人たちの、そばに寄り添う者でいられたら、と思う…。ま、できればもうちょっと、人の心の機微を感じ取れる繊細な神経を持ちたいとは思うけど…。

わたしは父にお願いします。
そうすれば、父はもうひとりの助け主を
あなたがたにお与えになります。
その助け主がいつまでもあなたがたと、
ともにおられるためにです。
ヨハネの福音書 14:16


助け主=聖霊を表すギリシャ語は、「脇へ転がす」という意味があると聞いた。
いつもそばにいて寄り添ってくださる助け主と言うことだ。
わたしもまた、その御聖霊様の性質に与る者となりたい。
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月21日

no title

 いくつか書かなきゃ、と思いながら書きそびれていることがあって、それがどんどん溜まっていき、そして忘却の彼方へと…。
 ひとつ思い出したことを忘れないうちに書いておこう。

 先日、夢を見た。すごく恐い夢だった。
 わたしたちは大きな教会堂の2階にすんでいるらしい。1回の教会堂に、少し異様な人、はっきり言えば変質者のような人がやってきたけれど、夫が留守なので、お引取り願って、戸締りをして2階の住居部分に上がった。もう一度、出入り口にも鍵をかけた。
その日は雨(本当に外は雨が降っていた)。ふと窓を見ると(その部屋は4方の内2方がほぼ全面吐き出し窓で、ベランダ続きになっていた)、いくつかの窓が半開きになっていて、雨が降り込んでいて、それを夫の仕業と思ったわたしは「もうまったく…」と思いながら窓を閉めて回っていた。ものすごく広い部屋で、幾つかの窓を閉めた時、ベランダの端のほうで、「ドン!」という音がしたと思って見ると、先ほどの変質者が上ってきていた。
窓から入ろうとしているが、わたしが閉めたところは皆(当たり前だけど)閉まっていて入れない。わたしは残りの窓も早く閉めようと急いだけれど、最後の窓のところで、変質者の方が追いついてしまって間に合わなかった。窓のところで揉み合って、相手が押し入ってきて、詩音ちゃんを守らなくては、と必死の思いで「だれかーっ!」って誰もいないことがわかっているのに叫んだところで目が覚めた。すごく怖くて、心臓がドキドキしていた。
その瞬間、隣の夫が「チューチューチューズデー」と寝言を言った。
あまりの間の良さに、笑ってしまった。
ロト6のCMでも夢で見ていたんだろうか?とにかく、夢が怖くて目が覚めたけど、夫の寝言になんだかほっとして寝付いたわたしだった。

 昨日の夕ご飯の時、詩音ちゃんは、いつものようにお祈りを始めた。食事の感謝を言って、グランパの足の事を祈って、まだなにか言いたそう、よく聞いていると「きょうもしおんちゃんは、いちごのこぼしてごめんなさい。ゆるしてください」と言っていた。食事の少し前、おなかが空いた詩音ちゃんは、英語教育のさんぷづDVDを見ながら、いちご豆乳を飲んでいた。どうやらそれをこぼしたらしい。わたしに見つからないように、布巾で拭いていたらしいのだけど、それを、謝りたかったみたい。エライエライ!ちゃんと告白できたなんてすごーい!ちょっぴり感動してしまったわたしだった。

 この前の水曜は、前日、余り時間がなかったので、簡単なマドレーヌ(カトルカール)しか作れなかった。
きょうの家庭集会は、O姉がおぜんざいを作ってくださるので、和菓子にしようかな?ということで、お菓子の本をぱらぱら。
いつもあまり見ない本を見ていたら「かるかん」が載っていた。
 九州の名物の、あのかるかんだ。もちろん猫のえさじゃない。(夫は「かるかん」と言うたびに、「猫まっしぐら」とか、同じことを言うのだけれど)
 わたしはかるかん大好きだし、丁度、長芋はないけど、先日頂いた山芋があるから、これで代用できるだろう。ということで初めてかるかんにチャレンジ!で、本当はあんこを入れるのが書いてあったけど、わたしは餡のないのが好きだし、おぜんざいも出るから、餡抜きにした。と、作り方は超簡単。問題は、長芋と山芋の水分量が違うので、水が、書いてある通りでは全然足りない。こんな感じかなー?と手探りで水加減。蒸しあがりはいい感じだったけど、さめたらどうかな…と思い今朝1個だけ味見。いい感じー!わたしは好きだなー、この手作りかるかん。姉も好きなこと間違いなしだな。簡単だからまた時々作ろう、と思った。

 なーんか、他にも一杯書くことがあるはずなのに、思い出せない。
この前も同じ様なことを書いた記憶があるけど…。ということでまた思い出したら書こう…。

彼らは大声で言った。
「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、
誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」
ヨハネの黙示録 5:12
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月19日

no title

 まずは昨日のことから。
 実は、昨日、ちょっとばかりショックなことがあった。
詩音ちゃんが、嘘をついたのだ。
まあ、小さな嘘は今までにもつくことはあって、そのたびに、「嘘はいけない」と教えてきたけれど、今回はいつもの嘘とちょっとばかり違った。

 実は、その前の晩から、寝つきが悪く、寝ても夜中に何度も目を覚ました。その度にぐずっているので、「どうしたの?」と聞くと「おみみがいたい」と言う。半泣きで、そう言うものだから、本当に痛いのだと思った。何度か起きて、その度に「お耳が痛い」と言っていたし。すぐに病院に連れて行ったほうがいいかどうか迷ったけれど、とにかく、目が覚めてもすぐにまた寝入るので、そんな激痛ではないのかなあ、とか思いながら朝まで様子を見た。
 朝起きた時は、「かえってきたらピーターパンみる!」と、保育園に行くつもりなのかな?と言う様子もあったけど、一応、「お耳は痛くないの?」と聞くと「いたい」というので、「じゃあコアラの先生行こうね」と言うと「うん、じゃあこあらからかえってきたらピーターパンみる」と言っていた。
 開業医なので、9時からだったか、10時からだったか?とか思いながら、まあ、保育園も休ませたし、と思って朝ものんびりして、10時ごろ、さあ病院に行きましょう、と思って「コアラの先生、行こうか」と声をかけると詩音ちゃん「いたくない」「え?!」「おみみいたくない」「えー?!じゃあ、うそだったの?」「うん」「昨日の夜も痛くなかったの?」「うん」「お父さんもお母さんも、すっごくすっごく心配したんだよ。ホントにホントに痛くないの?」「うん」「朝、神様にも『お耳が痛いのでコアラの先生に行きます』ってお祈りしてたのに、神様にも嘘をついたの?!」「うん…ごめんなさい」
ということで、嘘だったことが判明した。
あんまりあっさり言うので、なんだか腹が立つより気抜けしてしまった。でも、とにかく嘘はいけないということ、しかも保育園まで休んだし、回りに心配をかけたのだから、それはきちんと教えなくては、と思い、「謝ってもダメ、お尻ペンペンするから、お尻だしなさい」と言ったけど、詩音ちゃんは「ごめんなさい、ごめんなさい。おしりださないで〜」としきりに謝るので、「今度嘘をついたら謝っても、お尻ペンペンするよ」と約束して、神様とお父さんとお母さんに嘘ついてごめんなさい、ってお祈りして、お父さんにも謝りにいって、とりあえずは、今回はそれでよし、と言うことにした。
 何度も何度も、「うそは悪いこと、だから詩音ちゃんは悪いことをしたんだよ」ということを言い聞かせた。
夫など、団体教師のブロック祈祷会でも、「中耳炎かもしれない」とみんなに祈ってもらったんだそうな。
 詩音ちゃんは、さすがに悪いことをしたと思ったのか、晩の食事の時にも「あいするてんのおとうさま、きょうも…おとうさんとおかあさんと…」で考え込んでしまうので、夫やわたしが横から「ありがとう?」といっても「ちがう」と言うし、「みんな仲良し?」と聞いても「ちがう」と言うし「なんでもお祈りしたらいいんだよ」と言うと、「うん」と言うけど考え込んでいるから横から色々いっていると「ちがうの、わるいことしたの」と言うので、やっと「ああ」とわかって、「嘘をついてごめんなさい、でしょ?」と言うと「そう、ごめんなさい」とお祈りが続いた。
 夜寝る前のお祈りでも、また同じようなことをお祈りしていたので、きっと、1日反省したんだろうな。
 これで全然嘘をつかなくなるとは思えないけど、少しは、嘘をつくのはいけないことだ、と言うのがわかればいいなあ、と願っている。

 さて、今日は、普段は祈祷会だけれど、ちょっと特別な集会だった。
というのも、以前、1年間栗東教会でご奉仕されたことのある、韓国への宣教師の長澤久美子先生をお迎えしての集会だったからだ。
 長澤久美子先生は、今から21年前に宣教師、特に聾者への宣教師として韓国に渡られた。
そして15年前に韓国人聾者の伝道者と結婚された。
 当時まだ、日韓には深いわだかまりの残っている時代、そして、まだまだハンディキャップドパーソンについても、偏見の強い時代。周囲の理解を得るには厳しい結婚であったそうだ。
 けれども、そのハードルを越え、結婚され、韓国において見事な実を結んでおられる宣教師の先生だ。また、日韓の大きな架け橋になられ、最初の6年位もの間、取材に追われた、とのことだった。それくらい珍しい結婚であったそうだ。
 初めてお会いする久美子先生は、ひまわりのように明るく、宣教の情熱に溢れた、素晴らしい先生だった。
またご主人の李(イー)牧師は、温厚で、柔和な、素晴らしい人格者に見受けられた。
わたしは以前覚えた手話を、思い出し思い出し、李先生に挨拶をした。たどたどしい、それも日本の手話だったけれど、李先生は理解してくださり、喜んでくださった。
 とにかくたくさんのチャレンジを受けた集会だった。
宣教へのチャレンジ、そして協会形成の大切さ、信仰・希望・愛。
久美子先生のお証しからは、そのことが強く心に響いた。
 もうひとつ、李先生のお話の中で、とても心に残ったことがあった。それは、「自分は耳が聞こえません。子供が生まれて、初めて声を出した時、久美子からとても可愛い声だと教えてもらいましたが、どんな声かわかりませんでした。どんなにその声が聞きたかったことでしょう。また人々が手を叩きながらとても楽しそうに賛美しておられても、自分には全然聞こえません。とても残念です。しかし、わたしは信仰においては健聴者です。神様の声を聞くことができます。わたしは、信仰においては健聴者です。感謝します!」という言葉だった。
 神様の声を聞くことができる!何と素晴らしいことだろう。
わたしたちも同じように、神様の声を聞くことができる心の耳を与えていただいていることを、これほど感謝したことがあっただろうか。そして、実は、その耳が与えられていることを忘れて、信仰の難聴者、信仰の聾者になっていないだろうか。少なくとも、そうならないように、いつも、神様の御声を聞く姿勢を忘れないようにしなければ、と気づかされた。
 イエス様は「耳のあるものは聞きなさい」と言われた。
「耳のある者」とは、「すべての者」と取ることもできるし「聞く気のある者」とも理解することができる。
しかし今回、「信仰的な耳、心の耳のある者」かもしれない、と、改めて気付かされた。
わたしも、常にこの耳を持つものでありたい、と願わされた。
 また、錆び付いている手話をまた少し思い出してみよう、と思う。来年、御心ならばまた、日本に来てくださる、とのことだった。今度は韓国人聾者の方も一緒に来られる予定だと言う。
 日本の手話と韓国の手話は、少し違うのだけれど、それでも、口で話す言葉よりは、通じるのではないか、と思う。
以前聞いた話では、聾者の国際会議では、通訳はほとんど必要ない、という事だった。本当か嘘か知らないが、やらないよりは、やったほうがいいだろう。
 思い起こせば、栗東に来た時、栗東には、聾学校があると聞いたので、いつか、聾者の方との出会いがあるかも知れない、と思い、大きな手話辞典も買い込んだのだった。
手話のビデオや辞書類だけは色々そろえたのだから、少しはやらないと…。
 あ〜、こうやって、思うことだけはいつも思うのだけどねぇ。
いつも思うだけで終わってしまう…。
今度こそは、と思って、少しは頑張ろう。

 勉強といえば、詩音ちゃんの英語教材。
すごくすごく迷う。
高いものだし、分不相応かもしれない、と思う。実際にどの程度役に立つのだろうか…。身近にチャレンジして「良かった」という声を聞いたことがない。でも、詩音ちゃんは、英語はキライじゃないみたい。毎日のように英語のビデオを見ているし、英語の絵本も楽しんでいる。
まあ、英語のビデオは、キャラクターを楽しんでいるだけだろうけど、それでも、嫌がらずに、喜んでみているのは、まあ、受け付けない、ということではないのだろう、と思う。
 これからの時代、英語が必要だとは、自分自身が実感していること。
ある程度身につけば、詩音ちゃんの場合、宣教師の子供さんなど、英語で話せる環境もある。最初のステップとして、本当に役に立つのなら…という気はするのだけど。
 でもなあ、高いし。もっともっと色んなものを調べた方がいいのだろうか…。

 詩音ちゃんは、この2,3日は、カルタにはまっている。
ずっと前に、教会員の方がご自分の子供さんが小さかった頃の物、と言って、本やカルタなどを教会に持ってきてくださった。その中から、ひとつだけ、カルタを頂いていて、今まではやったことがなかったのだけど、最近保育園でやっているということなので、やってみよう、と思っていたら、詩音ちゃんのほうから、出してきて「これする〜」と言うのでやってみた。
 それが、結構、絵を見て、わかるので、びっくりしてしまった。競争相手がいないから、見つけるまで待ってあげるのだけど、結構理解しているので、感心してしまった。子供は知らないうちに成長しているんだね〜!

そのうちに主が来られ、そばに立って、
これまでと同じように、
「サムエル。サムエル」と呼ばれた。
サムエルは、「お話しください。
しもべは聞いております」と申し上げた。
サムエル記第1 3:10
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月17日

no title

 阪神淡路震災10周年の今日、色々なことを思ったけれど、行動とかはいつもどおり。
普段と同じ1日を過ごした。
コラムに一応震災のことを書いたけれど、なんだか普段色々思っていることをうまくは書けなかったような気がする。
なんだか何が言いたかったのか?見たいな文章になってしまった。それが、わたしの震災観でもあるのかもしれないけど…。

 今日は、いつもどおりの1日、というか、夫と、映画を見に行った。「北の零年」
とりあえず、ボロボロ泣いた。
感想はまた、別に書くことにしよう。

 詩音ちゃんは、今日は朝の食事のお祈りのときにも「グランパのあしがなおりますように」とお祈りしてくれていた。
どうも、詩音ちゃんのお祈りにインプットされたらしい。
相変わらず夜のお祈りはノウテンキだったけれど、お祈りしているだけでもよしとしよう(^^)

 あしたもよい日になりますように!

神を愛する人々、すなわち、
神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、
私たちは知っています。
ローマ人への手紙 8:28
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月16日

no title

 昨日、神戸の阪神大震災メモリアル集会に出席した。
今年で10回目で、一旦一区切りということで、最終回とのことだった。
 わたしたち夫婦は、震災当時、阪神間にすんでおり、震災を経験しているし、その後も長くそこにいたのに、こういう集会がもたれていることは知らなかった。
教会が超教派の催しには一切関わっていなかったし、自分自身も、そういう情報を自分から求めることはしなかったから、まあ色々な集会がもたれていることをうすうす知ってはいても、情報として取り入れることはしなかった。
 やっと行くことができたのが最終回だった…。
それでも、行くことができてよかったと思う。
 16組もの出演者とメッセージ、という盛りだくさん、贅沢な集会だった。
 1組目の賛美の背景で、震災当時の映像が流れた。涙が止まらなかった。
わたしは今でも、震災当時のことになると、多少ナーバスになってしまう。ニュースなども、どちらかと言うと余り見たくないくらいだ。見るのが辛い。
自分の被害は、それほど大きくなかったにもかかわらず、それでも、その記憶は、辛い経験として刻まれている。
 もちろん、多くのことを教えられた。ある意味で、それを経験できたことは、神様の摂理であり、今のわたしにとってなくてはならない経験だったのだと思う。それでも、やはり辛いものは辛い。
 それでも、人々は立ち上がって、生きていく。
わたしよりもっともっと辛い、過酷な運命にさらされた人たちが、立ち上がって生きている。とてもとても、励まされた、そして恵まれた集会だった。

 母も会場に行っていたはずなのだけど、会えなかったので、集会が終わってから連絡を取ったら父の病院に行く、と言うので、病院で合流した。
 父は、元気そうは元気そうだった。
金曜日も仕事に出ていたし、今日も仕事に出かけていた。
本人はやる気満々で、「足の状態もすぐに良くなる」と言っている。その気持ちがある限り大丈夫だ。
 母を実家まで送り、年末に姉のところでついたお餅をもらって帰るつもりでいたら、夕食を一緒に、と言うので、ちゃっかりご馳走になって帰ってきた。
美味しい中華で食べすぎてしまって、夜中におなかが痛くなった(>_<)

 昨日は詩音ちゃんも、一緒に出かけた。
 最初は、保育園に預けて、と思っていたのだけど、この前、姉の家にいたときに熱を出したこともあって、遠方に出かける時に置いていくことが少し心配だったのと、何らかのアクシデントで、お迎えに遅れてしまうという可能性もある。色んなことで迷っていると、夫の、「子供のうちから、霊的な雰囲気の中にいることが大切」という一言で、連れて行くことにした。
 時間が長いし、劇場の座席でじっとしていなくてはならないことは、詩音ちゃんにとっても苦痛ではないか、と思ったけれど、それでも、わかってもわからなくても、そこにいることが、神様の恵みなのだと思った。
 幸い、詩音ちゃんは、じっとはしていなかったけれど、泣いたり騒いだりすることなく、過ごしてくれた。最後の方は、夫とロビーに出て遊んでいたけれど。

 実は今日も、詩音ちゃんのことを書きとめておきたくて、少々眠いのをこらえて、日記を開いた。
 今日、わたしは、少々疲れていた。寝不足のせいだ。
疲れていたせいでイライラしていたし、不機嫌だった。詩音ちゃんに対しても、ついつい、「ちっともお母さんの言うこと聞かない!」とイライラの態度であたってしまったりしていた、申し訳ないと思いながら…。
 でも、詩音ちゃんは、一生懸命気を取り直して、ちょっとわがままを言っては、わたしが不機嫌なのを見て取って「やっぱりおかあさんのいうことをきく、ごめんなさい」と健気だった。
 夜寝るとき、「今日、詩音ちゃんは何が楽しかった?」と聞くと、今日、夕方から食べたものや、したことを一つ一つあげて、「そういうこと!」と言っていた。わたしが2回ぐらい聞いたら、同じように答えて、そのあと自分から「じゃあ、かみさまに(ありがとうの)おいのりしよっか!」と言ってくれた。
それで、お祈りを始めたら「あいするてんのかみさま、きょうにちようがっこうで、ありがとうございました」って言っていたので、とても嬉しかった。日曜学校で教えていることはなかなか理解できないみたいだけど、それでも、日曜日に日曜学校にいっていることは、ちゃんとインプットされているんだ。
 そのお祈りのあと、「グランパの病気が治るようにお祈りして」と言うと、「しおんちゃんもうネンネしてるの!」とか何とか言い訳をして逃げる。昨日も、父の病室で、「グランパのためにお祈りしてあげて」と言っても、恥ずかしいのか、くねくねして、結局してくれなかった。詩音ちゃんがお祈りしてくれたら、きっと父も嬉しいだろうに、と思うと、ちょっと残念だった。
それで、今日はちょっとわたし自身不機嫌だったこともあって、「そんないじわるな詩音ちゃん知らない!」とプイ、としたら、詩音ちゃんは「あいするてんのかみさま、グランマの(わたし:「グランパ」)グランパのびょうきがなおりますように。あ〜め〜ん!」と、ノウテンキにお祈りしてくれた。
でもそのノウテンキな「あ〜め〜ん」と言うのを聞いたわたしは、全然真剣なお祈りじゃない、と悲しくなって、わたしは「グランパ、病気なんだよ、病気で大変なんだよ!」と泣き出してしまった。
 わたしは、そのまま泣きながら祈った。とにかく父がもう一度元気になって、神様の御用のために役に立てるように、仕事も、意欲満々なので、思い切りできるようにと、声に出して祈った。
 すると、詩音ちゃん、わたしが泣いているのでびっくりしたのか、「なかないで、おかあさん、なかないで」と一生懸命なだめてくれた。
「なかないで、おかあさん、まもってあげるから」と言ったあと、「あいするてんのかみさま、おかあさんがないているのでございます。だから、だからなきませんように、アーメン」とお祈りし、「おかあさん、おいのりしたからね、だからもうなかなくていいんだよ」
「まもってあげるから」ってことばにも、おかしいやら嬉しいやら、だったけど、かみさまに「おかあさんがないているのでございます」と言っているのには思わず笑いそうになってしまった。それでも、そんな風に、一生懸命気遣ってくれるのが嬉しかった。そして、いつも、病気のときなどにわたしがお祈りして「お祈りしたからもう大丈夫だよ」といっているのを、しっかり覚えているんだな、って思った。そういう意味で、前にも書いたけど、わかっているのかいないのか、わからないようでも、言い聞かせること、夫の言ったように霊的な環境の中においてやることは大切なんだな…。

 今日、教会員の方と話していて、クリスチャンホームの子供が、よく、一旦親や神様に反対して離れることがある、という話が出た。「それはそれでいいんじゃないか」とわたしも話したし、その方も、「そのほうが、本当に大切なものがよくわかるのでは」という意見だった。それでも、わたしの周りには、10歳になる前にイエス様を信じて、子供のころに献身してそのまま伝道者になったクリスチャンホームや伝道者の2世もたくさんいることを話したら、その方はびっくりしておられた。「そういう純粋培養のような人もおられるんですね…」と。
 確かに、世の虚しさを一旦経験しておくのも悪いことじゃない。
「なんとなく、クリスチャン」みたいなのより、劇的な回心があるほうが、ある意味でクリスチャンとして強い場合もある。
それでも、聖書には「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」と書いてあるのだから、若い日にイエス様を信じることは幸いなことなのだと思う。
 幸いなことに、わたしの周りには、先にも書いたとおり、子供のときに素直に信じて、そのまま献身に導かれた人がたくさんいる。もちろん、心の中に葛藤はあったとしても、大きく脱線することなく、成長した人がたくさんいる。もちろん中にはいったん教会を離れて戻ってきた人もいるが。
 そういう、小さな時に信じて成長している人たちのお手本が身近にあることは幸いなことだと思う。それは決して不可能なことではないし、むしろ健全なことなのだ。しなくてもいい遠回りならしないほうが良いに決まっている。しなければならない遠回りなら、近道をしようとしても、神様が、遠回りの道を通らせられるだろう。
 やはり、わたし自身は、「1回離れても良いや」という気持ちではなく、幼い日にイエス様を信じ、そのまま成長していくことができますように、切に祈りつつ、娘を育んでいきたいと願う。

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。
わざわいの日が来ないうちに、
また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。
伝道者の書 12:1
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月14日

no title

 毎日日記に書きたいことは山ほどあるのに、日記をつける時間がなかなかなくて、日記に書きたかったことがなんであるか、忘れてゆく日々。

 車検が終わった。
予想より安いこともなく、高いこともなく、タイヤを2本替えたり、リモコンキーなど、ま、基準の値段よりは高くついたけど。
車検の費用は、毎月少しずつ別の口座に分けて貯金していたので慌てることはなかったけど、最近、銀行口座の残高を見て、がっかりすることが多い。冬季特別手当はどこへ消えてしまったのか、跡形もない…。
 お金のことはもう書かないことにしよう、と思っていた。
でも、今回は、お金がないことを心配しているのではなく、自分で、神様に信頼すると言っておきながら、なぜこうも、銀行の残高を見てがっかりするのか、という自分に少々がっかりしている。
 でも、半面で、がっかりするだけではなく、反省も必要だと痛感した。わたしは、本当に与えられたものをよく管理していたのか。お金を使うときに、ちゃんと祈りと感謝を持って使っていたか。
 イエス様は、2匹の魚と5つのパンで5000人を養われた。そこには祈りがあった。
 わたしは、主が満たしてくださる、与えてくださると思っていながら、ただ安穏と口をあけて待っていただけではなかったのか。
 先日、トイレットペーパーを買いに行った。最初の店では思った値段で思ったような品質の物が見当たらなかった。一般的にはそちらの方が安いような店なのだけど。
で、そこでは買わずに普通のスーパーにいってみた。たまに、そのスーパーでも量販店よりも安いものもあるので。
するとあった、あった!探していた値段で、普通12ロールのが何と18ロールも入っていて、品質もまずまず、という感じ。お一人様2袋までだったので迷わず2袋買った。
 わたしは実は普段、余り特売のチラシを入念にチェックしない。特売だから、といって出かけると、かえって無駄な買い物をしてしまうことがあるし、それよりも、必要なものを必要なだけ買うほうがよい、と思っているから。それに「○○日限定!」と書いてあってもその日に行けないことも多いし。
 また、必ずしも安いものがいいとも限らない。近くのあるディスカウントスーパーの野菜は、輸入品が多いし、国内産の物もなんだか傷みが早い。それよりは、多少割高でも、減農薬商品を置いている信頼度の高い店を利用したい。
 でも、いずれにしても、わたしは信頼しているといいながら、祈りが足りなかった、とつくづく感じている。
以前他サイトで、「ある牧師夫人は買物に行く時必ずいのっておられるそうだ」というのを読んでも、正直なところ「ヘー、そういう人もおられるんだ〜、すごいな〜」くらいの事だった。
でも、これからは、買い物に行く時、わたしも祈ってから出かけようと思う。本当に必要なものが、的確な値段で与えられるように、そして無駄な買い物をしないように。わたしが、与えられたものを賢く管理することができるように。
 神様は、信じる者を必ず祝福してくださる。
確かにそう信じている。でも、それはただ、ボーっと待っていれば良いものではない。日々の信仰的な歩みの上にこそ与えられる祝福なのだ。

 また、わたし自身、人の祝福となれるような器となりたい、と今年は強く願わされている。
 考えてみたらこのことも、もう2年も前に学んだことなのだけれど、今頃になって、心の芯、頭の芯に伝わったような気がする。
神はアブラハムに向かって、
「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」 創世記12:3
と言われた。
わたしも、人々の祝福となれるようになりたい。
また、人々を祝福する者となりたい。
神様は、アブラハムの子孫を祝福する者を祝福してくださるのだ。もちろん、文字通りのアブラハムの子孫、ユダヤ人のこともあるかもしれないけれど、信仰によるイスラエル、クリスチャンを祝福するものもまた、必ずや祝福してくださると確信する。
また、まだクリスチャンでない人々、これからクリスチャンとなる人々を祝福することもまた、大切なことではないか。
 何よりも今年は、この「祝福」のために祈る者とさせていただきたいと願っている。

 今日は詩音ちゃんの参観日だった。
朝からグズグズしていた詩音ちゃんだけれど、「今日はお母さんも一緒に保育園に行って、詩音ちゃんの遊ぶのを見るんだよ」と言うと、「やったー!やったー!」と喜んでくれた。
 でも、大好きなあべかわ餅をもう一個おかわりすると言って(何と4つ目!)聞かなかったために、遅刻。しかもそれは結局食べ切れなかったのだ(-_-メ)
保育園についたらもう、凧作りがかなり進んでいた。大急ぎで、詩音ちゃんも、ビニールの凧(と言ってもちょっと変わったもので、高く上がるような代物ではなかったけど、持って走ると、風を受けて凧らしい感じになる)を完成させて、皆と一緒に園庭へ。
 詩音ちゃんは結構上手に走って、うまくはためかせていたよ!
 で、1時間ほど一緒にいて、参観の時間も終わり、帰ろうとすると詩音ちゃんがそばに来て、手に持っていたおもちゃを「これおいてくるわ」と言う。どうやら一緒に帰るつもりらしい。普段のお迎えの時にもこれくらい素直にお片づけしてくれたら助かるのに…(^_^;)
「今は、お母さんだけ帰るんだよ」と言っても、珍しく一緒に帰りたがる。「おかあさんしゅき(好き)!」と言って抱きついてきたりして。
それで、「明日はお母さんと一緒にお出かけするんだよ。だから今日、お母さんは一生懸命仕事をしてくるからね。だから詩音ちゃんも保育園で頑張ってね」と説得。しばらく説得したらやっとわかってくれたみたいで、わかると気持ちの切り替えの早い詩音ちゃん、さっさと、手を振ってお友達のところへ行っちゃった(^^)
 詩音ちゃんも、周りのこの祝福となれる子に成長するといいなあ。
 最近、ちょっと叱りすぎなので、ビクビクしていることがある。わたしが夫に対して、ヒステリー起こしているときも、さりげなくなだめに入ってくれることがある。
ちょっと疲れているかな?疲れるようなことは何もしていないのだけど。
 詩音ちゃんにとばっちりが行かないようにだけは気をつけないと。

 風邪がいよいよ本格的にやばくなってきた。
喉が痛い。声が出ない。
これから団体の婦人委員会や団体聖会、教会総会、団体総会、大事な事が続く。何とか今のうちに体調を整えなければ。

 明日は、神戸の阪神震災メモリアル集会。
先日、神戸の教会にうかがったとき、招待券を頂いた。その教会が事務局となっており、その先生が主にリーダーシップを取ってこられた集会だ。今回で10回目ということで最終回だということで、以前から行きたいとは思っていたのだけど、時間も長いし、なんだかんだいっても近い訳じゃないし、と迷っていたのだけど、招待券を頂いてはこれはもう、行くのが御心!とばかりに出かけることにした。最初は詩音ちゃんはおいていくつもりだった(保育園に預かってもらうつもりだった)。狭い座席に長い時間縛り付けておくのは、本人にとっても可哀想だと思ったし、こちらもなかなか集会に集中できないと思ったからだ。
でも、帰りが結構遅くなるのでお迎えの時間に間に合わないかもしれないこと(交通アクシデントもないとは限らない)、詩音ちゃんも、わかってもわからなくても、霊的雰囲気の中に少しでもいて欲しいとの願いから(これは特に夫の勧めもあって)、連れて行くことにした。
時間が長いので、退屈するかもしれないけど、お昼寝の時間帯でもあるので、いくらかでも寝ていてくれると助かるのだけど。
 とにかく、主にあって期待して行こう。行くかぎりは、必ず神様が祝福してくださると信じて!

あなたの宝のあるところに、
あなたの心もあるからです。
マタイ福音書 6:21
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月11日

no title

 ビデオが壊れた。
この家にきてから、どれだけ電化製品を買い換えたことか…。
一応、修理の方向で考えたけど、修理代が1万円以上かかるか、修理代が新品の1/2以上だったら買い替えか…と覚悟して電気屋さんに出かけた。
 修理コーナーで見ると、簡易修理なら5000円、一般的な修理で8500円となっていた。特殊な修理ならさらに実費が必要らしい。
5000円なら修理だけど…と思って聞いてみた。
うちのビデオの症状(?)を話したところ、最低8500円とのこと…。「とりあえず商品を見てから考えます」といってビデオ売り場に…。
 なんだ、結構安いじゃない。今はDVDと一体型のが普及しつつあるので、ビデオだけのは結構安くなっているみたい。
まあ、結局買うとなると、色々贅沢になって、修理代に毛の生えた程度でも買うことはできたけど、もう少しいいものに。
もちろん、修理代の2倍以下の物しか買わなかったけどね。
あー、また、お金が…。
ま、神様を信じているから、大丈夫!なんだけどね。

 今日は、京都の病院に入院しておられる教会員のKさんをお見舞いに行った。Kさんはもう随分前から寝たきりになっておられて、会話などもままならない。でも、以前から教会員の方もお見舞いに行かれてこちらのことはわかっておられる、とのことだった。
少し前まで、市内の病院におられたのだけど、少し前に京都のほうに転院されたとのことで、そちらに伺った。病院は、とても古くて、外側は「??」って感じだったけど、中は職員の方の対応もとても感じよく、こざっぱりとしていい感じの病院だった。
お掃除の方も、出会うときちんと挨拶をしてくださる。
 受付で聞いた病棟の詰め所で病室を聞いたら、案内してくださった上にいすも持ってきてくださった。
 Kさんは丁度ちょっとした処置をしておられたけれど、すぐに終わり、わたしたちはそばに行った。夫が名前と教会名を伝えると、わかられた様子で表情が動いた。
続けて、何か賛美しましょう、ということで、何曲か賛美をした。相部屋のことなので、小さな声で、だったけどね。Kさんは声にならない声を出して、口を動かしておられた。喜んでおられる様子が伝わってきた。賛美って素晴らしいなあ…と感じた。
そのうちに気分がよくなられたのか、うとうとされ始めたので、わたしたちも引き上げることに…。枕元で祈って失礼した。
短い時間だったけど、K兄と時間をともに過ごせて、そしてともに主を賛美できて、とてもよかった!

 そうそう、話は出かける前のことだけど、お昼ご飯に一昨日作った東坡肉と、ゆで汁で作った、六大夫さん直伝のネギスープを頂く。
東坡肉は、我ながら美味しい〜(^◇^)
もちろんスープも、とっても温まったし美味しかった。
 それにしても、東坡肉の作り方はネットで検索しても、色々あって、見るもの見るもの、少しずつ違う…。まあ、凝った作り方の物はきっとそれなりに美味しいのだろうけど、わたしは自分の作る東坡肉が、かなーり気に入っている。「基本の中華」って本に載っていた、シンプルな東坡肉だ。ま、それなりに手間暇はかかっているのだけど…。少なくとも、某中華ファミレスの東坡肉よりは、絶対に美味しい。1日以上寝かせて、何度か火を入れ、脂も丹念に取ったので、もう脂身もトロトロ!満足満足。
 本当は、昼ごはんには贅沢な一品だったけど、東坡肉は取り除いたとはいえ、脂身が多いので、小さい詩音ちゃんにはまだ少し早いかな〜、とお昼にこっそり食べることに(^_-)-☆
 お酒を飲む人なら、これで一杯やったらおいしいんだろうなぁ、と思いつつ、自画自賛しながら夫にも「美味しいよね!」と「美味しい」の押し売りをしながら食べましたとさ。

 夕食を食べながら、の会話。
夫「詩音ちゃん、今日保育園で何したの?」
詩「えーとー、(小首をかしげ)わかんない!」
わたし「給食になに食べたの?」
詩「えーっとぉー」
夫「納豆食べたの?」
わたし「えーっと、って言ったんだよね?」
詩「たまごとぉー」
夫「なまこぉ???!!」
わたし「違うよ、玉子だよ、ね?」
詩「そう、たまごとぉー、ツルツル」
ってな具合の会話。
夫の耳は、今日はどうかしていたらしい。
 そういえば、昨日、自分が詩音ちゃんにかってやった英語の絵本で、自分も一生懸命発音していたけど、どうも、絵本のとは微妙に違う…。夫は耳は結構いいほうだと思うんだけど、やっぱり今日は耳の調子が悪かったのかな?

 その、音声のでる英語の絵本、詩音ちゃんは随分気に入ったようで、保育園から帰ってきたら、早速遊んでいた。
歌は、ABCの歌と、Happy Birthdayの2曲だけだけど、一生懸命歌っているし、単語も結構復唱していてびっくり!
今まで、英語の教材のサンプルなどではほとんど言ったことがなかったのに、自分でボタンを押すと音声が出てくるのが、ゲーム感覚なのか、結構言ってる…。
こういうのを聞くと、英語教材も捨てたものではないかな…なんて思ってしまう。
CSのキッズチャンネルのCMを見ていると、というか、家事をしながら聞いていると、ネイティブの子供のような発音で、ふと顔を上げると日本人の子供が話している。やっぱり子供の耳ってすごいんだなあ…。
 語学教育、やっぱり早いうちが良いのかな。
 そういえば、何かで、ピアノも始めるなら3歳ぐらいからがベスト、って書いてあったなぁ。
まあ、教育ママになるつもりはないけどねぇ。
詩音ちゃんの興味が、本当に何に向いているのか…、と考えてしまうこの頃だ。

何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。
愛は多くの罪をおおうからです。。
ペテロの手紙第一 4:8
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月10日

お雑煮大会!

 今日は、毎年恒例(?)の、雑煮大会。
と言っても、2家族だけ。別に教会行事じゃなくて、プライベート行事(^◇^)。
恒例、と言っても、それも3回目かなあ、4回目?自分でも記憶が曖昧。最低3回目以上であることは確か。
 メンバーは前任地の教会のメンバーで、なぜか家族ぐるみで意気投合してしまったTさんご家族と、うちの家族。Tさんの奥様には、わたしの賛美の奏楽でもお世話になっている。
 きっかけは、いつだったか、前任地にいたときだからまだ詩音ちゃんが生まれる前、たまたま何かの話から、それぞれの家伝のお雑煮を持ち寄って食べようじゃないか、という話になった。
それだけのことなんだけど、なぜか「お雑煮大会」と呼んでいる。
今までは、Tさんご家族のお宅でさせていただいていたのだけど、今年はうちも広くなったので、ということで、お披露目も兼ねて、我が家ですることになった。
 という訳で、昨日から、あたふたと、夫と二人で片付け、大掃除。
 リビングの、テーブルの下は、以前からフローリングの上に、クッションフロアーの敷物を敷いていたのだけど(詩音ちゃんの食べこぼしや、家具による傷対策)、もう半分の部分も、夫は少し前からフローリングの敷物にしたがっていた。
詩音ちゃんが色々なものをこぼして染みもできていたし、第一、撚れて撚れて、なんだかかえってみっともなくて…。
ま、わたしが独身時代から使っていたセンターラグだから捨てても惜しくないし。という訳で、急きょ、フローリングタイプのセンターラグを買ってきて、敷きかえたり、台所も、とにかくとにかく大掃除。
年末たいした掃除もしなかったので、丁度よかった。
普段からこれくらい綺麗にしていれば問題ないのにね。といっても精一杯片付けてもなんとなく雑然としている我が家ではあるのだけど。
 で、今日は昼前に昨日し残した細かい部分を片付けて、テーブルクロスも取り替えて(これも、前から、汚れていたし、サイズも合っていなかったので、変えなくちゃ、といいながらそのままにしていたもの)、準備万端整って、Tさんご家族を迎えることができて一安心。
 Tさんのご実家は、四国の愛媛、だったかな?貝の入った澄ましのお雑煮で、野菜も色々入っていてとっても美味しい!
でも、ウチではなかなかできない味、やっぱりそれぞれの家に伝わる味なんだね…。1年に1度、これが食べられるのが嬉しい!って感じ。Tさんご夫婦も、我が家の白味噌のお雑煮をとても喜んでくださって、みんな満腹!
 ケーキは、昨日、ガナッシュクリームがけのを作りたかったのだけど、さすがに、疲れてできなかったので、簡単な15分ケーキのカボチャバージョンを。
 お雑煮大会とは関係ないけれど、この前から東坡肉(トンポーロー)がどうしても作りたくなって(中華のファミレスで食べたのがイマイチだったので)、丁度国産の豚バラブロックが安かったので、買って、片付けと平行して煮込む。あと、明日の夜、疲れて晩御飯が作れないことも想定してカレーも作った。
もし、お客さんが遅くまでおられたとしたら一緒に食べられるように、とも考えたんだけど、よく考えたらTさんところは1歳半と5歳の子供さんがいて、お昼寝の問題とか、色々あって、長居はされないのだった。
 とにかく、子供たちは仲良く遊んでいたし、詩音ちゃんも色々「貸してあげる」と、分かち合ったりして(ただし詩音ちゃんはわたしに似て本質的にはケチなので自分のお気に入りの物は絶対に貸さない)、和気藹々とすごすことができた。
 来年のお正月といわず、夏にも素麺大会とか、また家族で集まりましょうと約束して、おひらきに。
 夕食はカレーができているし、夕方はちょっとのんびり。夫が出かけるというと、詩音ちゃんは普段は「おかーさんがいいの!」とか言うくせに、ちゃっかり「おとーさんすきー」とくっついて出て行った。
 帰ってきたら、「ほら!」と目を輝かせて手にしたものを見せてくれた。英語の音声が出る絵本のようなもので、夫に買ってもらったらしい。夫は、詩音ちゃんと外に出ると何かかってやりたくなるらしい(^◇^;)わたしは、買ってやったとしても、せいぜい100円程度のお菓子でごまかすところ、夫は、毎回数千円をはたいているのではないだろうか?ま、たまにしか一緒に買い物に行かないから、ってこともあるのだろうけど。甘やかすとあとが大変なのにね〜。
 帰ってきてから詩音ちゃんは熱中して、その絵本で遊んでいた。といっても「おかーさんしてー」だけど(^_^;)
 お昼寝もしなかったのに、興奮していたのか、夜もなかなか寝なくて、大変だった。

 今日は家も片付いていたのと、クリスチャンの交わりも楽しくて、なんだかとてもホッとした1日だった。
(とりあえず、普段から家はもう少し片付けなくちゃ、と思った次第…反省)

友はどんなときにも愛するものだ。
兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。
箴言 17:17
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月08日

no title

【日付】
【タイトル】
【本文】
 夫が、購入したステッパーでのエクササイズに励んでいる。といってもまだ4日目だけど。
今日は、ぶどうの実さんが送ってくださったカセットを聞きながら、ノリノリで頑張っていた。

 年賀状が、返礼も含めて、大体来たかな、って感じ。
で、毎年1,2枚来るのが、差出人不明の物。
今年、差出人の書いていないものが2枚あった。うち1枚は写真が入っていたので、差出人は判明。
 もう1枚、教会宛の物なのだけど、裏面が真っ白。多分重なっていて印字されなかったんだろうなぁ…。でも、表には宛名しか書いていないので、逆立ちしても、差出人はわからない。
年賀状には、消印もつかないので、手がかりもない。
ま、仕方がないね。

 詩音ちゃんは、「ポップコーン」が言えない。「しおんちゃんね、あれたべたいのほっぷこーん」「ポップコーンでしょ」「うんほっぷこーん」「だからね、『ほ』じゃなくて『ぽ』、ポップコーン」「ぽっくこーん?」「ぽっくじゃなくて、ポップ」「こっぷこーん?」どこまでいっても、「こっぷこーん」以上には進めなかった。唇を使う破裂音の発音て、難しいのかな。
あと、詩音ちゃんは摩擦音、いわゆる「サ行」もちょっと苦手。例えば「おかあさん」は「おかあしゃん」と「おかあちゃん」の間ぐらいの感じかな?
 子供の言語習得の過程って、日本語教師として(ってたいしたことやっていないけど)聞いていると面白い。
 以前は単純に「ある」「ない」と言えていた(と思う)のに、最近、特定のことばの語尾に「ない」をつけると否定形になることに気がついたようで、「ない」と言う状況を表現するのにも、「ある」のあとに「ない」をつけて「あらない」と言うようになってしまった。
ちゃんと、動詞の語形が「あら―ない」と「ない」に接続する形に変化しているところが面白い。
 これは、ことばが逆行しているというよりも、ある意味で、習得していっているんだな、と妙なところで感心してしまった。

 詩音ちゃんといえば、昨日、「時間の感覚がない」って話を書いたと思うけど、同じようなことを、保育園の連絡帳にも書いておいた。
 そうしたら今日、「今日お弁当の時に『あのねえ、いつものくるま、こわれたの』と言ってたのですが、どの車のことなのか?いつもの緑の車のことなのか?はたまた以前お話なのか…」と先生が悩んでおられた(連絡帳)(爆)そりゃ、聞いていて、事情を知らなかったら、「???」と思っちゃうよね。
 車は今乗っている車のことで、詩音ちゃんは、今回は間違えずに、ちゃんと話していた訳なんだけど。本当は壊れたのではなくて、車検なんだけど、どうせ「車検」なんて言ってもわからないだろうし、色々具合の悪いところもあって(クラクションが鳴らないとか)修理も兼ねていたので、ま、壊れたことにしておこうと…。で「いつもの車、壊れたから違うの借りてきた」と、代車のことを説明していたので、先生にそう言ったんだね。
 修理といえば、キーのリモコンが利かなくなっていて、今日の連絡によると「本体がダメになっているので、1万円位かかる」とのコト。あちゃー。リモコンなんて、初めからなかったと思えばどうと言うことはないのだけど、本来使える機能が使えない、壊れた状態である、という事実がなんとなく気持ち悪くて、高くつくけど取り替えてもらうことに…。あーあ、車検、高くつきそうだわ…。
ま、ちゃんと車検費用は、チマチマと毎月取り分けて貯金しておいたから心配はないけどね(^^)

 夫の笑えないジョーク。
レンタルビデオショップに「ハイジ」があるかな、って話で、「あるんじゃない『フランダースの犬』があったから」
「因みにそれはね、カメハメハ大王のことをこよなく尊敬するハワイの犬が踊る話なんだよ」
「それって『フラダンスの犬』?」
笑えないジョークだね、っていいながら笑っていた、わたしたちって平和な夫婦だよね。

 「笑」つながりで思い出した。
 今日、夫が、大和カルバリチャペルの礼拝で特別賛美をしていた演歌賛美(?)の方の映像をインターネットから見せてくれた。本当に、演歌で賛美している人っているんだ、と妙に感動。
大笑いしたのは、間奏でその方が「イエス様は神様です」と言った瞬間。それって三波春夫さんの「お客様は神様です」のパロ?
そのパクリ方(言い方、タイミング)も絶妙で、最高!って拍手までしちゃった。
賛美ももちろんよかった。こういう賛美を聞いて、親しみを覚える中高年もおられるかもね。

 父がまた入院しているらしい。
昨日連絡をもらったのだけれど、なんだかバタバタしていて、母に連絡する暇がない。今日は電話した時間には母は留守で、病院に行っていたのかもしれない。どうもタイミングが悪い。
 今度は心臓の検査らしい。浮腫みがひどいといっていたっけ。
問題がはっきりわかって、よい治療がなされますように。

 浮腫みといえば、わたしもここ最近、ちょっと浮腫みがあって、どうも気になるので、今日は午前中、横になって過ごした。
寝ていると、頻繁におトイレに行きたくなる。
体を休めて尿が出るということは、やはり疲れているのかな?
年末年始、たいしたことはしていなかったのにね。
風邪っぽいせいもあるのかもしれない。
六大夫さんに教えてもらったスープを試してみなくちゃ。

あなたがたは、髪を編んだり、
金の飾りをつけたり、
着物を着飾るような外面的なものでなく、
むしろ、柔和で穏やかな霊という
朽ちることのないものを持つ、
心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。
これこそ、神の御前に価値あるものです。
ペテロの手紙第1 3:3,4
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月07日

no title

 特に変わったことはなかったのだけど、またまた、詩音ちゃんのことを書きとめておこうかと思う。
 詩音ちゃんは、まだ「時間」の感覚がない。
「この前」も、「昨日」も「今日」も、ごちゃごちゃだ。
 きょう保育園の連絡帳に「昨日は『お父さんと大きいおフロ行ったの♥』と教えてくれました!」と書いてあった。
それいつの話?っていう程、長いことお風呂屋さんには行っていないと思うんだけど?
詩音ちゃんは時々、ものすごくリアルに楽しい思い出がフラッシュバックするのかもしれない。それがごく最近起こったことのように錯覚して「昨日」という言葉になるのだろうか。
 お菓子の名前も覚えられないので「きのうかったやつ」とか言うのだけど、これがさっぱりわからない。
今日も「きのうかったやつ」と言うのできのう買ったポップコーンをあげようとすると「それじゃないーっ!」と怒っている。どうやらもう少し前に買った麦チョコのことらしい。
で、「詩音ちゃん、昨日買ったのはこっちだよ。こっちはこの前買ったやつ」と言い聞かせようとすると何がいけなかったのか「ちがうのーっ」と怒って挙句の果てに泣き出してしまった。
自分の思いと違ったので、まあ、思い通りでないということで泣いてしまったのだろうけど。
 保育園でもいまだに赤ちゃんの人形を寝かせながら「サンタさんきてくれるしな!」と言い聞かせていたり、クリスマスソングを一生懸命歌っていたりするらしい。家でも、スヌーピーのクリスマスのビデオを見たがるし…。
 どうも時間の感覚や季節感がないんだなあ…。
1年中「おたんじょうび〜♥」とか言ってることもあるし。
 そうそう、数字の数え方もおかしいしなあ…。
教えないといけないことがいーっぱいだ。
ま、例によって、わたしも詩音ちゃんもマイペースだから、今すぐどうこう言うことでもないと思うけど…(^^;)

最後に申します。
あなたがたはみな、心を一つにし、
同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、
謙遜でありなさい。
ペテロの手紙第1 3:8
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月06日

no title

 年が明けて、毎日日記を書こうかな〜、と思っていた。書くぞ!と言うのではなくて、かけたらまあ、4日まで続いたのだから、できれば毎日書きたいものだ、と思っていたのだけど、やっぱり挫折。
 昨日は、今年初めての祈祷会だった。
だけど朝からなんだか、体が重くて、頭痛がして…。
それでも、やっぱりどうしても祈祷会には行きたくて、出かけた。
 祈祷会に出席できるのは恵みだ。
礼拝もそうだけど、出席したくてもなかなか出られない人も多い。特に平日にある祈祷会は、午前は仕事に出ておられたり、夜は未信者のご家族がおられたり、となるとなかなか出席は難しい。
 わたしは、救われたころは、とにかく何でもいいから集会に出席したくて、祈祷会、家庭集会、子供の集会、青年会と、何でもかんでも出席して、多分最初の半年いた教会では、特に夜行っていたバイトを昼の仕事に変えてから2ヶ月くらい、月曜日以外の(月曜日は伝道者が休日になるので集会はなかった)毎日、何かの集会に出席していたような時期があった。
 おかげで、郷里に連れ戻されてからも、祈祷会だけは出席するようになっていた。信仰生活はずっと順風満帆ではなく、たるんでどよ〜んと沈んでしまった時期もあった。それでも、恵みによって、祈祷会や礼拝出席は、体調のことや出勤も合って、皆勤とは行かなかったけれど、何とか守られた。
 思えば恵まれた信仰生活だったのだと、祈祷会に集える人が少ない現状を見ていて、特に最近になって思わせられる。
 特にわたしの場合は、最初の半年のあの救いの喜び、恵みの生活、さまざまな行事への参加、交わり…。あの半年があったから、いまのわたしがある、と振り返るたびに思わせられる。あの教会ですくわれたから、いまのわたしがある、と感謝する。
 今は牧師先生も代わられて、多くの友が、国内へ海外へと遣わされ、知っている人も少なくなっているであろう。もう長いこと、行っていない。いつか、また、行く機会があれば、と願ってはいるけれど、なかなかチャンスがなくて…。
 そうそう、祈祷会のことを書いていたんだっけ、とにかく、今年も恵みによって、年の初めの祈祷会に出席できたことは幸いであったと思う。
体は疲れていたけれど、霊にあって燃やされて、賛美し、みことばを味わうことができた。
 ただ、昨日は、祈祷会の後も疲れが取れなくて、しんどくて、何もできなかった。それで、日記も書かないまま、寝てしまった。

 今日も、年賀状の整理をしたり、家のことをしたり、した以外はゆっくりして過ごす。
さあ!と、今年は気持ちだけは張り切っているのに、なかなか、体はいうことをきいてくれない。
ま、ぼちぼち行くしかないね。

 詩音ちゃんに関しては、特に変わったことはない。
忘れないうちに、詩音ちゃんのへんてことばだけ、書き留めておく。
 リュックサック⇒(これは前からだけど)ショックバック
 スーパーマン⇒スーパーボール(しかも本当はMrインクレディブル)
 ピーターパン⇒ピーターマン
因みに、今一番のお気に入りビデオは「ピーターマン」英語字幕版しかないのだけれど、毎日見てはケラケラ笑っている。
 「家なき子」の歌は、ずっと歌って聞かせていたので詩音ちゃんもよく口ずさんでいるけれど、アニメは今見せても、あんまり喜ばないかもね…。でも、いつかちゃんと見せるんだ!(^^)
 CD屋さんに行くと、昔なつかしのアニメのDVDなんかがたくさん出ていて、ムズムズしちゃう…。「ハイジ」なんかも詩音ちゃんには見せたいんだけどな…。
ま、今はレンタルもあるから、何も、買わなくてもいいんだよね。
とにかく今年は、経済引き締め政策が施行されているので、無駄遣いは慎まないと…!
 実は、今年からまた家計簿をつけ始めた。というか、昨年もつけていたんだけど、引越しでぐちゃぐちゃになって、半年以上つけていなかったのだ。
 昨年、引越しなどもあって、ものすごく出費がかさんだ。
で、今年、家計簿をつけ始めて残高を昨年の今頃と比較してちょっと焦った。
でもまあ、引越しもあったので仕方がないし、使えるお金があったことに感謝した。
神様は、経済も祝福してくださるので、心配している訳じゃない。ただ、家計簿をつけていないと、何にそんなにお金を使ったのかわからなくなってしまうのが非常に気持ち悪い。
「ま、いっか」で無駄に使ってしまうことが多いような気がする。
 だから、今年は経済引き締め政策、と称して、無駄遣いを減らす作戦。
 だってね、関東にも行きたいし、北海道にも行きたいし…、ってそんなことを思っていたら、そりゃ、神様が与えてくださるとはいえ、やっぱり与えられたものをきちんと管理しなくてはね、って気になった。
 頑張るぞ!

一切れのかわいたパンがあって、
平和であるのは、
ごちそうと争いに満ちた家にまさる。
箴言 17:1
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月04日

no title

 今日から詩音ちゃんの保育園が始まった。
しばらく寝不足が続いたりして、むくみもひどいし、今日は少しゆっくりさせてもらおうと、一応まだ休暇中だけど、お弁当を作って、詩音ちゃんを保育園に送り出す。
 午前中、ベッドから起きられなかった。少し風邪気味みたいだ。年末から寒かったしねぇ。
でも、今日の朝は、少し暖かい気がした。
12月31日に降った雪も、さすがにほとんど溶けていた。
詩音ちゃんと、作っている途中で何度も家に駆け込んで、ストーブで手を温めながら作った小さな小さな雪だるまもついに跡形もなく消えてしまった。
 でも、夕方はまた寒かったよ〜〜。

 またまた詩音ちゃんのお祈りの話。
今日も寝る時にちゃんとお祈りをして寝た。
例によって「今日何が楽しかった?」「えーと、えーとー、おとうさんといっしょにととろいったの」「それは昨日じゃない?今日は何が楽しかったの?」「えーとー、えーとー、きょうどこいったっけ?」「(詩音ちゃんって鳥頭?と思いながら)保育園でしょ?」「ほいくえんいったの!」「保育園楽しかった?」「うん」「じゃあ、神様にありがとう、って言おうか。詩音ちゃんお祈りして」「あいするてんのかみさま、きょうもこのごはんを…じゃないよ。えーっと、ほいくえんたのしくてありがとうございます。いえすさまのおなまえによっておいのりします」
ここまでは普通だったんだけどね、その後、寝たふりをして様子を伺っていると、しばらくしてまたささやき声が…。
「あいするてんのおとうさま、あけましてー、あけましてーあけましておめでとうございます。あけましておめでとうございます、あけましておめでとうございます。きょうもおせき(咳)がでていますから、はやくなおしてください。アーメン」
ってねー、1人でお祈りしていたの!
そういえば少し前にも、ささやき声で1人でお祈りしていたもんねー。
「詩音ちゃん、お祈りしたの?」「うん、あけましておめでとうっていったよ!」
神様に、4日になってあけましておめでとうって言うのもなんだと思うけど、詩音ちゃん、一生懸命お祈りしていたから、そんなの変だとは言わなかった。多分、今日保育園にいって、先生たちがみんな、「明けましておめでとうございます」って挨拶していたし、お友達ともそう挨拶したのかもしれない。それで、神様にも、自分からそう言おうと思ったのかもしれない。
 咳はひどくないのだけど、時々軽い咳が出る。鼻もまだ出ているので、一度耳鼻科にいきたいのだけど、まだ年明けで混んでいると思うと、それほど切羽詰っているわけじゃないので、ま、もう少し様子を見ようと思っている。お祈りもしてるし、このままよくなると良いな!

 さあ、明日は祈祷会だ!
お正月気分ももう終わりだね。
まあ、サイトはもうしばらくこのまま、お正月バージョンで行くけどね。
気持ちを引き締めて(ついでに、体も引き締まると良いんだけど)しゃきっとしていこう!

ただ、自分の敵を愛しなさい。
彼らによくしてやり、
返してもらうことを考えずに貸しなさい。
そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、
あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。
なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、
あわれみ深いからです。
ルカ福音書 6:35
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月03日

オフ会!

 今日は、朝から、両親が東京の寄席に出演するので、7時前に草津駅まで送っていった。
その後、もうひと寝入りするには時間がないし、姉に頼まれていたメールを送ろうと、PCを立ち上げたついでにサイトを開いたら、六大夫さんのレスがあったのでつい調子に乗って朝から色々かいていたら、気がついたら8時過ぎ!
 8時25分の電車に乗らないといけないのに…あーもう化粧をしている時間はないかな。初対面の人もいるのに…まあいいか、いつものわたしで…。
 ということで、詩音ちゃんのことを、まだ夢うつつの夫に頼んで急いで家を出た。
ま、駅まで1分くらいなので、電車には余裕があったけどね。
 そう、今日は、たかはしさん、Rutsukoさんたちとのオフ会だったのだ!
あと春太郎さん、ぽんたさん、マグダラのまりあさんの参加!
たのしかったよ〜!Rutsukoさん、マグダラのまりあさん、ぽんたさんとは初対面だったけど、なんだか初めてみたいな気がしなかった。ま、ネットでお話しているので、それもそのはず、なんだけどね。
 イヤ〜、楽しかった!!!(^◇^)
ちょっとわたしはしゃべりすぎたかなあ、と思うけど、とにかく時間が経つのが早くて、あっという間の3時間だった。
 もっと皆さんのお話も聞きたかったし、もっと賛美したかったし、もっとしゃべりたかった。(まだしゃべり足りないの?とつっこまれそう(^^ゞ)
イヤ、ホントにもっと皆さんのお話も聞きたかったのになあ。すみません、わたしがしゃべりすぎました。
こりゃまた、オフ会やってもらわないと。
それにしても、カラオケボックスを利用してのオフ会、良いねえ。
ドリンク飲み放題だし、賛美しても誰も文句言わないし、人の話し声も気にならないし、自分たちが盛り上がっても周りに迷惑かからないし。しかも誰か来るから、って急いで掃除する必要も後片付けする必要もないし。料金もとてもリーズナブルだった。
 今これを書きながら、しまった!と思ったのは、みんなでお祈りするのを忘れたこと。
せっかくの機会だったのに、みんなで一言ずつでも祈りあえばよかった。
とにかく、あっという間に3時間過ぎてしまって…はぁ…残念だった。
 それにしても、クリスチャンの交わりっていいなあ。人見知りのわたしが、ホント、初めてみたいな気がしなくて、はじめっからうちとけられるんだもん…。
イヤ、だから本当にね、わたしは人見知りなんだってば…。
でもね、一応、っていうか、ちゃんと祈って行ったんだよ。口でひとを躓かせることのないように、余計なことをしゃべりませんように、って…。
でもね、わたしが、マグダラのまりあさんにそういっているのを聞いて、Rutsukoさんたら「いっぱい躓いちゃった〜(笑)」だって。初対面なのにそういう冗談の言える雰囲気だったんだ〜 (^^)(冗談だよね?ちょっとドキドキ…(^^ゞ)
 帰りの電車の中で、夫の携帯に電話をしたら、今から詩音ちゃんと出かけるところだって。え?お昼寝の時間じゃないの?と思ったけど、ま、きっと朝ゆっくり寝ていたんでしょう。
これを書いている今まだ帰ってこないよ。どこ行ったんだろう?
≪5:30pm≫

 詩音ちゃんと夫は、夕方日記を書いてからしばらくして帰ってきた。
 トイザラスに行っていたらしい。前に行ったモールにいってみたら、乗り物とか子供の遊べるものがなくなっていたので、ちょっと足を伸ばしたとかで、詩音ちゃんは嬉しそうに「トトロ」のぬいぐるみを見せてくれた。
 それから、久しぶりに、「しまじろう」のサンプルで遊んだり、保育園のクリスマスにもらった「独楽」にスタンプを押して模様をつけたり、ちょっとだけ一緒に遊んで、夕食。明日からまた保育園だー!詩音ちゃんも「詩音ちゃん保育園行く!」とやっぱり保育園に行くの、楽しみみたいだし。

 今日はドラマ「大化の改新」があった。
姉のご主人が出てるというのもあったし、結構好きな岡田君が主役なので、一生懸命見たよ。映ったのは一瞬だったので、終わってからビデオでチェック。
 エンドクレジットの出演者名も最初見逃して、後からチェックして発見。それだけのことでも、結構嬉しかったわたしたち夫婦だった。

 ところで今日のオフ会、本当に楽しかった。
大体、待ち合わせからして、ドタバタ(?)。
イヤ笑い事ではないんだけど。たかはしさんが、以前の記憶で指定してくださった待ち合わせ場所が、少し変わっていたこと。わたしはまず出口そのものを間違えてウロウロしたし、マグダラのマリアさんは、誰も顔を知らないので、携帯で電話をして話しながらのご対面。
極めつけはRutsukoさんで、携帯をもっておられなくて、一番最後まで出会えなかった。困っていたら公衆電話から電話がかかってきて、やっとこさ会えたんだけど、実は、すぐ近くで20分も待っておられたとか。
たかはしさんとわたしとぽんたさんが待っているときから、「マグダラのまりあさん、分かるかなあ」「ここで賛美してたら絶対分かるよね」などと言っていて、春さんがギターを手に登場されて、ホントに賛美するかと思った。あ、もちろん春さん、ギターはケースに入れて持ってこられましたよ。流しのお兄さんみたいに首からさげて現れたわけじゃないけどね。
 そんなこんなで、みなが会えるまでにはちょっと時間がかかったけど、でも、予定していたカラオケボックスの開店にはちょうどいい時間に入れた。
 証しとか、色んな話も楽しかったんだけど、それだけじゃなかったんだよね。
たかはしさんは、「メキシカンピラフを食べるときはおっきな帽子を被って〜」とか、「持ってくる人もメニューに合わせた格好をしていたら面白いんじゃない?」とか、ウチの夫みたいなギャグを言ってるし、春さんの頼んだものを耳にした一同「え?それって??」「とんでもなく辛いとか?」
いや、春さんが頼んだのはラーメンだったんだけど、それも「ジャンカラ(カラオケやさんの略称)恐怖ラーメン」そりゃみんなびっくりするよね。
メニューを覗き込んで「なーんだ」だってそれは「恐怖ラーメン」じゃなくて「京風ラーメン」だったんだもん。オーソドックスな美味しいラーメンだったそう。
 春さんもたかはしさんの日記でコメントしていたんだけど、ぽんたさんって、聞き上手なんだよね。そうでなくてもわたしの証は話し始めたら長いから、一生懸命はしょってるのに、「え?それまでは…?」とか、どんどん話をふってくださるもんだから、調子に乗って延々話しちゃったよ…。でも、救いの証しって何度話しても嬉しいもんだからいくらでも話してしまうし…。
だから、わたしのしゃべりすぎはぽんたさんのせい…、なんて人のせいにしてはいけないよね。スミマセン。
 Rutsukoさんは、時々挟む一言二言になんだかとても存在感あり。Rutsukoさんはユーモアもあり、親しみもあり、しかも、不思議なつながりもあり、イヤ〜、お会いできてよかった。
 マグダラのまりあさんも、最近お知り合いになったけれど、お会いできたことでググッと親しみが増した感じ。
これからもいいお付き合いができるといいなあ。
 春さんの生「Calling」も聞けたし、春さんのギターで賛美もできたし、ホントいい交わりだった…。
 わたしは、カラオケで「アニーローリー」ならあるだろうと思って探したらあったので「神の御子にます」を歌った…んだけど、しっかり2番の歌詞を度忘れ。だから楽譜を持っていこうと思ったのに〜。で、間奏の間に3番の歌詞はバッチリ思い出したのに、3番は折り返ししかなくてガクッ。今度行く時は、日曜信者さんたちの替え歌賛美の歌詞を持っていこうかな?
 本当に楽しくて、「時間が足りない!」と思ったんだけど、きっと、何時間一緒にいても、同じように「時間が足りない」って思うんだろうね…。
 ぽんたさんは、HNから想像していた感じとはちょっぴり違っていて(可愛いタイプの人かと思っていたら美人タイプだった)、何で「ぽんた」なんだろう?と、別れてから思ったりして…。今度聞いてみよう。
 それにしても、わたしみたいに小さい子供がいるのに、おいて出られるのは、夫のおかげさまさまで感謝している。
 それにしても、わたしは、アニメファンだった話も暴露し、宝塚ファンだった話も暴露し、織田裕二ファンであることも暴露し(たかはしさんとその話題でも盛り上がっちゃった(^_^;))、われながら、ホント、世界一ミーハーな○○夫人…(~_~;)こんなこと自慢にも何にもなりはしないけどね…。(ーー;)

 話が前後するけど、詩音ちゃんは、寝るときはたいていわたしがお祈りするのだけど、昨日CSでお祈りの話をしたので、詩音ちゃんにも今日はお祈りして、って言ってみた。すると案の定「あいするてんのおとーさま、きょうもこのごはんを…」
「だからね、詩音ちゃん、違うでしょ。詩音ちゃんきょう何が楽しかったの?」「えーと、グランマのおうちいったの」「今日行ってないでしょ。今日何したの?」「えーとお、きょうかいいってたのしかったの」「教会行ったのは昨日でしょ?今日お父さんと何をしたの?」「えーとー、おかいものいったの」「そうでしょ?トトロ買ってもらったんでしょ?じゃあ、それ、神様にありがとうございます、って言おうか?じゃあ、詩音ちゃんお祈りして」「えーとーあいするてんのおとうさま、きょうもこのごはんを」「だからごはんじゃないでしょ」「あ、まちがえちゃった。あいするてんのおとーさま、きょうもこのごはんを…じゃないの、えーとー、きょう、たのしくて、ありがとうございました。いえすさまのおなまえによっておいのりします、アーメン」
「トトロ買ってもらったのは?」「ゆったよ」「嘘、ゆってないでしょ。ちゃんとありがとう言おう」「ゆった!」「それは嘘だよ。お母さんは嘘は嫌いだ」「ごめんなさーい」「じゃ、もう一回ちゃんとお祈りしようね」
「あいするてんのおとーさま、きょうはたのしくて、ありがとうございます。それから、ととろとーぱとらっしゅとーかいました。(急に声の調子が明るくなって)しおんちゃんね、ととろとーぱとらっしゅとー、ぱとらっしゅとーぱとらっしゅとーかったの!
(「ありがとうございます、でしょ?」)ありがとうございます!イエスさまのおなまえによっておいのりします、アーメン!」
はあ〜、こんな調子なんだけどね、お祈りしているうちに、嬉しくなってきたみたいで、今日あった恵みについて(恵みと理解していないかもしれないけど)感謝できてよかったなー、って思った。こういうふうに教えていると、最初は、無理やり言わせてるみたいで、これでいいのだろうか?って思ったりもするんだけど、こうやって、お祈りしながらお祈りを覚えていくんだろうな、って思う。そして、祈りのなかで、色んなことを体験していくんだろうな、って思う。
 今は、成長期だと思うので、色んなコトを今のうちに根気よく教えていくことが大切だよね。
それと、親の姿勢…いくら、お祈りのことばを教えても、親が本当に感謝して、喜んでいなければ子供はは感じ取るものだよね。
だからね、実感として、本音でいつもいつも「イエスさま最高!」って思っていたいな、って思う。みことばを生きること、口で言うほど簡単じゃないけれど、子供の成長をみていると、わたしもなんだか励まされちゃうよね。
 ま、わたしたち夫婦は、それなりに、人生をエンジョイしているから、詩音ちゃんも「人生は楽しいものだ」って思ってくれるんじゃないかな?
≪25:15≫

こういうわけですから、
もしキリストにあって励ましがあり、
愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、
愛情とあわれみがあるなら、
私の喜びが満たされるように、
あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、
心を合わせ、志を一つにしてください。
ピリピ人への手紙 2:1,2
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月02日

仕事始め

 今日は、教会の新年礼拝。
やっぱり気持ちが引き締まる…。
今年は、今までになく、新年早々気持ちは充実している。
神様にたくさん期待していこうと思っている。
神様が、応えて下さる素晴らしい主であると、信じられるから。
神様が、全てを祝福してくださると信じられるから!
 ま、信じられる、感じられるから、ではなく、たとえ、自分がどう感じたとしても、神様がそのようなお方である、と信じることが信仰なんだよね。
 信じられないようなことでも、「信じられない」というのではなく、「主よ、信じます!」と、告白していくことが信仰だと、思う。ま、時には「主よ、わたしには信じられません」と言う正直な告白も、ありだと思うけど、今年のわたしは、「主よ、信じます!」と告白していく信仰を持って生きたいと、願っている。
 新年だから…ってこともあるかもしれないけど、たとえ、またくじけてしまう日が来るとしても、目標を、ヴィジョンを持たないよりは、持つほうが良いに決まっているよね!(^_-)-☆

 と言いつつも、今朝は、すっかり寝坊して、またまた日曜学校に大遅刻。
でも、詩音ちゃんだけなので、賛美して、お祈りして、とりあえずは、少しCSの時間を持った。今日は、お祈りのことを少し詩音ちゃんに説明。
別に家でもできるようなことだったけど、一度はきちんと話さないといけないと思っていた。今の詩音ちゃんは、お祈りと言うと、食事の感謝のお祈りを「唱えている」だけなので、「お祈りって言うのは、神様にお話しすることで、ありがとう、って言ったりごめんなさい、って言ったり、お願いしたり色んなことを神様にお話しするんだよ」って説明した…。
でも、相変わらず「わかった!」「何が?」「えーとわかんない」の世界。最後には何とか「お祈りって何のこと?」「えーと、神様にお話しするの」と言うところまでこぎつけた。
ちょっとはわかったのかな?
 そういえば、昨日の夜、この前おもちゃを買った店に立ち寄った。
必要なものがあったので、母だけ車を降りて買いにいったのだけど、そのとき「しおんちゃんね、きのう(この前のこと)さかなつりかったから、もうさかなつり、かわないよ」って言っていた。
「魚釣りを買わない」と言ったのではなく、「おもちゃを買わない」と言ったのだけど、でも、少しは、あの時言い聞かせたことが、心に残っているのがわかって嬉しかった。
 そのとき、わかっているかどうか、よくわからなくても、根気よく教えれば、少しずつ理解できるようになっていることがわかったので、諦めずに、教えていこう、と思う。

 今日は、わたしたちも仕事始めだったけど、父も仕事始めだった。
 昨年は、急きょ他の方に代演を頼むことが何度かあった父だけど、今年は、自分自身が他の方の代演で最初の舞台を踏んだ。
それが、かえって父には励みになったようで、とても喜んでいた。
 礼拝の後、今日はわたしたちも休暇中の聖日なので、礼拝以外は、お休みだったこともあって、父の送迎で、家族で神戸へ。
劇場の楽屋とステージの間にものすごく長い階段があったのが、父には少し大変だったけど、それでも、恙無く、舞台を終えることができた。さすがに、舞台に上がると、声もしっかりとして、普段とは様子が違う。「さすがだね」と夫も感心していた。
 最近は、血糖のコントロールも調子よく、どちらかと言うと低すぎるほど。だもんで、夜はちょっとご馳走。
両親の行きつけの和食のお料理屋さんで懐石料理。わたしたちも両親がスポンサーでなくてはいけないお店で舌鼓。
 なんだか、とっても嬉しい1日だった。

 詩音ちゃんも、詩音ちゃんなりにとってもよく頑張ったと思う。ま、3歳だからね、あんまり聞き分けよくても気持ち悪いし、おとなしすぎるのも心配。ということで、安心できる程度に、元気よく、わがままもいい、おやつも食べ、相変わらずわたしたちを楽しませてくれた。

 明日は、両親は東京での仕事と言うことで、朝早くから出発。
わたしは、明日は、オフ会。
詩音ちゃんはお父さん(夫)とお留守番。(どこかへ遊びにいくのかな?)
明日もみんな守られますように!

見よ。山々を造り、風を造り出し、
人にその思いが何であるかを告げ、
暁と暗やみを造り、
地の高い所を歩まれる方、
その名は万軍の神、主。
アモス 4:13
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月01日

A Happy New Year!!

 今年も1日終わった。朝があり、夕があった、という感じ…。
昔に比べて、実家も、儀式ばったことがなくなって、正月らしさがなくなった、と言えばなくなった。
正月飾りもしないし、お弟子さんたちも、1日ではなく、他の日に集まるという。
 という訳で、わたしたちも、さして新年らしいこともなく、なんとなく新年を迎えた。
それでも、珍しく家族で写真を取った。でもやっぱりそれも、誰も着物を着ていなかったなあ。
詩音ちゃんがかろうじて、頂き物のドレスを着ていたのが晴れ着といえば晴れ着だったけど。
 でも、父も元気にお正月を迎えられたのは、感謝だった!

 今年は、元旦が、土曜日になり、日曜日と続くので、わたしたちの教会では元旦礼拝がなかった。
 それで、できれば実家の近くの教会に行きたいと思っていたのだけど、家族とのタイミングが合わなくて、それもできなかった。と、夫が、ある教会のインターネット礼拝を開いていたので、一緒にそれに与らせていただいた。
 とても恵まれた。
祝福の約束を確信して、今年1年、プラス思考で、神様の恵みを受け止めていこう、と心を新たにすることができた。

 見えていることはどうであれ、すべてのことは祝福となる。
わたしたちはすでに祝福を受けているのだから…。
 だから、もっともっと大胆に神様に求めていこう。
 だから、もっともっとイエス様の御座に近づこう。
 だから、もっともっと、大胆にささげていけるように、祈って行こう…。

私たちの主イエス・キリストの父なる神が
ほめたたえられますように。
神はキリストにあって、
天にあるすべての霊的祝福をもって
私たちを祝福してくださいました。
エペソ人への手紙 1:3
posted by ♪Sunny at 00:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする