2005年11月30日

サボリ

 今日はShionちゃんはサボリ。
朝、起きて、「くまぐみさんいきたくない〜」と言うし、わたしも起きるのがしんどかった。
たまには、ちょっとのんびりするのも良いか、と思い、お休みさせることに。
お休み、と決まった途端に「おきようよー」と言うShionちゃん。
もうちょっと寝かせてよ〜、という感じだった。

 昨日、お風呂でShionちゃんと遊んでいて、ちょっと面白い事があった。
 乾燥性の湿疹のひどいShionちゃんのために、よもぎのパックをお湯に入れていた。それを取り上げて「これはももだよ」と言うShionちゃん。
同やら「桃太郎」の「どんぶらこ」と流れてくる桃をイメージしたらしい。
「桃太郎さんの桃だね?」と言うと「じゃあ、Shionちゃんがおばあさんね。おかあさんはおじいさん」と言うので、桃太郎ごっこが始まった。Shionちゃんが洗濯を始めたので、よもぎのパックを流してやると「わ〜おおきなももがながれてきた」と、それをひろいあげたShionちゃん。「さっそくたべましょう」と手刀で「えいっ」
「わあ、なかから赤ちゃんが出てきたぞー」とわたし。
するとShionちゃん、何を思ったか、「じゃあ、(桃の)かわのほうだけたべましょう」

 なんと!確かに、桃太郎は種のところに入っていて、どの絵本を見ても桃にはちゃんと果肉がついている。しかし、その桃がどうなったか、お話には書かれていない。
もったいないから桃を食べたとしても何の不思議もない。
 うーん、桃太郎の桃は食べられる桃だったんだ〜、と妙に感動。
桃が大好きなShionちゃんらしい発想だ。今まで思いも寄らなかった展開にしばし笑ってしまった。
 その後、シンデレラごっこが始まった。今まで、シンデレラのDVDをずっと捜していて、やっと、デジタルリマスターで新発売されたのを月曜日に買って(実は買ってからShionちゃんの誕生日プレゼントにすればよかったとちょっと後悔)、それを見たShionちゃんはとってもお気に入り。で、ごっこが始まった「はたらきなさい!」と言うので、「シンデレラのイジワルなお姉さんみたい」と言うと、「Shionちゃんがシンデレラ、おかあさんがおねえさんね」と言うので、「えー、いやだーお母さん、シンデレラがいい」と言うと、「じゃあふたりともシンデレラにしましょ」と言う。お互いに「シンデレラ」「シンデレラ」と呼び合って、不思議なごっこ遊び。でもちょっと楽しかった。

 そのShionちゃん、午前中は祈祷会に連れて行ったけれど、午後は、シンデレラをわくわくと見ている。子供って、飽きるまで見るんだよね。

 昨日、ネットを通して、とっても残念なことを知った。
NSPの天野君(もう「君」という歳でもないと思うけど)が、7月に亡くなっていた事を知った。
コッキーポップ大好きだったわたしは、素朴なNSPも大好きで、LPなども持っていた。
比較的最近、再結成したのを知っていたけれど、知らないうちになくなっていたことがショックだった。
 最近特に聞いてはいなかったけれど、なんとなく淋しいな。

 今日で11月も終わり。
明日から12月。
今年ももう終わり…。
その前にクリスマスがある。
残りの1ヶ月も充実したものになりますように。
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2005年11月29日

忘れてた

ライトアップ.jpg

 27日の夜、家に帰る途中で通りがかったクリスマスイルミネーションの家。
普通の民家と思えないほど派手でした。
この家のお陰で、グイドはその道が以前とおったことのある道だとわかり、しかも方向を間違えていたことがわかりました。
どこのどなた様かはわかりませんが、派手なイルミネーションに感謝です。
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2005年11月28日

no title

 今日は、実家に行く予定をキャンセル。年賀状の宛名印刷のために名簿の入力(データ変換)を手伝いに行くつもりだったのだけど、昨日教会に来た母が、わたしが疲れているのを見て、「こちらでなんとかする」と言ってくれた。
それで少しのんびり過ごすことができた。
昼ごろからは久しぶりにグイドと買い物に出かけた。
 うどん屋さんで昼食を食べてから、電気屋さんによってCDやDVDを買った。ボーナスの先取り感謝だ。その後、ユニ○ロにジーンズを買いにいった。
わたしは結婚した年に3本ぐらい買ってから、それをずっとはいていたので、新しいジーンズを買うのは5年ぶりくらいになるのだろうか。もうあちこち擦り切れて、さすがに新しいのが欲しかった。
グイドはその間に1回か2回買ったと思うけど。
試着してみると、前に買ったときより、サイズがワンサイズダウン(したと思う)。嬉しい
グイドはどうだったのだろうか?ちゃんと聞かなかったけれど。
ま、それぞれ欲しい物が買えて良かった。

 最近、Shionちゃんは随分言葉の種類が増えたと思う。一番面白いのは人差し指を立てて、手を上に上げ大きな声で
「と、いうわけでー」
と言うもの。何の真似なのか、誰の物なのかわからないけれど、時々、そう言う。
あまり脈絡に関係なく、「と、いうわけでー」と話をまとめる。
なんだかとても面白い。
「えーとえーとつまりその…」
なんて、なんか、大人みたいな言葉を使うこともある。がその後に続くのはたいてい「えーと、なんかよくわかんない〜」という言葉だったりする。
これもかなり面白い。
 もうひとつ面白いのは、「『なに?』っていって」と言うもの。
「あ!」とか驚いて見せて、「『なに』っていって」と言う。「なに?」って聞くと「ほら、あれみて」とか内容を説明してくれる。

 今日もお迎えのときに車に乗るなり「きょうはほんとうにごめんなさい」と謝る。「へ?」と思いながら、黙っていると「『なんで』っていって」と言う。
わたしが時々、Shionちゃんが謝っても、ただ意味もわからずに誤っているのではないか確認するために「なんで謝っているの?」って聞くので、そう聞いて欲しかったらしい。
結局、聞いたら、朝、着替えるのが遅いと叱ったことを謝っていたらしい。
うちは、ご飯を食べてから、出かける前に着替えをさせる習慣になってしまっている。着替えてから食事をすると、食べこぼしなどで、また着替えなくちゃならなくなるのが面倒だったから、今より小さい時からずっと出がけに着替えている。
それで、着替えが遅い、と叱るということは出掛けに叱ることになり、今朝も、玄関を出るときにはShionちゃんは泣いていた。
でも車に乗る時に、「ほらもう笑って!」といったら、一生懸命涙を拭いて、車の中ではおどけて見せたりして笑っていたShionちゃんだった。
 昨日も、夫に聞いたら、お尻を1発叩いたら泣き出したので、「もう風船いらない?」って聞いたら、「いる」といってお尻を突き出してきたので、その健気さに2発目は叩けなかったそうだ。
 懲りていないのか、気持ちの切り替えが早いのか、なんだかよくわからないけれど、泣いていてもケロリと冗談を言ったりする。その明るさに、こちらが救われることもしばしばあるほどだ。
 保育園の1歳児クラスにいるときにShionちゃんは、気持ちの切り替えが早いということで、「ご両親の愛情を受けて育っているから精神的にとても安定している」とよく言ってくださる先生がいた。それはわたしにとっていつも大きな励ましだった。
 その後のクラスでは結構きっちりとした厳しい先生もおられて、マイペース過ぎることで何度か注意を受けて落ち込んだこともあったけれど、今でもShionちゃんは精神的にはかなり安定している方だと思う。
 確かにマイペース過ぎるところは時々気になって、2歳児クラスのときにはよく「他のお友達ともっと一緒に遊べると良いですね」と連絡帳に書かれたけれど、今でも一人遊びがすきというか、苦にならないようではある。
保育園のお迎えに行っても、子供達はたいてい2つぐらいのグループに分かれて遊んでいるのだけれど、その中に入らないで、一人でパズルのようなものをしていることが多い。
 かと言って、それは2歳児の時からそうだったけれど、まったく他の子と関わりが持てないと言うのでもないので、ことさら心配はしていない。
 だいたいShionちゃんは自分より大きいお姉ちゃんが大好きだ。
先日大久保の教会に行った時も、自分より一つか二つ年上らしき女の子を見つけて、相手の子はかなりシャイで、お母さんにピッタリとくっついてShionちゃんのことは遊んでくれなさそうだったにもかかわらず、遊んでもらおうと後をついて歩いていた事があった。
昨日も、大阪の教会では集会中、子供部屋で一人で遊んでいて、途中2回ほどわたしを呼びにきただけだった。でも、牧師夫人のお話では途中で、教会学校の子供(小学生の女の子)が顔を見せたら自分から「遊んで」と言っていたらしい。
考えたら、教会でも、従妹たちとでも、だいたい大きいお姉ちゃん(時々お兄ちゃん)に遊んでもらうことが多いので、同世代の子供とではイマイチ面白くないのかもしれない。
保育園でも、月曜から金曜のいつものクラスより、土曜日の異世代混合クラスの方が好きだし。
 そういえばわたしも、結構大人の中で育って、小さい頃から自分より小さい子は苦手だったりした。今でも実際子供が苦手だし、そういう血をShionちゃんも受け継いでいるのかもしれない。
おちょけ(おどけ)るところは、きっとグイドから受け継いだんだ。
 しょっちゅう、わがままや、そのマイペースぶりに振り回されるけれど、そんな子供に育てているのはわたしたち親なんだし、この至らない親にしては、いい子に育っているじゃない、と思うこともしばしばある。
多くの方は、「上手に育てている」と褒めてくださる。まあ、外面のいい子だから、傍目には良く見えるというのもあるだろうけれど、とりあえずはこれからもこの調子でいい子に育ってくれれば、と願う。
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2005年11月27日

今日からアドベント

 今日は、日曜日。
今日からアドベント。
アドベントと言うのは、待降節とも言い、キリストの降誕を待ちわびる季節。
メッセージも、それにあわせたものになった。
救い主が来られる預言とその成就。いや、預言された以上に素晴らしく、イエス様は成し遂げてくださった。過去の預言者が見た幻よりはるかに上回って素晴らしい救いを与えてくださった。そんなメッセージを聞いて感謝で満ち溢れた。
礼拝のあと、女性会のクリスマスの出し物の録音。
こちらもスムーズに進んで、一発OK!

 そして、その後は、大阪鶴見の教会へ。
わたしは例によって車の中で寝ているうちに連れて行ってもらったのだけど。
その教会は、わたしたちを結び付けてくださった先生ご夫婦の教会で、そこで、2000年の1月9日にグイドとわたしは久しぶりに顔を合わせ、お見合いのようなことをした。
お見合いと言っても、単に皆でおしゃべりをしただけなのだけど。
それから1ヶ月もたたないうちに両親に結婚の挨拶に来ていたっけ。
あれから6年弱の月日。あっという間だったな〜。
今はShionちゃんもいて…。結婚してからも何度かその教会にうかがっていたけれど、なんだか今日はとても感慨深かった。
グイドのメッセージはストレートに心に響いてきて神様の愛について、また深められた気がした。

 集会の後、教会でひとしきり、来会者の方々とお交わりをして、皆さんが帰られたあと、牧師夫人がShionちゃんにとプレゼントを用意してくださっていた。
子供さんがおられないので、「店員さんにサイズなどを聞きながら買ったのよ」と言いながらくださった服は、家に帰って開いてみるととても可愛いもので、Shionちゃんが愛されていることがとても嬉しくなった。

 集会の後、一緒にお食事に連れて行ってくださった。大阪市長選挙に立ち寄られたお二人より一足先に、お店にたどり着いたわたしたち。ついてみて思い出した。そのお店(ファミリーレストラン)は売店でおもちゃを売っている。お店に入る前に「Shionちゃん、今日はおもちゃは買わないよ」と先手を打つ。牧師先生たちの前でおねだりなんかして欲しくない、と言う親の見栄みたいなものもあったし、先日からたくさんおもちゃ類を買っているので、これ以上は、という思いもあった。けれど、Shionちゃんは「それはいやなの」などと言ってグズグズ…最終的には、「わかったわかった」といったのでとりあえず店に入ったのだけれど…。
 車の中でお昼寝しただけのShionちゃんは少々ねむかったと見えて、食欲はあまりなかったし、グズグズしていた。
結局途中で、「おねがいがあるからきて」といって、おもちゃのところにつれていかれ「みてみて」と言いだした。「買わないよ」と言うと最初は「わかってる、みてるだけ」といっていたけれど、見ているうちにどんどん欲しくなってきたようだ。聖書に「目の欲」という言葉が出てくるが、本当に良くできたものだと思う。人は、見ると欲しくなるんだ。
最初のうちは買わないよ、と頑張っていたけれど、ShionちゃんはShionちゃんで粘る粘る。
「これとこれとこれはおもちゃだからかわないよ。でもふうせんはおもちゃじゃないよ。だからふうせんだったら(買うのは)ダメ?」と聞いてきた。はあ〜なんて知恵なんだ。
牧師先生ご夫妻とのお交わりも何度も中断されるし、さすがにわたしもだんだん臨界点に達してきて、ぶち切れそうになったけれど、先輩牧師先生たちの前で、あまり取り乱してわめきたてるのも恥ずかしいし、と思い、なんとか押さえる。
結局「お父さんにお尻ペンペンしてもらおう、それから買ってもらおう」と言うと、それでもいいという。
 席に戻って「お父さん、お尻ペンペンしてやって、それでおもちゃ買ってあげるって言ったから」と言うと、グイドも仕方なく席を立って、Shionちゃんを外に連れ出した。
 牧師夫人に「風船はおもちゃじゃないから買って、って言うんです」と言ったら「知恵がついてくるね」と笑っておられた。そして、「お尻をペンペンするのは罰じゃなくて、試練だけで、それを通り越したら買ってもらえるというのも面白いね」と言われた。
わたしは、「お父さんにお尻ペンペン」といったらあきらめると思って言っただけだったのだけど、言った以上は守ってやらないといけない、と思っていた。
 しばらくしたらShionちゃんは泣きながら席に戻ってきたので「じゃあ買いに行こう」といってわたしが席を立ちかけると「おとうさんがかってくれた」と嬉しそうに、まだ少し涙の残った笑顔で風船の箱を見せてくれた。
その風船は、細長いもので、ひねって動物などの形を造れる、と言うもの。膨らませるポンプもついていた。
 先輩牧師ご夫妻との交わりは、とても楽しくて話は尽きない。Shionちゃんは食べるものは食べてしまったし、あとはもう早くお家に帰って風船遊びがしたくてたまらない。早く帰ろう帰ろうと言うのを「車の中で(風船遊びを)してあげる」と説得し、挙句には、お店の中でその風船を膨らませてやって、おしゃべりもしながら、お花や動物を作ってやる。
絵に書いてあるほど上手にはできないけれど、なんとかそれらしく作ってやるとそれだけで喜んでいる。自分でも膨らませようとするけれど、ポンプの操作はその割りに難しく思うように行かない。それで、わたしが膨らませて作っていたのだけど風船のこすれる音が「キュッキュッ」とうるさくて、少し気を遣ってしまったけれど、幸い、お客さんも減ってきていたので、まだましだった。
 たのしい交わりは話が尽きないけれど、さすがに時間も長くなってきたので引き上げることに。
教会に荷物を置いたままだったので、一旦教会に戻る道すがら牧師夫人が「一人目にしてはとても上手に育てているね」と褒めてくださった。
 「『わたしがわたしが』と自己中心になって話の邪魔をしたりしないし、おとなしい」と言われた。わたしは、食事のマナーも悪いし、途中おもちゃ騒ぎもあったし、充分躾が行き届いていないと恥じていたのだけれど、そういっていただけて少しホッとした。
まあ、4歳に満たない子供が、長い時間、じっと椅子に座ってお行儀良く黙って座っていることのほうが実際ありえない話でもあるし、これくらいはまあ、仕方がないか、とも思えた。
 わたしは褒めていただきながら、褒められるようなことは何もしていない、と思った。
半ばネット依存症のわたしは、ShionちゃんがTV(ビデオやDVD)を見ている間もネットやPCをしている事があるし、教会にいる間はほったらかしだし。
「わたしは本当にほったらかしなんです」と言うと、牧師夫人は、「帰ってそれがいいのかもね、今は親がかまい過ぎたり何でも与え過ぎたりするのがいけないのかも」と言われた。
長年教会で奉仕しておられて教会学校の子供もたくさん見てこられた先生にそう言ってもらえることは日々子育てに悩んで「これでいいのだろうか」と思っているわたしには大きな励ましになった。
 たのしい交わりはいくらでも続きそうだったけれど、夜も更けてきたので、教会を辞して帰ってきた。
もちろんShionちゃんは車の中で寝てしまった。
風船を嬉しそうに抱えながら…。
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2005年11月26日

no title

 今日はShionちゃんはお弁当の日。
昨日疲れて台所の片付けができていなかったので、気になっていたのか、ずいぶん早くから何度も目が覚めて、そのたびにもうちょっと、もうちょっと、と寝て、ようやく6時半に起き、台所を片付けてお弁当作り。
 朝、体重を計ってみたらちょっと増えている。「えー?」と思ってみてみると、足が随分浮腫んでいる。1kgは水だな、と思ってむしろちょっとホッとする。
ここ3日ほどハードスケジュールだったしな、と思って納得。ま、仕方がないね。

 今日は午後から木之本へコンサートの現地練習に。
少し遅れ気味だったけど、なんとか時間に到着。
教会の前に着いたら伴奏者の姉妹ご家族も丁度ついたところだった。
少し打ち合わせをして、取り急ぎ練習。
コンサートで歌う順番どおりに歌ってみる。
ピアノが電子ピアノなので、練習していたセミグランドピアノとは随分感じが違う。
低音がよく響いて聞こえるし、音の出方にちょっと戸惑うところもあった。
やっぱり、実際に歌う楽器で練習してみて良かった。
 電子ピアノなので、ちょっと雰囲気は違うけれど、その反面少し違う音色もでるので、シンプルな賛美歌は少し音色を変えて伴奏してもらうことになった。
高音が若い頃に比べて出なくなっている。
以前は平気で出ていた音が厳しい。完全に練習不足だな、こりゃ。
 伴奏のT姉のご主人が子守にきてくださっていたけれど、下のAちゃんはまだ集中できる時間が短いのでこちらもとにかく集中して練習をすませる。
 練習中、最初はマイクを入れていたのだけど、様子を見てスイッチを途中で切られたようだった。牧師夫人が途中、所用で入ってこられたときに、「マイクを入れるとこちら側(隣の部屋、多分母子室になっている)からも音が出て、そうすると外まで聞こえてしまうので、近所迷惑になりますねぇ。本当に大きな声ですねえ」と言われた。全然気分を害するような言われ方ではなかったのだけど、最後の曲(最初の曲をもう一度歌っていた)を練習している途中で、ふとその「近所迷惑」という言葉がよみがえってきた。「わたしの歌は近所迷惑なのか〜」そう思うと、可笑しくて可笑しくてふきだしそうになってしまった。
牧師夫人は多分、褒めてくださったんだと思うし、本当に気分を悪くした訳じゃない。
ただ、なんだかとても可笑しくなってしまっただけ。
とにかく一生懸命、意識を賛美に集中させて練習を終えたけど。
 短い時間、とても中身の濃い、素晴らしいお交わりができた。
霊的に奮い立たされて、コンサートのために祈る気持がさらに強められた。

 帰り道、途中でガソリンがなくなり、高速を降りた。
エンプティランプはもう少し前からついていたのだけど、走行距離から、まだ走れる、と思ってぎりぎりまで走って、セルフで入れたら思っていたよりたくさん入った。ほとんどガス欠寸前だったかも。考えたらこの前、メーターをリセットするの忘れて、20キロ以上走ってからリセットボタンを押したから、その分プラスして考えないといけなかったんだ。
ガス欠にならずにすんでよかった〜。

 練習で神経を張り詰めていたからか、昼食を食べる時間がなくて、昼食を食べるのが遅くなったからか、夕方から気分が悪くなる。
Shionちゃんの晩御飯だけ作って(それも超手抜きのパスタ)わたしはりんごをかじる。
でもグイドが帰ってきて自分でラーメンライスを作ってたべているのを見ると、微妙に空腹感が。パンをかじってごまかす。こんな食生活じゃダメなんだろうなあ。

 明日は、礼拝のあと、クリスマスの出し物の録音。それからグイドが特伝の講師として大阪の教会に招かれているので、夕方には大阪へ。また忙しい1日になりそうだ。

 最近、自分の弱さをつくづく思う。そこにつけ込んでくる者があることも。
今、霊的にはものすごく、圧倒的に神様に迫られていて、 恵まれているとかそういう言葉で言えないほどの状態なのだけど、その反面、肉の思いにすごく悩まされている。
些細なことで悩んだり落ち込んだり…。
体が疲れているからなおのことなのだろう。来週は少し体を休めないと…。
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2005年11月25日

no title

05_11_25.jpg
 今日は、家庭集会。
パンプキンパイを作ろうと以前から決めていたので、Shionちゃんの朝のしたくをしながら冷凍にしておいたマッシュカボチャを出して解凍しておく。
マッシュカボチャは、例によって、暇な時にカボチャを蒸して、つぶして板状にラップして冷凍しておいたもの。こうしておくとお菓子作りのときに便利なんだ。
 しかし、生クリームを買っていないことに気付き、買い物に行くことに。その前に、どうせなら銀行回りをしようと、通帳一式を持って、いくつかの銀行を回り、入金を済ませた。
 いつもながら多くもなく少なくもなく不思議に同じくらいの残高が通帳に刻まれている。
先日、ちょっとしたことで臨時収入があったのだけれど、それにあわせたように、今まで数ヶ月の間連絡が取れなくて滞っていたが、ようやく技術者の方と連絡が取れ、ピアノの修理ができた。その臨時収入がピッタリ修理代と同じで、助かった。
 あれこれしていると思ったより時間がかかってしまった。買い物も、生クリームだけ、と思ってもついついたの物まで買ってしまって。
かえって大急ぎでパンプキンパイを作り、なんとか間に合った。
でもできたてで熱くて、飾りたかったホイップクリームが飾れなかった。
しかもバターを入れ忘れたのだけど、お味はまずまず。わたし好みの味だったのでわたし的には◎。
 家庭集会ではおやつがたくさん出るので、お昼ご飯はうどんで簡単に済ませ、Oさん宅に向かう。
 集会は人数が少なくても和気藹々で楽しかった。以前、父の集会にきてくださった方も遅れ馳せながら参加してくださり、お交わりすることができて嬉しかった。
ひとしきり、聖書の話が終わったところでティータイム。切り分けたパイを「サイトに載せるから写真を撮らせて」と言うと、サイトをいつも見てくれているOさんはわざわざお庭のミントを撮ってきて下さった。
写真がそのパンプキンパイ。見た目の色がイマイチなのは、皮も刻んで入れているから。
カボチャは、川と実の間に栄養が豊富だと聞いているので、皮も入れないともったいないと…。

 お話が弾んだので、結構いい時間になって、帰り、グイドは着替えて、今日は一緒にShionちゃんのお迎えに。と言っても園に行ったのはわたしだけだけれど。
そのまま、耳鼻科に行き、グイドは車の中で読書タイム。
耳鼻科はとても混んでいた。
Shionちゃんは、診察とインフルエンザの予防注射。今年も遅くなってしまったけれど、受けないよりは受けておいたほうがいいと思い、予約しておいたのだ。
 昨日、「おきたらどこいくの?」と訊かれた時に「くま組みさんに行って、そのあとコアラの先生に行って注射をぶすっとしてもらうんだよ〜」といってあったのを覚えていたShionちゃんは朝起きた時、「あのね、ちゅうしゃいやだな…」といっていたけれど、いざとなるとそれほど嫌がることもなく、腕を出していた。
結局なくこともなく、平然とちゅうしゃも終わり、お薬をもらってくるまで待っているグイドのところへ。「Shionちゃん、泣かなかったよ、偉かったんだよ〜」とグイドに報告すると、Shionちゃんは「ちゅうしゃはちょっとのがまん、だよ」と覚えたカルタの言葉を言っていた。最近、ほとんどしていないカルタだったけど(Shionちゃんがバラバラにして揃っていないから)、役に立ったな〜、と思う。もともと注射では泣かない子だったけどね。

 そのあと、オー○バックスへ。
この前計算したらわたしが普段乗っている車のETCの車積載機の元がすでに取れてさらに割引で得しているということで、グイドの車にもつけることにしたのだ。セールが今日から始まっているということで、「どうしても今日行く」と言うので、出かけることに。
 購入して、セットアップと取り付けをしてもらっている間、ShionちゃんはドラえもんのビデオがTVでやっているのを見、わたしは店内をウロウロ。しばらくしてグイドとShionちゃんがいるところに行ってみると、グイドがマッサージ機にかかっていた。
終わって「あー気持ちよかった〜」と言うグイド「あなたもやったら?」と言われて、最初は「お金いるんでしょ?」と言っていたわたしだけれど、最近アイロンビーズのせいで方がこって頭痛もひどいので、ちょっとやってみよう、とすわってみると、これがいい気持。もう1回やりたいぐらいだった。

 今日も忙しい1日だったなぁ…。
でも忙しいと余計なことを考えなくてすむし、充実感があるのもいいな。
体がちょっと疲れているけれど。
今日はもうShionちゃんと一緒に早く寝ることにしよう、っと。
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2005年11月24日

今日もダブルヘッダー

 書き忘れていたけどShionちゃんは、昨日面白いことを言っていた。
夜の山道をグイドが運転していた時のこと、話の流れは忘れたけれど、「山の中は怖いんだよ〜」と言う意味で、「怖いんだよ〜」と言うと、「よのなかが?」だって。
「世の中が怖い」と、子供が言うなんて。
でも、わたしたちが何気に、最近のニュースを見ていて「怖い世の中だねえ」なんていっているのをちゃんと覚えているんだなあ。
 それから、最近、Shionちゃんは時々夜中に寝ぼけて起きる。
今日ははっきりと「おきるじかん!」と叫んでむっくり起き上がった。
「まだ起きる時間じゃないよ。お外くらいからね。トントンしてあげるからねなさい」と横にしてやるとまたすぐに寝たけれど。まだ、早朝と言うより夜中の1時半ぐらいだったと思う。
 それから今度は明け方の5時くらいに「せなか、せなか…」とつぶやいていた。
どんな夢を見ていたんだろうねぇ。

 今日は、Shionちゃんは保育園をお休みした。
普段、日曜日も、ゆっくり寝たいだけ寝て、ゴロゴロ、って訳に行かないし、あまり休みらしい休みを過ごしていないので、たまにはこういうのも悪くないかも、と思った。
予定は午後からだから、お昼ごろに出かければ良いので、午前中はちょっとゆっくり。
Shionちゃんはパーラービーズ(アイロンビーズ)を楽しんで、わたしは、100均で買ってきたケースにビーズの仕分けをしていた。
これが結構肩が凝るし疲れるんだけど…。
昨夜、グイドがかなりやってくれたのでまだましなんだけど。

 さて、お昼も近づいてきたので、お昼は外で手軽に済まそうということになり、大阪へ向けて出発。
目指すはキリスト教書店オアシス梅田店。
今日は、岩渕まことさんのインストアライブがあるのだ。
この前からグイドとキリスト教書店に行こう、と話していて、どうせならこの日にしようよ、と言うことになった。京都にもキリスト教書店はあるのだけど、グッズなどはやっぱりここが一番品揃えがよいようにおもう。クリスマスに向けて、ちょっと仕入れたい物があったので、足を伸ばして大阪まで、ということになったのだ。
 2時ごろ店内につくと、お店の方と岩渕さんが打ち合わせをしておられた。
さりげなく店内に入って、クリスマス用品を物色していると、お店の方が「もうすぐ岩渕さんのライブがありますので…」とチラシを持ってこられた。思わず「それを狙ってきました!」と胸を張って答えちゃいました。
 しばらく店内をウロウロしていると、一人の女性が店に入ってこられるなり店員さんに「露の五郎さんの本はありますか」と訊いておられるのが目と耳に飛び込んできた。
それだけのことだけれど、とても嬉しかった。
あの、でも、すでに「露の五郎兵衛」になったんですが…。
でも、父自身、昨日KBIで「五郎です」と言ってしまってから「五郎兵衛です」と言い直し「なったばっかりなんで自分でも間違えまんねん」と言っていた。他の人が間違えるのは当たり前といえば当たり前かも。
 そんなことを思っていると、サラリーマン風の男性に声をかけられたので振り返るとレインボーパパさん。
レインボーパパさんとは、大和田広美さんのサイトで知り合い、向日かおりさんのミニコンサート(月曜礼拝の賛美ゲスト)で出会い、歌ペト関西でもご一緒した。
うーん、いろんなところでネットのつながりがリアルのつながりになっていくことが嬉しい。

 さて、しばらく店内をウロウロしているといよいよライブの時間。チラシには15分とあったけれど、今、岩渕さんが後援しておられる新進ゴスペルアーティスト、重延勇矢(しげのぶいさや)君も出演されて、全部で5曲だったかな?15分よりもっとあったと思うけれど、反面あっという間の時間だった。
 特に1曲目の「神の奇蹟」という曲は、以前から知っている曲だったけれど、改めて、マイクなし、自分の目の前で、ご夫婦で歌っておられる生の声で聞いて、感動も新ただった。
本当に、本当に、心を澄ませて見聞きするなら、いつも、自分の周りに神様の奇蹟が溢れているのだ、と思うと涙がこぼれてきた。
 まだ、少し心が痛んだままなのだ。
些細なことにこだわって、心のポッチリとした傷がそれでもジクジクと痛む、その傷に、その歌声は優しく響いてきた。
去っていく人もいる。また出会う人がいる。遠ざかってまた近づく関係もある。
それは誰でもない、わたし自身の作り出している関係。
でも、そんなことに関わらず、神様の奇蹟は、今日も、わたしの周りに溢れているんだ。
そう思うと嬉しくて、感謝で、涙が止まらなかった。

 一足先に岩渕さんご夫妻がお店をあとにされてからしばらく、店内を物色。CSのクリスマスのプレゼントを捜したり、以前から欲しいと思っていた楽譜を探したり…。
その楽譜売り場で綺麗な若い女性に声をかけられた。
「教会学校の先生ですか?」と。保育園で働いておられるというその女性は、クリスマスにどんな曲を選んだらよいのか、とても悩んでおられたようだ。
 わたしの教会では日曜学校に来ているのは娘一人で、とても降誕劇などできる状況ではないので、ビデオを見せたり工作をしたりでクリスマス会を持つ、と現状をお話した。
でも、小さな時に1度でも福音を聞くことが、大人になってからの救いに大きく影響するということをお話し、その女性を励ましお別れした。こんなに若くて素敵なクリスチャン女性が、真剣に子供達のために悩んで導こうとしておられることが、なんだかとても嬉しかった。

 さて、買い物を済ませ、オアシスを出て次に向かったのは昨日も行った京都の大久保。
いつもは木曜の夜にも集会を持っておられるということで、グイドが顔を出す、と言う。
わたしは昨日の今日だし、ちょっと疲れてもいたし、「良いんじゃないの?」という気持ちで、ブツブツつぶやきながらついて行った。
途中でグイドがちょっと不機嫌になって「そんなに言うなら帰ろうか?」と言ったのだけれど、もう大久保まで行って夕食も済ませていたので、「せっかくここまで来たんだから行こうよ」と言って教会に向かった。
 教会にはまだドウゲン先生しかみえていなかったけれど、先生は元エホバの証人だったグイドが単立バプテストの教会を経てなぜ世界福音伝道団に?と言うことなど、興味を持ってお交わりしたり、また父が落語家の露の五郎兵衛であるということで興味を示されたり、さまざまなお話が弾んだ。
そうこうするうちに和やかに集会が始まった。教会のほうも昨日の今日ということで、人数はいつもより少ないとのことだったけれど、円座になってドウゲン先生のお話を聞き、その後も本当に和気藹々とした中で、お交わりができた。
 昨日もそうだったけれど、ドウゲン先生のメッセージは、バランスの取れた聖書解釈の中にもカルトで傷つかれた人々に具体的に役立つ示唆に富んでいて、とても勉強になる。また、わたしたちが知らない聖神中央教会の事も教えていただくことができるので助かる。
わたしたちが関わっている元聖神中央(滋賀)教会のメンバーの方のことも、ドウゲン先生だけでなくその教会の皆さんもよく知っておられるし、今後も、色々な形で連携を取らせていただくことになるだろう。
今後もよい交わりをさせていただく中で、たくさんのことを学ばせていただきたいと願っている。

 昨日、今日とダブルヘッダー続きで、ちょっと疲れた。
しかし多くのことを教えられ、恵まれた1日だった。

 Shionちゃんに寝る時に「今日は楽しかった?」と訊いてみたら、親に振り回された1日であっただろうに、それでも「たのしかった」と言ってくれた。それから「ちょっとだけたいくつだった」とも。でもいっぱいいっぱいたのしくて、退屈だったのはちょっとだけなんだって。そう言える子に育ってくれていることが感謝だ。
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2005年11月23日

充実の一日!

 今日は朝からとても充実した1日だった。
 朝、起きて朝食をとって、生駒のKBI(関西聖書学院)へ。
KBIは今年生駒に新校舎が与えられ11月3日にオープニング集会をされたばかり。
今日もオープンキャンパスデーと言うことでの集会だった。
 集会は2時からで、最初に、ミッションバラバの高原芳郎氏の証しと賛美浪曲があり、そのあと、父の証し、姉の前座、父のトリ、と言うプログラムだった。
 形から言えば高原氏がうちの一座(?)の前座のような形だったけれど、これが素晴らしかった。
以前、何かの集会で少しだけ高原氏の証しや浪曲賛美を聞かせていただいた事があったけれど、今回は以前より時間も十分にあって、以前にもましてさまざまなエピソードを生の声でお聞きすることができ、とても感動した。
 証しは本でも読ませていただいているので、耳新しいことではなかったけれど、生の声にはやはり迫力があり、感動も新たにされた。本当に、どんな人でも主イエス・キリストと出会うことによって作り変えられ新しい人生を生きることができることを身をもって証ししておられた。また、長い信仰歴に培われ、またバラバでの伝道活動を通してさらに練られた信仰による証しは聞き応えのあるものだった。ここまで聞いて帰っても良いと思えるほどの充実した30分だったのに、そのあとにうちの一座(?)の公演で、なんだかとっても贅沢なプログラムだったように思う。
父は、今日は前に高原氏が出られるということもあって証しは短めに、と話していたのだけれど、やっぱり、ある部分を端折っても、別の部分が長くなり、結局いつもよりほんのちょっと短いくらいの時間になり、それはそれでお客様も喜んでくださったようだ。
 しかし、わたしたちはこの証しまで聞いて、KBIをあとにした。
最後までいたかったのだけれど、どうしても行かなければならないところがあったので、お先に失礼させていただいた。

 その後、向かったのは、京都の大久保。
ジャン・ドウゲン師が新しく立ち上げられた教会のオープニング集会だった。
この教会は聖神中央教会を脱会された方々のケアの中から生まれた教会だ。
わたしたちも、聖神中央教会の脱会者の方々との関わりが少しあり、またドウゲン師とのつながりも不思議に二方三方(四方八方と言うほどではないけれど)からできてきて、今回、この集会に参加させていただくことができた。

 教会は小さなビルの3階部分にあった。本当に小ぢんまりとしたささやかな教会だったけれど、本当に明るく輝いているような場所だった。
 今までメールでドウゲン師とコンタクトを取っていたグイドがご挨拶すると、ドウゲン師はとても喜んで迎えてくださった。
 Shionちゃんは、用意されていた愛餐会の準備のお料理に目を奪われて早くも「おなかすいた〜」と言っていたけれど、なんとかなだめて席に着かせた。
 集会はドウゲン師の牧会しておられる河内長野の教会の方々も多数応援に駆けつけておられて、小さな会堂は人で一杯に溢れていた。
 と、集会前に一人の女性が忍び寄って来られて(笑)うしろからこっそり、「あのー」と控えめに声をかけてくださった。「失礼ですけどSunnyさんですよね」と言われて、わたしは目が点になった。こんなところで「Sunny」なんてハンドルネームで呼ばれるとは夢にも思っていなかったからだ。と、「こうママの母です」と自己紹介してくださって、「わー!」と感激の対面。こうママさんは、ドウゲン先生とのつながりのいくつかの糸の一本だった。こうママママさん(勝手にネーミングしてしまった)も実はわたしのサイトをROMって下さっているのだそうで…。本当にびっくりした〜!
また、こうママママさんは、わたしの尊敬するある牧師夫人に本当によく似ておられて、なんだか初めてとは思えない出会いだった。
 そんな不思議な出会いもあり、また、元エホバの証人でわたしたちのよく知っている先生との関わりの深い方もおられて、グイドと交わることができて喜んでくださった。
 集会は元聖神中央のメンバーの方のお証しもあり、ドウゲン師のメッセージも素晴らしく、感動に満ちたものだった。
集会後もメンバーの方とのお交わりを通して、メンバーの方々の喜びがヒシヒシと伝わってきた。この教会のスタートに立ち会うことができて本当によかった、と心から思った。
 実はドウゲン師は滋賀に別荘を持ちたいと思うほど滋賀が大好きなのだそうで、これを機会に交わりを深めましょう、と言って会場を後にした。

 聖神中央教会のみならず、カルト教会からの脱会者を受け入れようとしない教会が多々あると聞く。実はドウゲン師も今日のメッセージでそのことに触れておられた。
 わたしは以前から、聖神中央教会のことで教えられたこと、感じていることを書こうと思って書けずにきたのだけれど、結局のところ、以前も少しだけ書いたけれど、キリスト教界全体が病んでいる、ということだと思った。
部分が病んでいるということは全体が病んでいるということなのだ。
手を怪我したけれど、わたしは何の問題もない、ということはできない。
普段何の役をしているかわからないような足の小指一本でも怪我をするなら体全体が弱るということは、経験した人なら誰でもわかることだ。
これらの痛んだ人たちを迎え入れないということは、痛んだ小指を切り捨てるようなものではないだろうか。
 ドウゲン師もメッセージの中で「この問題はわたしたちみんなの問題だ」と語られていて本当に共感できるものだった。
 わたしたちは、続けて、このカルト問題で悩み傷ついている人々のために、ネヘミヤ(今日のメッセージはネヘミヤ記からだった)のようにとりなし祈り続けるものでありたいと願わせられた。

 ここ数日、自分のプライベートな部分でちょっと落ち込んだり、不安定になったりしていて、その部分は全て解決した訳じゃないけれど、今のわたしには目を向けなくてはならないこと、取り組むべき働きがある、と言うことをもう一度確認できたし、主に期待して、また一歩前に踏み出せる、そんな力をいただいた素晴らしい1日だった。

 KBIの学生やスタッフの皆さんの仕える姿勢、ニューライフ京都教会の皆さんの喜びに満ちた顔、それらを拝見していると、自分の悩みや落ち込みがとても身勝手なものに思えてきた。
いや、それはそれでわたしの真実の姿だし、打ち消すことのできないことだけれど、物事の暗い面を見るネガティブ思考ではなく、わたしの前に置かれている素晴らしい道に目を止めなくては、と思うことができた。
そしてやっぱり今日も、こんなわたしを愛してくださって、用いて下さろうとしてくださっている主は素晴らしい、感謝!そんな思いで一杯になった。
 主はこの日本を愛してくださっている。日本にご計画を持ってくださっている。その働きのホンの小さな一部かもしれないけれど、担わせていただいていることに誇りを持とう。
わたしは自分には誇るものはないけれど、誇るべきお方を知っていることを感謝しよう。
そのお方に愛されていることを喜ぼう。

 明日も、Shionちゃんは保育園をお休みして、一緒に行動する予定。
実際、Shionちゃんを連れての行動は結構疲れる。
Shionちゃんも、ストレスが溜まるのでは、と思うけれど、それなりにShionちゃんは楽しんでいるようだ。
 今日も行く先々でお土産を貰い、可愛がっていただいた。
ニューライフ教会では礼拝メッセージの中に紙芝居も用意されていて、夜、お布団の中での会話の中で、Shionちゃんはその紙芝居が楽しかった、と言っていたことが嬉しかった。
保育園での活動も大切だけど、本人がその意味をわかってもわからなくてもこういう祝福の場に居合わせることができるのは、実はすごい祝福なのだと思う。
 Shionちゃんの躾がちっともできていなくて、恥ずかしい思いをすることも多々あるけれど、Shionちゃんがのびのびと皆に愛される子に育ってくれていることは素直に嬉しいと思える。
今日も、「おかあさんだいすき」「Shionちゃんがみまもってあげる」とたくさん言ってもらえたし、「いつもあんまり遊んであげなくてごめんね」と言うと「えー、いつもあそんでくれてるじゃない」と言ってくれたし、「お母さん疲れた」と言ったら「おうちにかえったらねなさい」と言ってくれたし。
 こんな素敵な家族を与えてくださったことも、もう一度神様に感謝!
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2005年11月22日

no title

 今日はグイドと喧嘩をしてしまった。
クリスチャンで、同じ神様を信じていても、育った環境の違いや、お互いの経験から来る考え方の違いは多々ある。
特に、最近精神的に少々鬱気味だったわたしは、些細な事で爆発してしまった。
訪問活動の最中だったのに、喧嘩をしてしまって車を降り、電車で帰ろうとした。
 結局、隣の益で合流して、一緒にご飯を食べてすぐに仲直りをしたのだけど。
グイドもわたしも、互いに相手の主張がわかっていて、しかも互いに認め合っているのに、何故か噛み合わなくなってしまって…。
そこへわたしの感情が爆発してしまった。涙が止まらなくなってわめきたてた。
それだけのことなんだけど。
もともと、互いに理解できなかった訳じゃないので、グイドがチョコッと折れてくれて、わたしもそれでチョコッと折れて、それで仲直り。
 でもま、久しぶりにワァワァ泣いて、ちょっとすっきりしたかな。

 夕方からは、Shionちゃんと共に西宮の実家へ。
今日はグイドも一緒。で、晩御飯は焼肉わーい(嬉しい顔)
父も低血糖を起こすほど血糖値が低くて、思い切り食べられたようでよかった。
わたしも、支払いを気にしないで思いっきり食べちゃった!
親ってありがたいなぁ…。
 夜、仕事から帰ってきた○ちゃんと母と、ちょっとだけおしゃべり。
なんと父が、前から勧めていた聖書の題材からの人情噺をついにやる気になってくれた。というか、ネタも、もうほとんどできているらしい。
母の話では、前日まで「そんなんまだできひん」と乗り気ではなかったらしいのに、翌日になったら「今日からでもできる」と言っていたとか。それで、今やっているねた「教会根問(きょうかいねどい)」は、前座に譲る、とのことだった。
 正直に言えば、父にとってはこの「教会根問」は結構やりにくいネタであったようだ。
元来落語と言うのは、一字一句覚えるものではない。よく一般の方は「覚えるのが大変でしょうね」と言われるけれど、一般の方が思っておられるような覚え方ではない(らしい)ので、案外苦労しないのだそうだ。ところが、「教会根問」に関してはかなり教理的な用語が含まれていたりして、また作者(わたし)がうるさいので結構台本どおりにやらないといけなかったりして、父にとっては少々勝手の違うものだったらしい。
もちろん父がやれば、わたしが書いた以上に面白いネタにはなっていたのだけれど。
そういう意味で、父が自分で作ったネタならもっとやりやすかろう、ということもあって人情噺の創作を勧めていた。かと言って人情噺はわたしの手におえるものではないので、父自身の意欲が掻き立てられるのを願いつつ祈っていたのだった。
 それで、この「教会根問」を今後やる可能性のある○ちゃんに、このネタのことについて色々話していた。
自分で言うのもなんだけれど、「教会根問」と言うのは、教理的なエッセンスや聖書の知識、日本人の宗教観、そして福音そのものを盛り込んだ実によくできたネタなのだ。
ただ如何せん、爆笑ネタではない(ジャンル的には滑稽噺なのだけれど)。そういう意味ではクリスチャンではない○ちゃんがやるのはどうか?と最初懸念したのだけれど、○ちゃんは、ちょっと宗教オタクみたいなところがあって、若いのにちょっと不思議なところのある子で、キリスト教にも大いに興味があるし、何より本人がやる気満々なので、案外上手く行くかも、という気がしてきた。
 もともと、ネタそのものは、古典落語の手法をとっているし、伝道用にと考えたものなので、クリスチャンじゃなくても聞いて、それなりにわかるはずだとわたしは思っているし、その意味で、一般の寄席でやってもおかしくないと思っているので、クリスチャンではない○ちゃんがやることも案外いいのかもしれない、という気がしてきた。
 また、父の人情噺も、これまた一般の寄席でもやれるものになるのではないかと、今から楽しみにしている。
posted by ♪Sunny at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

補足

 昨日書いた自分の日記を読み返して、言葉足らずな点はいくつもあるようには思うけれど、その中でひとつだけ、特に補足しておきたい。

「もともと子供嫌いだし、時として「子供さえいなければ」と思うことが絶対にないとは言い切れない。その意味でも、自分に言い聞かせているようなところがある。」

と書いたこと。
「子供さえいなければ」と言っても、「この子がいなくなればいい」とまで思うほど深刻なものではない。
ただ、独身生活の長かったわたしは、宣教師の友達を訪ねて海外に行ったり、離れたところで牧会している友達のところに出かけたり、結構自分の思うままに動くことができた。
結婚して子供ができたら、働きも変わってそうできないことはごく当たり前のことだとわかってはいても、子供がいなければもう少し身軽に動けるだろう…と考えてしまう事がある、と言うことだ。
だから、子供を愛することは、神様から委ねられた、わたしの大切な働きのひとつなのだと言い聞かせている面がある、ということなのだ。

 幸せの形は人それぞれだろう。不幸の形もまたそれぞれに…。
親に愛されないことは辛いことかもしれないがそれで人の不幸が決まるものではないだろう。
もしそうならば、グイドのように幼くして親と別れてしまって親の愛を受けられなかった人はそれだけで不幸ということになってしまう。
 身体にチャレンジ(ハンディキャップ)を受けて生まれた人だって、それだけで不幸な訳ではない。
 ある意味で、生まれついての環境をどのように受け止めてどのように歩んでいくか、それが大切なことなのではないか、そんなことをも、つらつら考えていた。
少なくとも、今、生きている者として、自分が生かされている意味をしっかりと受け止めつつ、生きていきたい。

 そう思ってはいるのだけどね。
心はくよくよ思い悩んでしまったりするのがまた、人の、いやわたしの弱さなんだな。
ShionちゃんがShionちゃん自身のよき人生を歩んでいくことができるよう、わたしはどんな手助けができるのか。

賛美歌の歌詞に
♪母は涙渇く間なく祈ると知らずや♪
と言うのがあったように思う。
高校の時、母の日礼拝で歌ったような記憶がある。
そんな風に、絶え間なく、涙を持ってとりなす祈りなんてわたしには程遠い…。
それでも、自分が母になって、そんな思いを少しはわかるような気がするようになったわたしではある。
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2005年11月21日

独り言

 今日は、スーパーの売り場でいちごを見つけたShionちゃんに駄々をこねられて、キレそうになってしまった。
そんなことぐらいで、と思うけど、最近Shionちゃんは、周りのみんなが優しいのを良いことに、ちょっと調子に乗っている感じ。
それで余計にちょっとわがまま言われるだけで「また〜?(-_-メ)」って気分になってしまう。

 年のせいか、子供のわがままと向き合う気力がなくて、叱るのも疲れるし、投げ出してしまいたくなることもある…。

 最近疲れ気味なのか、何かとすぐにイライラしてしまう。
 友達からの音沙汰がないだけで、必要以上に孤独感を感じてしまったり、ちょっとしたことで憂鬱になってしまったりもする。
まわりにも迷惑をかけてしまうし、娘にもきっといい影響を与えない。
何より自分で自分がイヤになってしまう。
「わたしは神を信じているのに、何でこんなに憂鬱になったりしてしまうんだろう。これじゃあまるで神様に信頼していないみたいじゃないか」って自分を責めてしまったり。
しかも、自分の問題なんて些細なことのはずなのに。
もっともっと大変な問題を抱えている友達もいっぱいいるのに。
 それでも、わたしにはわたしなりの大変さだったりするのよね。
…って、自分で自分を慰めてみたり。

 でも、わたしがここでグチグチいってても仕方がないのよね。
子供に必要なのは母親の笑顔だと思うし、わたしが頑張らないと。
親として、人として、できることを精一杯やっていくしかない。
できないことはできないと認め、「神様助けてください」と素直に祈って、主の御手に頼りつつ…。
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愛というお守り

 17日の日記を読んだ方から、
「親に愛されて子供が育つのなら、親に愛されない子供はどうなるのだろう」といったメールをいただいた。
それと前後して、あるネットコミュニティで「最近の幼児虐待のニュースを目にして、『君は愛されるために生まれた』という歌が現実とあまりに矛盾していると感じ、と迷いを感じている」という書き込みを目にした。
それでもう一度、「愛というお守り」について考えてみたので、少しだけ書きとめておきたいと思う。

 まず、わたしは親の愛がなければ子供が育たないとは思わない。
「親はなくとも子は育つ」という言葉もあるし。
ただ、確かに親に愛された記憶、親から受けたことを子供が受け継ぐ、と言うのはあるだろうな、と思う。
 そして、わたし自身、親が与えてくれた喜び(というよりも、子供を喜ばせようと、一生懸命考えて何かをしてくれたという経験。親がしてくれることは子供の思いとちょっとずれていることも多々あったりするのだけれど)、また幾多の場面で親が守ってくれた経験が、親への感謝や愛につながっていることも確かだ。

 しかし、その半面で、その人の親は愛情深い人だったのに、成長した子供がどうも愛を知らないと言う人も見てきた。

 まあ、いずれにしても、わたし自身、それほど親子関係について語れるほどその問題に精通しているとは言えないと思う。
ただ、わたしはあくまでも親の立場から、親として出来ることは何か、親としての迷いの中で自分はダメな親だけど、せめて精一杯愛してやれば何とかなるだろう、と自分自身が「親に愛された記憶がお守りになる」という言葉に救いを求めているようなものだ。
 とは言え、結局は人生の最終的な責任をとるのは自分自身しかいないだろうと思う。

 例えば苦労話ひとつにしても、親の世代の人たちが味わった苦労は、わたしたちが味わいたくても味わうことのできないもので、理解しろといわれても無理なことが多い。
反面、今の時代には、今の時代にしかない苦労がある。
わたしは阪神淡路大震災の時にほんの少しだけれど、「今日、どうやって生きるか?」という経験を味わうことができた。
感謝なことにわたしたちの家は無事だったので、「今日どこに寝るか」という苦労はしなかったけれど、それでも、その日飲む水をどうやって手に入れるか、という経験をしたのは初めてで、それはとても貴重な経験だったと思っている。
もちろん、家が倒壊したり身内に死傷者があった方々の苦労とは比べることもできないけれど、今時できない、経験をさせていただいたと思っている。
これは、どちらかと言うと現代普通の状況ではできない苦労で(ま、苦労と言えるほどのものではなかったけれど)、むしろ、現代は豊かさの中にさまざまな問題が潜んでいる。あるいは、ものが豊かでも心は貧しいと言う、もっと深刻な問題ともいえる。
 いずれにしても、人が味わった苦労と言うのは結局のところ、その人にしか分からない。
それ以外に理解できるのはおそらく神様だけだ。

 グイドは、愛してくれる親の内、母親は赤ん坊の時に亡くなり、父親ともほとんど離れて育った。まあ、親戚には愛されて育ったと思うけれど、お守りになるような親の愛の経験は乏しかっただろう。
 わたしの父も、自分が生まれる前に父親はいなくなり、母親もやはり子供のときに自分を置いて再婚し、親に捨てられたという思いを持って生きてきた。

 それでも、二人とも、ぐれることもなく、いじけることもなく育った。いや多少の屈折はあったと思うけれど、それなりに大きく道を踏み外すこともなく、ここまで生きてきてくれた。
結局、本人の生き方は本人が選んでいるのだと思う。もちろんその背後に神様の大いなる摂理が働いているにしても。

「こんな親なら親などいないほうが良い」
というのは親のいる人の気持で、親のいない人は、「瞼の母」じゃないけれど、
「たとえどんな親でも良いからいて欲しい」と願うものだろう。
なんて書いても今じゃ「瞼の母」を知っている人のほうが少ないか…。

 子供は親を選べない。
親も子供を選べない。
その、一人一人が与えられている特別な環境の中で、結局のところどう生きるのか、というのは個人の責任なのだろうと思う。
そして、わたしはわたしの責任の範囲の中で、わたしなりに子供を愛していきたいと願っている。
もともと子供嫌いだし、時として「子供さえいなければ」と思うことが絶対にないとは言い切れない。その意味でも、自分に言い聞かせているようなところがある。

 そして、最終的なお守りは「親の愛」ではなく「イエス様の愛」だと思う。
親が捨てても、絶対に孤児とはしないと言ってくださるイエス様の愛を知る時、ヤクザでも、人殺しでも、そこから立ち直ることができる…、というのはすでに実証済み。
 もちろん、親に愛されることは何よりだと思う。それでも愛されない子供がいることも事実なんだ。それは悲しい事実…。
いや、愛してくれて当然の親に虐待され、命を落とす子供さえいる…。
それでも「君は愛されるために生まれてきた」と歌えるのか…と、そのブログの主は問いかけていたけれど、わたしはやっぱりそれでも、人は「愛されるために生まれてくる」と信じている。
 誰でもない、神様の愛に満ちている。たとえどんな人でも、神様に愛されているんだ…。
確かに、「愛しているなら普通では考えられないような辛い経験を与えるのか」と言う人もいるかもしれない。
わたしは、それはなぜ、という問に対する答えを持ち合わせていない。
けれども、その理不尽さこそ、神であるイエス様が味わわれたものであり、それを通してわたしたちへの愛を示してくださった。
そのイエス様の愛の眼差しは、すべての人に注がれている。
人の味わわれた全ての苦しみを通られたイエス様だからこそ、理不尽な苦しみを通ってきた人々を「あなたの辛さがわかるよ」と本当に慰めてくださることができるのだろう。
たとえ、それが天国においてであっても、辛い中を通った子供達が永遠の慰めを見出すことができると、わたしは信じたい。

 いずれにしても、わたしたちは、まず自分が愛されていること、とりわけイエス様(神)に愛されていることを知るところから、真の更生が始まるのだろうと思う。
本当のお守りは「親の愛」じゃなくて「イエス様の愛」なんだ。
 だからこそわたしたちはイエス様の愛をのべ伝えなくてはならない。イエス様のみが天国への門なのだから。(イエス様を知らずに亡くなった人の魂がどうなるかは神様に委ねるしかないのだけれど…)
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2005年11月20日

no title

 今日も、日曜学校には遅刻。でも先週よりは少しましだったので、日曜学校もだいたいの予定をこなすことができた。

 午後は、愛餐会のあと、女性会のクリスマスの出し物の練習。来週は本番なので、それに向けて最終チェック。
 そのあと、メッセージ奉仕に出かけるグイドと一緒に彦根へ。
Shionちゃんは、自転車であそびたくて仕方がなかったのだけど、グイドが内緒で「帰りにトイザラスに行ってビーズ買ってもらえるかも」と囁いたらあっさりと「行く!」とのこと。
結局、わたしも練習を途中で抜けさせてもらって皆で出かけることになった。
わたしもトイザラスに寄りたい用があったので。
 彦根の教会では、せっかくなので1曲特別賛美をさせていただいた。
今日は、教会員のお子さんもだいたい同年代の(Shionちゃんが真ん中で上下学年がひとつずつ違う)子が2名おられたのでShionちゃんも楽しく遊べたのではないかな?特に集会後は4ヶ月ほどしたの男の子と走り回って大喜びしていた。
 その後、彦根のトイザラスへ。
グイドが臨時収入で買ってあげるというので、最近Shionちゃんはおもちゃ買いすぎ、と思うけどまあいいか。
他にも、上手く説明できないけれど、足でステップ踏んでじゃんけんするマジレンジャーのゲームやプリキュアのやはりステップ踏んで遊ぶゲームのデモで店頭で少し遊んだりしてかなり楽しかったみたい。お目当てのビーズも買ってもらって、満足して帰ってきた。
夜のお祈りでも「マジレンジャーとプリキュアのゲームをしてたのしかった」とお祈りしていたShionちゃん。風船も欲しがっていたけれど、それはすぐにしぼむので却下。
グイドは甘いのでポップコーンも買ってやっていた。
結局うちは、二親とも、子供に甘いんだ。
 わたしも、お買い得のパーラービーズのセットを買って帰った。
CSのクリスマス会での工作にこれをしようと思って…。クリスマスツリーの飾りになりそうなものを作れたらと思っている。
男の子も楽しめるかな?と言うのがちょっと心配なのだけど、案外グイドも喜んでやっていたし、今日買ってきたセットには大きなプレートも入っていたし、案外大きな男の子はデザインに凝って楽しんで作るんじゃないかな?と思ったり。
 本当は水を霧吹きでかけてくっつくアクアビーズと言うのが、簡単で子供にも安全で良いと思ったのだけど、いかんせん高いので結局アイロンビーズにした。
 クリスマスリース作りなども、色々考えたのだけど、とりあえず今年はこれで行くことにした。
また来年までに色々情報や素材を集めていこうと思う。

 今日は朝から晩まで目いっぱい…。
でも、楽しかった。思ったほど疲れなかった、と思ったのは、彦根の往復、車の中で寝ていたからなんだ。運転してくれたグイド、お疲れ様、ありがとう。
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2005年11月19日

no title

 大阪の住吉区の教会へ。
だいたいの場所を地図で確認し、まあ行けるだろう、と思っていたら何のその。
一方通行や細い道にさえぎられて、随分迷ってしまった。時間的に余裕を見ておいてよかった。
最終的には教会に電話をかけてやっとたどり着くことができた。

 教会では、本当に決め細やかに配慮してくださり、控え室にはShionちゃんのためのお菓子なども用意してくださっていて本当に感謝だった。
Shionちゃんは、いつものように教会では自由気ままに振舞っていて、わたしとしては何も躾をしていないと思われるのではないかとちょっと気になりつつ、結局はほったらかしで打ち合わせをしたり、裏方をしたり…。
本番にはたくさんの方が来てくださり、喜んでくださったようで、良かった。
このあと続けて、その集会に来られた方が教会に導かれますように…。

 一旦実家によって、車を乗り換えて滋賀へ。
グイドと合流して夕食。教会で準備してくださった昼食も豪華だったので、夜は控えめに…と思うけれど、鍋だったので結局食べすぎ。
Shionちゃんはまたまた売店のおもちゃが気にかかり、買って欲しそう。
「グランマに頼みなさい」と言うも、自分では言えないらしくわたしに「いってあげて」と頼む。自分が欲しいんだから自分でたのむようにといくら言ってももじもじしているので母がわたしに「何?」と聞くので、「おもちゃを買って欲しいらしい」と言うと、まあ、結局図ってもらえることになる訳で…。
結局大喜びのShionちゃんなのだった。

 さて、珍しくお父さんとお風呂に入ってくれたShionちゃん(お風呂の前にわたしがギャーっと怒ったらお父さんになびいちゃったのだ)、今のうちに明日の愛餐会のカレーを作らなくちゃ、と台所に立って、「あれ?」玉葱がない!!
わたしがしんどいと夫が自分で炒飯とか作ってたべてくれるのはありがたいのだけど、玉葱をどんどん使ってしまって、いつの間にか、この間買ったお徳用の玉葱がもうない。
遅くまで開いているスーパーに走って、なんとか事なきを得たけどね、玉葱、使っちゃったら使っちゃった、って言ってよ~。
 お風呂から上がったShionちゃんは「わたしもおてつだいするわ」と台所にやってくる。普段ならやらせてあげるんだけどね、今日はもう遅いし、わたしも疲れているし、早くやってしまいたいので「グランマに頭ブンブン(ドライヤー)してもらって」と追い払う。
しつこくその辺でウロウロしていたけれど、わたしの雰囲気を察したのか、結局はイヤイヤその場を離れ母にドライヤーをしてもらっていた。
 結局寝かせるのは私でないとダメらしく、カレーは準備だけしてわたしとベッドへ。
Shionちゃんも疲れていたのだろう。すぐに寝てくれたので、その後わたしはカレーを作り、今日の予定終了。

 なんだか、一日追われるようにして終わったなー、という感じ。
ネットやメールを見ていると考えさせられることがいろいろあって、書きたいことも多々あるのだけど、なかなかゆっくり書くことができない。
思いだけがわたしのなかで溜まってゆくのだけれど…。
 明日は日曜日…。1週間過ぎるのがはやい。
この1週間、わたしは何をしたのだろうか。
そんな反省ばかりで過ぎる毎週だ。
少しは神様に近づけているのだろうか…。
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2005年11月18日

no title

 明日、父と一緒にまたある教会へ出かける関係で、今日は、夜からShionちゃんを連れて実家へ。で、その前に、荷物を取りに行ったり服を貰ったりなんだかんだで、晩御飯も一緒に食べようと言うので姉のところへ。
 Shionちゃんは、朝から「今日はくま組みさんのあと、ShihoちゃんとShizuちゃんのお家に行くからね」といってあったので、結構ルンルンで保育園に出かけた。
わたしは、早めにお迎えに行くつもりで色々用をするけど、なかなか片付かない。結局間際になってバタバタ。
 それでもなんとかいつもより1時間早めにお迎えに行き、出発。
Shionちゃんは、「Shihoちゃんの家には泊まらないでグランマのお家に行くんだよ」というと「え〜」と不満そう。
ShihoちゃんやShizuちゃんと、いっぱいいっぱい遊んでお風呂に入ったりもしたかったんだろうな。ま、しょうがない。
ジャンバーは、今年丁度よいものと来年も着られそうなものと貰うことができたし、それ以外の服もいろいろあって、たくさん貰ってきてしまった。
毎年、たくさん服を貰って、今年、やっと服が随分減ってきたな、と思っていたのだけど、結局また増えたな~。でも今まではケチケチと小さくなったのも着せていたけど、思い切って小さいものは処分して(と言っても捨てるのではなくて、またお古を貰ってもらえる方のところへもって行くんだけど)、なるべく丁度良いサイズの物を着せてやろう。
姉のところで目いっぱいあそんで、それでもまだ「グランマのおうちにいったらなんか(ビデオ)みる」とか、いろんなことを言っていたShionちゃんだったけれど、結局車の中で眠ってしまった。
眠っている時は、とにかく無条件で手放しで可愛い。
この寝顔を見ていると、いつもいつも親の都合であちこち振り回しているのではないかと気にかかる。
本人は「おでかけ」が大好きだけど、そのせいで、普段の日常生活がなかなか落ち着かないような気がする。
それでも、他の人と比べても仕方がないので、我が家は我が家なりの歩みをしていくしか仕方がないのだろうね。
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2005年11月17日

no title

 携帯を新しくした。機種変更なんだけど、今の機種を2年以上使っていたし、いろんなキャンペーンなどなどで、本体と充電コードはただになった。手数料が2000円ほどかかるけど、ま、機械が新しくなったし、FOMAになったので今後は機種変更の手数料もかからないみたいなので、ま、良いか。
ただ、同じメーカーの物にしたけどやっぱり使い方やキー操作が結構違っているので、慣れるまでは大変そう。でも、音が綺麗なのでやっぱりちょっと嬉しい。

 しかし、携帯をグイドに見せに教会によって、気分を良くして家に帰る途中、白バイのおまわりさんに呼び止められた。シートベルトをしていなかったのだ。
本当に本当に、わたしってほとんど必ずシートベルトはする人なのに、今日はたまたま、本当にたまたましていなかったところ、見つかってしまった。
捕まるタイミングっていつもこうなのよね。
まあ、罰金がなかったのがせめてもの幸い。
今後は気をつけよう。

 夜には、やっとピアノの修理の技術者の方が来てくださった。
音は普通になっているように感じていたのだけど、この前調律に来てくれた友達が「修理が必要」と技術者の人を紹介してくれたのだ。
と言っても、その場で直すのではなくて中身を持ち帰って修理してきてくださるとのこと。
中を開けて見せてもらうと、確かに何かわからないけど細い糸みたいなものが切れてる…。
あとなんだろう名前がわからないけど、中の棒も曲がっているのがある、って言っておられたような…。とにかく古いものなので、あちらこちらといたんでいるようだ。
でも友達の話では品物としては悪いものではないとのことだった。
せっかくなので、大事にして使っていきたい。
ピアノの中を始めて見るShionちゃんは興味津々だった。ちょっとびっくりしていたかな?
 中身は明日には持ってきてくださるそうだ。音の感じが何か変わるんだろうか?
よくわからないけど、ちょっぴり楽しみだ。
 うちにあるピアノはとても珍しいものだそうで、型番としてはかなり古いものらしいのだけど、その中では作られたのは比較的最近なのだそう(と言っても最初の調律記録が昭和48年だからもうかなり古いことは確かなのだけど)。だから塗装も初期の物とは違うとか…。で、それって何か意味があるのだろうか?
きっと、ピアノ関係者のある意味オタッキーな世界では興味深い、ってことなんだろうなあ。

 久しぶりに、Shionちゃんは、おトイレに行きそびれてリビングでお漏らしをしてしまった。
それで、久しぶりにわたしもものすごく怒ってしまった。
と言うのもその前の食事の時間に、相変わらずお腹すいたすいたといっておやつを欲しがるShionちゃんに、さんざん「ごはんは食べられるの?」「ごはんもちゃんと食べるんだよ」と言い聞かせながらおやつ(と言ってもソーセージやチーズなどだったけど)を食べさせていたら、いざご飯の時間になって「おなかいっぱいだからたべられない」などと言い出すので、まずその時点で「キーーーっ」と怒っていたのだ。
まあね、あれだけご飯前に食べたらごはんが食べられないというのはわかってはいたんだ。だから親としては、子供が泣いてもご飯前におやつをあげてはいけないのよね。でも、「おなかすいたすいた」とうるさく言われると、ついつい「ま、ちょっと栄養のあるものなら」なんて、思ってしまって。Shionちゃんではなくて、わたしが自分を甘やかしてしまっているのよね。
それと、Shionちゃん自身にも、自分のことを自分で管理して欲しい、と思ってしまうのよね。「自分で食べられる、って言ったんだからごはんも食べなさい」と自分の言葉に責任を持つことを覚えて欲しい…。
でもきっと、まだ無理なんだろうな、自分でちゃんと管理するのは。
それでも何でも、チーズやソーセージは食べたので野菜とごはんは食べなさい、と座らせて食べさせた。
そんな事があったので、自分にも、子供にもちょっと腹が立っていて、そこへお漏らししちゃったのでもうホント、ヒステリー状態になってしまった。本当はお尻を思い切り引っぱたきたかったけど、Shionちゃんはその空気を察して「おしりペンペンしないで」って懇願して「ごめんなさい、ごめんなさい」を連発。
はあ〜、わざとじゃないんだし、こういうことであんまり怒っちゃいけないのよね、と思いはするけど、それこそ、もう排泄に関しては充分に自覚もあって自己管理できるはずなんだけど。

 Shionちゃんを叱っていていつも思うのは、子供って、親の笑顔に救いを求めているんだな、ということ。Shionちゃんは怒られたあといつも「にこっとわらって」と言う。
わたしが不機嫌になっていつまでも笑顔を見せないと「おかあさんがわらってくれないとShionちゃんこまるの…」ととっても悲しそうにしているし、わたしが叱ったりしなくても笑わないだけで「ごめんなさい、Shionちゃんわるいことした」といってしきりに謝ったり泣き出したりすることもある。
逆にわたしがニッコリ笑うことで「自分はゆるされている」と感じることができるようだ。
 簡単に笑顔を見せてすぐにゆるしてしまうことがいいのかどうか、迷うこともあるし、しつこく「笑えない、お母さん怒ってるの」と言うこともあるけれど、本当はいつでも笑顔を見せてやらないといけないんだろうな。
 夜寝るときにはいつも、「おかあさんだいすき」と言ってくれるShionちゃん。
抱きしめて、チューして「あいしてる」と言ってくれるShionちゃん。
 「Shionちゃんは、いっつもおかあさんのところにかえってくる。おかあさんはいっつもShionちゃんのところにかえってくる。そしてShionちゃんとおかあさんはいっつもおとうさんのところにかえるんだよ」
前に、わたしが仕事で家をあける時に教えた言葉をちゃんと覚えていたShionちゃん。
普段はわたしベッタリだけど、実はお父さんのことも大好きなShionちゃん。
いつまでこんな風に仲良しこよしでいられるのかな?
今の幸せをしっかり心に刻みつけていなくちゃね。

「親に愛された記憶が子供のお守りになる」って、以前出た「親業」のセミナーで聞いた言葉だけど、子供の笑顔は本当に親の栄養剤になるな、って思う。
それに、今のわたしには、「親に愛された記憶が子供のお守りになる」という言葉が逆にわたしの励ましにもなっている。
「わたしがしっかり愛しいれば、子供は間違った方向へは行かない」と思うことが…。
 そういえば、わたし自身も、随分、親に愛された記憶に助けられていると思う。
病弱だった姉ばかり親に愛されているように感じて僻んだこともあったけど、やっぱり親に愛されていたな、と思うし、今でもやっぱり親ってありがたいな、と思うことがしばしばある。
 そのエピソードはいつかまた別の機会に書くことにしよう…。結構笑えたりもするんだけどね。
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2005年11月16日

no title

 今日は祈祷会だったけど、朝、どうしても体がだるくて重くて仕方がないので、Shionちゃんを保育園に連れて行ってから、祈祷会をお休みしてしばし休息をとらせてもらう。
 昼食も外食。それもかなり遅い時間だった。
 何もしていないのに、どうして疲れるのだろう。
やっぱり病気のせいなのかな。

 夜の祈祷会には出席。家族だけの祈祷会。
でも、これが案外恵みの時だったりする。
Shionちゃんは少し退屈そうだし、寝る時間が遅くなってしまうので可哀想なのだけど、こうして家族で祈れる時も幸いなのだと、きっとわかってくれる時が来ると信じたい。

 Shionちゃんは久しぶりに、夜になってパーラービーズに取り組んでいた。
早く寝なくちゃいけないんだよ、と言いながら見守っていると、先日グイドが買ってくれたディズニーのキャラ、マリーちゃんのデザインのを頑張って作っていた。ところどころ修正してやったけれど、ほとんど自分で作ることができた。
今日は結構集中してやっていた。
やっぱりこういうのが好きなんだなぁ。
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2005年11月15日

no title

 今日は、手紙を書いたり、たまっていた家計簿をつけたり、色々と調べ物をしたり、まあ、結構PCの前に座っていた。

 で、家計簿をつけて、ETCカードの請求額があまりにも少ないというか、以前利用した分の請求がなかなか来ないので、今までアクセスしたことのなかったETCマイレージサービスのサイトにアクセスしてみることにした。
 ID等を登録関係の書類がないので探し回ったら、ついでに他の書類や思わぬものが見つかったりした。
 で、やっとIDの書類を見つけてアクセスしてみると、すでに16000円分ものマイレージが還元されていたのだ。確か買った時のマイレージ登録サービスで5000円分還元というのもあったはずだから、もう車積載機の元が取れてる!しかもETCの料金割引システムで高速料金も安くなっているから結構得してるじゃん。
いや〜、やっぱりETCつけて良かった〜。
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2005年11月14日

no title

 今日は、Shionちゃんの参観日だった。
実は11日もオープン参観日だった。
でも、2日あるから、今度行こう、と思って11日は行かなかった。
11日、帰ってきたShionちゃんに「今日何をしたの?」って聞いたら「ひとがいっぱいきててさ〜。おかあさんもくればよかったのに〜」と言われた。
ちょっと可哀想だったかな、と思ったけど、全ての保護者が来られていたわけじゃないし、今度行くから良いや、と思っていた。
ところが、今日はクリスマスコンサートの練習を入れてしまっていた。奏楽のT姉妹もそのために子供さんを実家に預けて時間を空けてくださっているので、予定を変更してもらうのも申し訳なかったので、丁度今日休みだったグイドに「ビデオ撮ってきてね」とお願いして行って貰った。
Shionちゃんは「おかあさんもきてほしい」といったけれど、「お迎えはお母さんが行くからね」と約束して送り出した。
 賛美の練習を終えて帰ってきて、夫の撮ってきたビデオを見ると、Shionちゃんはたまにお父さんの方に手を振ったりしていたものの、まあ、マイペースでいつもどおり、って感じだった。
 「むっくりくまさん」という鬼ごっこみたいな遊びではちゃんとルールとか、わかっているのかな?って感じで、ただ走り回っているだけだったみたいだった。いや、途中で木の葉に気をとられて、木にしがみついてみたり、どちらかと言うと一人でふらーっとしていた。ちょっとマイペース過ぎるかな?
そういえば、父の襲名披露公演の時にも、お弟子さんの吉ちゃんが「自分の世界を持ってはりまんなー」って言ってくれていたっけ。
 集団生活ができなかったり、友達との関わりがまったく持てなかったらそれは困るけれど、案外「窓際のトットちゃん」でも、それなりの個性を発揮することができるかも知れないし、子供を型にはめて考えないようにすることも大切なんだろうなあ。
うーん、ホント、何が大切なことか、何が一番いいのか、わからないけど、とにかく子供の芽を伸ばしてやりたいと心から思う。
 でも、うちはきっと甘すぎるんだろうなあ。
保育園で、他の子を見ていて、園での朝の用意も、少々遅れてもきちんと自分でさせるお母さんもいれば、遅れたら用意はお母さんがやってあげて子供は体操に参加させるお母さんもいる。
うちもどちらかというと後者で、Shionちゃんは「おてつだいする〜」と言うこともあるのだけど(手伝う、って言うかShionちゃんがするはずなんだけど)、遅れるとShionちゃん自身が友達の間に入りにくそうにしているので、とにかく先に友達の輪に入れるように、と送り出してしまう。Shionちゃんも、ともすると「おかあさんやっといてー」なんていうこともある。家でのお片づけもそんなところがあるし。
 きちんとやらせるお母さんの子供は見るからにしっかりしている。
今日、お迎えに行った時に粘土遊びをしていたShionちゃん。できたものを保存しておく箱に入れに行ったので一緒に行って箱に入っているものを見ると、すごく上手なお花や小鳥があって、「これ誰がつくったん?」と聞くと、そのしっかりした子が作ったと言う。家で色んなことをやらせたり、もしかしたら幼児教室とかにも行ってるのかな?なんて思ってしまった。
そういうのを見ると、内心ちょっと焦ってしまったりする。でも、ShionちゃんにはShionちゃんの良さがあるのを忘れちゃいけないんだよね。ついつい、できること、できないことを区別して他の子と比べてしまい、できると安心し、できないと焦ってしまう。
そうじゃなくて、子供を絶対的な目で評価してやれるようになりたいなあ。
とは言え、もうちょっと、自分のことは自分でできるように、教えなければいけないんだろうなあ。

 そんなことを思っていながら、今日も、自分の感情に流されて子供を叱ってしまった。
わたしが他の事でイライラしている時に、飲み物をこぼしてしまったShionちゃん。そこらを散らかしているところにこぼしたから余計に片付けが大変で、「キーッッ」と癇癪を起こしてしまった。
でも、掃除をこまめにしていないわたしも悪かったし、きちんと片付けるようにしつけていないのもわたしだ。Shionちゃんはわざとこぼしたわけじゃないし。
でも、注意力があまりにも散漫なことも確かなので、もうちょっと注意するように、そしてもうちょっと日頃から片付けるように、言い聞かせる。
わたしももうちょっと片付け掃除をちゃんとしなくちゃ。

 午前の賛美練習は、お互いに練習不足の点もあるものの、信頼関係の中で、良い練習ができた。
とても楽しかったし、賛美する喜びがあった。
クリスマスの本番まで、ベストを尽くして、良いものをささげたい。
技術が足りないのはわかっているけれど、本当に人に伝わる賛美がしたい。
神様の素晴らしさを、少しでも伝えられる賛美がしたい。
そして、心から神様を賛美したい。
今はただその気持ちでいっぱいだ。
ともすると、日々のあわただしさに心が追い立てられてしまうこの季節。
だからこそ、クリスマスの素晴らしさ、イエス様の御降誕の意味を、深く味わいたい。
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2005年11月13日

no title

 今日は日曜日。
なんだけど、さて教会にいこう、という頃になって、教会学校のクリスマス会のチラシをプリントしていなかったことに気がついた。
「うー、日曜学校、遅刻だ〜」と思いながらプリント。
Shionちゃんと「神様ごめんなさーい!」と言いながら準備をして教会へ。
「ハ・ハ・ハレルヤ!」を歌いながら踊って、暗唱聖句をして、ワークブックのぬりえをして…。
こんなことではいけない、と反省。
いくらShionちゃんひとりでも教会学校は教会学校なんだものね。
もう少し計画的にやらないと。

 礼拝には、またまた新しい人がやってきた。
一人は高校生の女の子。なにやら学校の宿題らしい。ミッションスクールなのかな?熱心にレポートしながらメッセージを聞いていた。
たとえ宿題だから仕方なく、でも若い時に礼拝に出席する経験を得られることは本当に幸いだと思う。
このとき蒔かれた御言葉の種は、決して朽ちることはない。
その人の心の中に残り続け、いつかわからないけど、芽を出す時が来るかもしれないんだ。
いや、いつか必ず芽を出して、と祈りつつ後姿を見守った。
 もう一人、礼拝途中に来たのは、若い青年男性。
礼拝後に聞いたら、今夏受洗したばかりの、フレッシュなクリスチャンの青年で、転勤で近くに越してきたらしい。
教会へは地図で見てきたとか。
 地味な教会だけど、この教会、喜んで来てくれるといいな…。
いずれにしても、こういう若い青年がクリスチャンに加えられていることを感謝した。
随分前に、日本のクリスチャンの平均寿命(教会でクリスチャン生活を送る平均年数)は3年半程度、と聞いた事があるけれど、今でもそうなのだろうか。
確かに、今まで教会で受洗した人が皆、教会に残っていれば100人200人の教会が多数あってもおかしくないだろう。(けれども、1度真実にイエス様を信じた魂は、たとえいくら本人が家出してもすでに神の子とされているので、いつかは神様の元に帰ることになるのだけど)
 いずれにしても、この、イエス様を信じて間もない青年がどこの教会であっても、いつまでもイエス様を愛し、イエス様に従っていく信仰を持ち続けてほしいと心から願う。

 礼拝中、Shionちゃんは久しぶりにO島さんと共に会堂に座っていた。
O島さんが母子室に顔を出された時に「いっしょにあそぼっか」と誘われたので(O島さんを友達だと思っているShionちゃんあせあせ(飛び散る汗))、「いっしょに礼拝行こうか」と誘ったら、「うん」とぬりえを持って、ついてきたらしい。
礼拝中、なんだかんだとウロウロするので周りの人の邪魔にならないかと気にはなったけれど、神様の家でのびのびと過ごしている姿には思わず目を細めてしまう親バカなわたしだ。
 礼拝後、女性会のクリスマス紙芝居の練習をしていると、ShionちゃんがOさんのお宅に行くと言ってると、グイドが囁いた。持たせてやる着替えの指示をしたら、Shionちゃんはわたしにバイバイも言わずに行ってしまったようだった。
Oさんの家にうかがうと、食事もお風呂も済ませてきてくれるのでわたしは楽チン。Shionちゃんも楽しんできてくれるので、親も子も嬉しいのだったわーい(嬉しい顔)
Oさん、ありがとう!

 巷ではもうクリスマス商戦が始まっていて、今日はTVのCMでもクリスマスの賛美を耳にした。
わたしも、クリスマスコンサートの準備、教会学校クリスマスの計画、女性会の出し物などなど、何かと慌しい時期だけれど、心を静めて、イエス様がこの世に来られた意味をもう一度覚えて感謝して過ごしたい…。
posted by ♪Sunny at 00:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする