2017年02月11日

心の傷

 最近、色々な事を考え、自分の内側に思いを巡らしていた。

 滋賀にいたころと、今の自分の違い。

 たとえば、お菓子をつくり、ハーブを育て、ブログを毎日のように更新し、友達とのネットでの交流を楽しんでいた自分は、どこへ行ったのか。

 以前に比べると、お菓子をつくる回数は格段に減り、庭のハーブ等、植物も、少しずつ手入れはしているし、新しいものだって購入している。
 でも、ブログにアップすることも減り、ブログの更新そのものも、思い出したように更新するだけ・・・。

 何が変わったのだろう?

 たしかに、環境も変わった。
 母と同居するようになり、台所を使う自由さが以前のようではなくなったと思う。
 庭は、栗東で住んでいた家に比べると日当たりが悪く、生育が良くないので、何となく育てる楽しみが半減してしまっている。

 時間の使い方も変わったと思う。
 賛美活動も、感謝なことに滋賀にいたころに比べると、回数的にも、また範囲も広げられている。以前に比べると、賛美の事を考えたり、賛美の事に時間を費やすことも増えた。

 でも、それだけではない「何か」が変わったように感じていた。

 祈りの中で、気づかされたことは、わたしの心にはまだ「傷」が残っているということ。

 誰が悪いという訳ではない。
 自分にも悪いところ、足りないところがあったのは事実だし。
 相手も傷ついておられる事だろう。

 それでも、やっぱり自分も傷ついていることは確かで、「自分はダメだ」というところから、まだ、完全には立ち直れていない事に気付いた。

 気付いたからと言って、それで立ち直れるというものでもない。

 外傷の場合、怪我をした時に、「この傷には意味があった。神様の御計画だったのだ」と思ったとしても、傷が治るまで、やっぱりそれが痛む。
 心だって同じだと思う。

 あの出来事には意味があった。双方にとって必要なことだったし、その後の歩みがそれぞれに祝されていくために、神様が用いられたのだ、と思ったとしても、やはり傷ついた心は、痛い。
 そしてその時に植え付けられたネガティブな思い(自分自身を否定する思い)は、意外と根深く、思いの外、癒されるのに時間がかかるものなのだ、と思わされている。

 頭では理解しているつもりでも、なかなか心の深いところまで、それが届くのには時間がかかるということだろうか。

 それは内面的な事であって、外から見れば、むしろアクティブになっている面もあり、すべてがマイナスな訳ではない。
 確実に、たとえわずかずつでも前進している事を心から感謝している。

 これからも、主の御心だけがなると信じて、前進していこう!
 自分の思いと違うことがあったとしても、主の御心は、最善の道だと信じて、前へ進もう!


 上に書いたこととは別に、ちょっと、自分の願っていたことで、かなわないことが、最近一つあったのだけれど、先日、友達と話したことで、とても励まされた。

 「あの時、もしこうでなかったら」「あの時、もしこうしていなければ」
 「あれもこれも実現していなかったし、今のわたしはいなかった」

 そう考えたら、全て神様なんだと気づかされた。
 今のわたしがいる事は、奇蹟なんだと気づかされた。

 そうだ、神様は、わたしの一番願っている事を誰よりも御存じだし、わたしの事を愛して下さっている主は、わたしに最善をなして下さっている。今までもそうだったし、これからもそうだ。
 まだ心の傷はちょっぴり痛いけど、それでも、

 これからも、主の御心だけがなると信じて、前進していこう!
 自分の思いと違うことがあったとしても、主の御心は、最善の道だと信じて、前へ進もう!


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posted by ♪Sunny at 23:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする